イューガマの謎 3
与論島では、なぜ、スクをイューガマと言うのか。
こう問い続けていくと、不思議さの他にも、
もうひとつの実感のあることに気づく。
それは、スクをイューガマと呼ぶことが、
どこか“与論らしい”と感じられることだ。
たとえば、与論では、方言のことを、
大和口や沖縄口、島口という琉球弧の表現に従って
与論口と言わずに、与論言葉という。
沖縄口や奄美大島の島口という言い方を知らないわけではなく、
知った上で、「与論言葉」という言い方を選んでいると思える。
しかも、口を指す「フチ」は、もともと呪言を意味するように、
「島口」の「口」は、起源を内包した歴史を宿している。
そこで、「言葉」という言い方を採用するのは、
歴史として新しい気がするとともに、
あの、スクをイューガマと言い換えるように、
固有にあるものの、固有性を抜くような同じ手つきを感じる。
本土の人を、大和人(ヤマトゥンチュ)と呼ばずに、
旅人(タビンチュ)と呼ぶのも、
大和の人から、大和という固有性を抜いて、
外国人でも当てはまる旅人に戻されているのにも、
同じ仕草を感じる。
○ ○ ○
この、事物から固有性を抜いて一般性に解消するかのような、
振る舞いのなかに、ぼくたちは何をみるだろうか。
こうするには、島人が島の内部だけで、
事物(この場合は、魚)に向き合い、
そこにある固有なものをほどいてゆく
長いながい時間が要るように思える。
これは外側からみれば、内閉性に見えるが、
島の内部からみれば、島自体がひとつの世界として
あったことの証左のようにも思える。
与論人(ユンヌンチュ)は、
この世の事物にどんな風に向き合ってきたのだろうか。
つづく。
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コメント
こんばんは。
イューガマとタビンチュ考の捉え方が面白くなってきました。
溝口駅はすぐ近くでしたが、
当時はそんな会館興味ありませんでしたので気が付きませんでした。
この駅で降りて、自動車教習所に通いました。
懐かしいです。
投稿: awamorikubo | 2007/06/16 22:49
新しい施設です。盛窪さんいらしたときは、
まだ無かったんじゃないでしょうか。
溝の口。大きな駅ビルでしたよ。
投稿: 喜山 | 2007/06/17 07:45