幻の島─琉球の海上信仰
『琉球弧・重なりあう歴史認識』の、
「幻の島」は、とてもいい。
島に住む人たちは、海の向うの水平線に、
もうひとつの世界を想像した。
その世界は、
ある場合は人間が求めてやまない楽土であり、
またある場合は恐怖の漂う世界でもあった。
こう、酒井卯作さんは書き起こす。
酒井さんは、琉球弧に流布されているニライ・カナイの表象が、
紋切り型されてしまっているのではないかと危惧している。
近年、琉球列島で好んで使われるニライ・カナイという
海上聖地を指す言葉は、こうした島の深い歴史の跡を
ふり返ってみれば、かなり短絡的で安易に使われて
いるような気がする。
島の信仰の歴史も、それを保ってきた人たちの感情も、
そんな簡単なものではなかったと私は考えているからである。
この問題意識が、「幻の島」には底に流れている。
しかし、酒井さんはそのことを概念の整理によって行うのではない。
実のところ、「幻の島」は、詩情あふれる紀行文だ。
それは実際に、酒井さんが訪れた地の出来事であったり、
伝聞や既存の紀行文を元にしたものもある。
それらは琉球弧のみを舞台に選ばず、
本土にも触手を伸ばしている。
読むにつれ、ひととき延びやかな世界に
引き込まれて、海の向うに抱く思いを
振り返りながら、酒井さんとともに旅をするかのようだ。
それは最後の、老婆の言葉まで続く。
-悲しかったり苦しかったりすると、
浜に出て、座って、いつまでも海を見て過ごします。
そうして広い海を見ていると、自然に心がなごみます-。
島に住む人にとって、これは目新しい言葉ではない。
しかし、こうした平凡な言葉の中に、
海の哲学のすべてが語られているように思う。
海上信仰の研究もここから出発するのである。
ぼくたちはまるで、柳田国男の『海南小記』や『海上の道』を
読むような愉楽を味わうことができるだろう。
酒井さんは、概念による正否ではなく、
紋切り型からはみ出る海上への想いののびやぎによって、
ニライ・カナイのイメージが紋切り型に堕していることを、
それとなく、けれどしっかりと伝えている。
そして、本質的なところでは、
ともすると「日琉同祖論」や「南島イデオロギー」の議論に
とらわれがちな琉球弧論に対して
問題提起をしているのだと思う。
琉球弧の島の連なりのように、
もっと伸びやかに、もっと自在に、
思考や想いを羽ばたかせていい。
そう、酒井さんの文章は言っているのだ。
【目次】
琉球弧をめぐる歴史認識と考古学研究
-「奄美諸島史」の位相を中心に
(髙梨修)
関係性の中の琉球・琉球の中の関係性
(吉成直樹)
「糸満人」の近代
─もしくは「門中」発見前史
(與那覇潤)
「琉球民族」は存在するか
─奄美と沖縄の狭間・沖永良部島をめぐる研究史から
(高橋孝代)
幻の島─琉球の海上信仰
(酒井卯作)
大城立裕文学におけるポストコロニアル
─ハイブリッドとしてのユタ/ノロ
(リース・モートン)
在関西のウチナーンチュ
─本土社会における歴史と差別・偏見体験
(スティーブ・ラブソン)
多元的歴史認識とその行方
─アイヌ研究からの沖縄研究の眺め
(坂田美奈子)
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