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2007/06/02

32年ぶりの再会

隣の、同姓の、パラジ(親戚)の、ヤカ(兄)に、会った。
数えてみると、32年ぶりだった。

さすがに分かるだろうかと、
ほんの少し不安だったけれど、
顔を見た瞬間、もう名前で呼び合っていた。
そして、会った瞬間、32年前の小学生の自分たちに戻っていた。

新橋の烏森神社の奥の、
いかにも新橋らしい小料理屋さん。
「有泉」があるという理由で選んだ店だった。

ぼくたちはしこたま食べ、
しこたま有泉を飲み、語った。

ぼくはびっくりした。

与論への想い。
フバマへの想い。
ホテルができたときに爆破したかったこと。
かつての宇和寺を再現したいこと。
戦後奄美で教員になった父を持つ長男であること。
方言が中途半端であること。
与論への溶け込み方、離れ方。

そんなひとつひとつが、嘘みたいに似ていた。
こんなことがあるのだろうか、
と不思議で仕方なかった。

ヤカ(兄)は、与論島だけでなく、
奄美大島にも沖縄にも鹿児島にも住んだことがあるから、
話題は勢い、琉球弧論だった。

ヤカ(兄)は、沖縄と鹿児島からの二重の差別にまっとうに向き合い、
経験から得たものをよきものとして血肉化されていた。

そんな話を聞きながらふと顔をみると、
与論の教育長を務めた富三先生にそっくりで、
ぼくはまるで先生と話しているかのような錯覚を覚えた。

先生と話してみたかったなと思った。

ヤカ(兄)は、自分たちは、
ゆんぬんちゅ(与論人)になりたいと思ってきたけれど、
そんなこと与論の方は当たり前だと
言ってるんだじゃないかとゆっくり口にした。

遠い与論じゃなく、近い与論。
そう思っていていいじゃないか、と。

誰に言ってもらえるわけではない言葉に、
ぼくもただただ頷くだけだった。

誰に言うわけにもいかない、
言っても仕方がないと思ってきた、
取るに足らない自分の孤独が、
何の言葉の努力もなく分かち合えることに、
ただただ信じられない思いだった。

こんなことなら、
親づたいに消息を聞いて済ますだけじゃなく、
さっさと会って語り合えばよかったと思わなくもない。

けれど、機が熟すには時間が必要だったと思うことにしよう。
そして与論島も、変わらず待っていてくれた。
32年間。でも、そんな時間は瞬くほどの間でもない、
と与論は微笑むだろうか。

ぼくたちは親父や祖母同士が親しかった
パラジ(親戚)というだけでなく、与論島という、
あまりに魅力的な出自を持つことの宿命を背負った
アグ(同志)のように思えて、嬉しかった。

オジサンの街の片隅で、小学生に戻れたひととき。
新橋の夜は気持ちよく更けていった。




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コメント

おはようございます。
春雷がとても気持ちよく響いてきます。
ポストコロニアルを嬉しく読ませてもらいました。
32年ぶりの再会も富三先生を思い出しました。
私はあまりお話する機会はありませんでしたが、母と同い年だということもあり親しみを持っておりました。
病気に勝てなくて残念でした。
生まれた島への愛情に感謝します。
 そうそう、郷土研究会のことよろしければ会員にも登録したいです。
総会で喜山さんのこと勝手に紹介しました。
あしからず御免下さい。
趣意書の件、申請書を書き直しますのでその時までしばらく猶予下さい

投稿: awamorikubo | 2007/06/03 05:56

awamorikuboさん、コメントありがとうございます。

郷土研究会へのご配慮、ありがとうございます。
楽しみにしています。

兄(ヤカ)は声も富三先生そっくりでびっくりでした。
awamorikuboさんの言葉、喜ばれると思います。

投稿: 喜山 | 2007/06/03 18:58

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