« 奄美の多層圏域と離島政策 9 | トップページ | 奄美の多層圏域と離島政策 10 »

2007/07/10

マイノリティーの視線を

「マイノリティーの視線を」。

これは、「もうひとつの郷土史」と題した、
与論高校教諭、山之内勉さんが
南日本新聞に書いているコラムにあったキャッチだ。
鹿児島の親友が送ってくれて読むことができた。

ぼくは、このコラムを読んで、
薩摩思想による奄美理解の折り返し地点ということを思った。

「翔ぶが如く」、「篤姫」でみる武家社会の人々は
メディアへ登場する機会も多い。
しかし、与論で暮らしていると、
そのような武家社会主体の「郷土史」を
思い出すことはめったにない、という。

 そのかわり、延々と続くサトウキビ畑から想起されるのは、
 黒糖と民衆の歴史である。
 調所広郷の天保の改革に代表される
 薩摩藩のすさまじい黒糖収奪は、
 「黒糖地獄」と呼ばれるほど奄美群島の住民生活を圧迫し、
 住民の食糧供給に欠かせない稲作地まで
 キビ畑への転換を余儀なくされたと伝えられる。

 それでも奄美群島の人々はしぶとく、
 たくましく、誇り高く、
 今日まで連綿と命をつないできたのである。

こう前置きして山之内さんは書き出している。

 与論の風土は、郷土史の主役が
 島津氏や西郷、大久保だけではないことを教えてくれる。

これは、口を開けば、西郷、大久保一辺倒なのに
閉口してきた立場から言えば、逆像としてよく分かる。

ただ、ぼくは郷土史の主役は、
「島津氏や西郷、大久保だけではない」、ではなく、
島津氏や西郷、大久保ではない、と思っている。

郷土史の主役は、名も無き与論や奄美や薩摩の
民衆であるに違いないからだ。

 「カゴシマからきた先生はおれらを見下している・・・」。
 指導の行き詰まりの果てに、生徒からそう言われることがあるが、

ぼくは、こうした悪態を生徒が口にでき、
また先生もエピソードとして公開できる状況を歓迎したいと思う。

 ○ ○ ○

山之内さんはこう、続ける。

 「郷土史」、さらに「歴史」を考える場合、
 例えば与論のような政治・経済・社会・地理上の周縁部からの
 鋭い視線を内包化させ、
 歴史の重層構造を複眼思考で立体的にとらえることは
 極めて重要である。
 
 歴史に関与するさまざまな立場の
 人間への公平かつ多元的な目配りは、
 社会正義に不可欠の前提であり、
 普遍的価値への近道である。

ここで、マイノリティーという言葉は登場する。
マイノリティーの視線から郷土史を立体化するというのだ。

 第一は、かの宝暦治水事件を新たに
 奄美群島からの視線から立体化することである。
 黒糖収奪が強化された一因に、
 宝暦治水による藩財政悪化があったことは容易い想像される。

 木曽三川に倒れた薩摩義士を顕彰するのは良い。
 だが、同時に、藩財政再建の人柱となった
 奄美群島の人々の無念も救済されなければならない。
 
 義士の鎮魂と島民の鎮魂を同時に行う
 慰霊祭など呉越同舟ではないか、
 という批判はあるだろうが、
 歴史における悲劇の連鎖、差別の再生産という視座は、
 宝暦治水事件に複雑な陰影を与えるのである。

どうして呉越同舟なのか、さっぱり分からないのだが、
ぼくは、奄美と薩摩が、思想の対話の果てに到達すべき事態が、
ここで、ふいに書かれているのに驚く。

ぼくは薩摩によるこうした言葉を、
長い間、待っていた気がする。

二つ目に、山之内さんは、

 幕末の薩摩の雄藩化を
 被差別部落の視点から立体化することである。

としている。

別に奄美の歴史は、
薩摩の歴史を立体化するためにあるのではない、
というような半畳は、おそらく勇気を持って
書いている山之内さんに失礼になる。

山之内さんの文脈に添っていこう。
ぼくは、薩摩の思想は、
薩摩が南島を喰らうことによって明治維新をなしたと認めよ、
と考えているし、そう書いてきた。(ポストコロニアル

だから、奄美と薩摩による思想の対話が必要であると考えている。

山之内さんのコラムを読み、
ぼくは対話の糸口ができているのを知る。

薩摩思想による奄美理解の折り返し地点。
ひょっとしたらそうなのかもしれない。
奄美の二重の疎外、克服に活路を見いだせる。
そういう気持ちになった。

このコラムを書いた山之内さんには敬意を表したい。


また何より、父の他界を機に、ほぼ十五年ぶりに再会し、
このコラムを教えてくれたわが友に感謝したい。




 

|

« 奄美の多層圏域と離島政策 9 | トップページ | 奄美の多層圏域と離島政策 10 »

コメント


見飽きたよ。
自分の帰属社会に固執してそのことばかり考えてる連中
利己主義者って分かるだろ。

たまたま南方の離島に生まれたから
そのたまたまの立場に有利な考えを訴えている。

まあ人間だからそれはそれで仕方がない。
ただ自分の利益のために最もなきれいごとや
進歩的な思想を振り回す連中は別だ。
この連中は人に教えても自分には教えない。
自分の教えを自分では理解できないからな。
老人や障害者など他のマイノリティーを知ろうとしない。

あんたは故郷にいるマイノリティー大切にしてるのか?
関心がないところ反対なんだろう。

世の中の隅っこばかり見てそこを守るのに必死になって
その為に専門的な史料、難しい言葉や思想を持ち出して。
偽善というより理性に反してまで頭を悪くしてる連中。

身も蓋もない言い方をすれば
民族エゴ、小帝国主義さ。
与論島に生まれた、だから奄美が欲しい。
自分の帰属社会を拡大したい。

よその土地でこういう人間を見たらあんた尊敬できるかい?


投稿: 華図鑑 | 2008/09/12 15:02

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マイノリティーの視線を:

« 奄美の多層圏域と離島政策 9 | トップページ | 奄美の多層圏域と離島政策 10 »