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2007/07/18

昇り竜の島・沖永良部

『海と島の思想』の野本さんは、
沖永良部島を観光ガイドと縁を頼りにめぐっている。

考えてみると、限られた時間のなかではそれが最良の方法だ。
ぼくも、野本さんが観光地で感じたことを頼りに琉球弧を感じてみたい。

まず、島の北にあるフーチャー。
フーチャーとは、

 隆起サンゴ礁が荒波で侵食された
 潮吹き上げ洞窟のことです。
 季節風や台風時には二〇~七〇メートルも潮を噴き上げ、
 天高く飛び散った水滴が雲霧状となって
 農作物に大きな被害をもたらしたため、
 昭和三十八年、四ヶ所のうち三ヶ所を破砕しました。
 被害の少なかった現フーチャーだけが
 観光資源として残されています。

これは説明書きの言葉。
なるほど。沖永良部の天然身体は、
農のために加工されたことになる。
これは、沖永良部の特徴に思える。

野本さんはこう感じる。

 ドドーンと地の底、海の底から響いてくる波の音は、
 何かしら「神の息吹」のようにも感じられ、
 しばらくは妻と一緒に岩の上に腰を下ろし、
 生き残ったフーチャーと隣接して潮を吹き上げていたであろう
 三ヶ所のフーチャを想像し、
 無限の世界とつながっている紺碧の海を眺めていた。

野本さんは翌日、「昇竜洞」と呼ばれる鍾乳洞を訪ねるのだが、
その昇竜洞について、こう書く。

 その鍾乳洞を、島の人々は「昇竜洞」と名づけた。
 巨大な竜が、この洞窟に棲み、時折ここから抜け出して
 天空に舞い上がる姿を想像して命名されたと思われる。
 この昇竜というイメージは、ひょっとするとフーチャーの
 天に吹き上げる潮の姿と重ね合わせられていたのかもしれない。

 昔から島の人の間では、
 この洞窟には「大きな竜が住んでいて、天空と往来している」
 と言い伝えられており、戦時中の退避場になった時でさえ、
 光線の届く所までしか入らず、
 奥の方には入らなかったと言われている。

台風時には、ニ〇~七〇メートルも潮を吹き上げるというフーチャー。
その数は、四つにも及んだ。
そのフーチャーを目の前にした島人が、
それを昇竜のイメージに重ねるのは、
とても自然なことだと、ぼくも思う。

 ○ ○ ○

ぼくは以前、沖永良部の地名の由来を考えたとき、
「洞窟」説を検討したけれど、
沖永良部島、伊良部島には該当しても、
口永良部島には該当しないという理由から、
いったん退けている。

そして、エラブウミヘビとの表音の近似性から、
海蛇を人格神とした島人が地名として定着させたと仮説した。
(※「沖永良部は、イラブから?」

ところが野本さんの沖永良部紀行を読むと、
洞窟説を退け、海蛇説を採る、としなくても、
洞窟=海蛇神(竜神)とみなしてよいのではないかと思えてくる。

竜神の棲家としての洞窟というより、
海蛇神(竜神)身体としての洞窟であり、
フーチャーの潮の吹き上げが身体表出であったと捉える。

沖永良部には、188の洞窟が報告されており、
しかも、未発表洞窟も多数、存在しているという。
(※沖永良部の洞窟一覧

「大山水鏡洞」に至っては1万メートル以上に及ぶ。
これらは洞窟探検隊に「発見」されたとある。

だが、その多くを初期沖永良部人は知っていたに違いない。
島人にとって、沖永良部とは洞窟の島だった。
沖永良部島の地勢を「洞窟」と捉えれば、
それが地名になるのが自然である。

だから、イラ=洞窟の島として、イラブと名づけたか、
その少し後に、イラブ=海蛇神(竜神)として地名としたか、
いずれかではないかという考えに行き着く。

野本さんの沖永良部紀行からは、
沖永良部の人性についても触発された。
それはまたいずれ。

Erabu

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