クイーンコーラル走れ
船は行く 船は行く 青い海を
と、読んで、すでに口ずさんでいる人はいますか?
そう、曲「クイーンコーラル走れ」です。
ところで、鹿児島と沖縄を結ぶ客船クイーンコーラルで流れる
「クイーンコーラル走れ」を歌ってるのは南沙織なんですって?
恥かしながら、チヌマンダイの記事コメントで、
初めて知りました。
で、それから頭の中を曲がずっとかけめぐるので、
書いて放電することにしました。(^^;)
♪ 船は行く 船は行く 青い海を
恋乗せて 恋乗せて 南の島へ
デッキの上で たたずむ(肩組む?)二人
太陽は空で 見てる 妬いてる カッカッカッカッ
クイーンコーラル走れ クイーンコーラル走れ
クイーンコーラル 南の海へ 明日の海へ
これ、いい曲ですよね。いまも生きてる感じ。
○ ○ ○
学生の頃、鹿児島から19時間かけて与論島へ船旅するとき、
クイーンコーラルにお世話になりました。
たしか午前3~4時頃、名瀬に着き、
到着のアナウンスを半睡状態で聞くと、
もうすぐ与論だ、と昂ぶる気持ちを抑えて
もう一眠りしたのでした。
昼ごろ、沖永良部が小さくなったなと思ったら、
もう与論島はすぐそこです。
それだけで胸が締め付けられましたが、
それに拍車をかけたのが、
「クイーンコーラル走れ」、でした。
歌はあくまで明るく、
恋と南の島を結びつけて船内に響き渡ります。
接岸間近になると、乗降口前は、
観光客でごった返しました。
学生たちの異様な熱気が充満していました。
帰省なので、ぼくの方がそこにいる理由がありそうなのに、
あの熱気と明るさのなかでは、
ぼくが場違いのようにすら思えました。
彼らはこう叫ぶのです。
「ヨロンに帰ってきたぞぉ」。
そう聞くと、嬉しいやら、
素直に言えて羨ましいやら、
放って置いてくれと思わないでもなかったり、
でも、現地の人の立場で歓迎したい気分でした。
ぼくにとって、「クイーンコーラル走れ」は、
与論接岸の切ない想いとセットです。
それ以外の思い出し方はできそうにありません。
「与論島慕情」とともに、特別な曲です。
もう20年くらい聞いてないでしょうか。
もう一回、船内で聞いてみたい。
与論島接岸を、
「クイーンコーラル走れ」、「与論島慕情」と一緒に、
味わってみたいです。
○ ○ ○
クイーンコーラルに乗る方は、
ぜひ「クイーンコーラル走れ」を聞いてください。
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コメント
懐かしいですね。最近フェリーに乗ってないので久しく聞いていませんが。
小学生の頃、初めてフェリーに乗った時に、確か乗船記念メダルが販売されていて、名前とか打つことができたような。
それから中学校・高校のクラブの大会とか修学旅行とか何度もお世話になった船です。
私は64年生ですが、この世代には、この船と曲に思い出は多いんじゃないでしょうか。
投稿: mizuma | 2007/06/15 16:11
mizumaさん、コメントありがとうございます。
やっぱり懐かしいですか。
ぼくが、63年生まれなので、そうなのかもしれないですね。
みんなの思い出を運ぶ船と曲ですね。
投稿: 喜山 | 2007/06/15 19:54
たぶんもう流れていないだろうとは思いながら、10月20日に和泊から与論に行くクイーンコーラルに乗りました。昔(33年前です)と比べ少し小ぶりな船でした。結果は残念でしたが、今日マリックスラインのHPでCD販売が行われていることを知り、早速注文しました。私は57年生まれですが、気持ちはみなさんと同じです。
投稿: なおしん | 2007/10/21 23:29
なおしさん
コメントありがとうございます。
CDあるんですね。聞けばたちまち当時の気分に浸れるような気がします。
33年前といえば、ぼくはまだ与論島にいたころです。
懐かしいですね。あの頃とは、変わったなぁと思われたんではないでしょうか。
投稿: 喜山 | 2007/10/22 08:28
変わっていたのは、はしけがなくなり港に接岸できたこと、飛行場が出来ていたこと、コンクリートの家が増えていたこと、茶花の海岸が人工の砂浜となり、リゾートホテルが建っていたこと、でしょうか。
さとうきび畑と海の色、そして民宿で知り合った人達の暖かさは一緒でした。
33年前の忘れられない記憶が傷ついてしまうことを若干心配していましたが、更に忘れられない島となりました。もちろん「走れクイーンコーラル」は、妻にあきれた目で見られながらも毎日聞いています。
投稿: なおしん | 2007/10/30 23:19
なおしんさん
人の印象が変わらなかったこと、ほっとします。
よかったです。
あの歌、歌いたくなりますね。いまでも通用する感じです。
ああ、ぼくも聞きたくなってきました。
投稿: 喜山 | 2007/11/01 21:41