« 32年ぶりの再会 | トップページ | 六月の空に »

2007/06/02

ポストコロニアル

ポストコロニアル。

植民地以後、ということだろうか。

『琉球弧・重なりあう歴史認識』には、
「大城立裕文学におけるポストコロニアル」という論考がある。

書き手は、執筆者紹介を見ると、
日本の大学で日本文学などを専攻する教授で、
リース・モートンという方だ。

これを見て、「ポストコロニアル」というテーマ設定は、
西洋系の外国人の内省から生まれたものだろうか、
という予断が一瞬、過ぎったが、そういうことではない。

高橋さんは、「沖永良部島民のアイデンティティと境界性」で、
ポストコロニアルに関連するパッシング行為を紹介していた。

 パッシング行為 
 社会的に不利な個人の出自を隠し、
 ドミナント社会の構成員になりすますこと。

高梨さんも「琉球弧をめぐる歴史認識と考古学研究」で、

 奄美諸島史の現代社会は、
 「鹿児島県」に帰属した奄美諸島において、
 その植民地的社会構造は完全に解体されたわけではない。
 形骸化しながらも、そうした社会構造は生き延びている。
 そして「鹿児島県」における植民地主義的意識も
 解消されたわけではない。
 無意識の植民地主義的意識は、
 「鹿児島県」に確実に生き延びている。

と指摘していた。

我ながら可笑しいのだが、
奄美や琉球弧が、「ポストコロニアル」や「植民地主義」の
概念のもとに説明されていることが、実は、ショックだった。

ぼくは薩摩の思想に対し、
「薩摩を南島を喰らって明治維新をなしたと認めよ」と主張し、
日本は南島を喰らって近代化を果たし、
いままた南島(沖縄)を喰らって現在を凌いでいると考えるものだ。

「ポストコロニアル」や「植民地主義」より、
毒々しい言葉を使っているとも言える。

それなのに、与論島を取り巻く大きな環境を、
「ポストコロニアル」や「植民地主義」という言葉で
考えたことがなかった。

でも確かに、パッシング行為など、
「ポストコロニアル」や「植民地主義」の文脈を通すと、
すんなり理解できることが多い。

ぼくは実のところ、現実を直視してこなかったのだろうか。

 ○ ○ ○

ここはひとつ、大城立裕文学には悪いが、
論考は脇に置いて、自分の切実さに引き寄せてみる。

7年前、初めて本を書いた時、
プロフィール欄で、自分の名前の次に、
「与論島生まれ」と書いた。

「与論島生まれ」とだけは書きたかった。
というより、ビジネス書のプロフィールに
お門違いだとは承知しているけれど、
それ以外にアピールすることはないような気すらしていた。

こうするのは実のところ、
プロフィールに県名を記したくない思いとセットになっている。
強がっていえば、「わが名に鹿児島県と冠するな」と、
ずっと思い続けてきて、和らぐことはなかった。

それは、自分の駄目さ加減でしかないのだが、
これがぼくのポストコロニアルに対する身体反応なのかもしれない。

 ○ ○ ○

生前の祖父は、本のプロフィールを見て不思議そうだった。
ぴゅーましょーと、
「与論島生まれ」をアピールすることを不思議がった。

祖父の世代だけでなく、
近代以降、本土で出身地を聞かれたくないパッシング的心情は、
多くの島人の心を捉えたものだったに違いない。

その心情の普遍性を知る祖父にとって、
「与論島生まれ」のアピールは考えにくいことだったのだ。

けれど、祖父の感じ方は不思議さが全てだったわけではない。
言葉や表情に表さなかったけれど、
嬉しい気持ちも半分あったろうと、信じる。

ぼくはもちろん、祖父や島の人に喜んでほしかったのだ。

これからもそうだ。

書くこと行うことについて、
泉下の祖父や祖先の島人も喜んでくれるか、
問いつづけるだろう。

だから、ぼくにとってポストコロニアルとは、
ほぐすべき認識の問題であるとともに、
過去と現在の島人が喜んでくれることを通じて、
ぼく自身や与論、琉球弧のこわばりをほどく、
身体的な問題なのだ。



『琉球弧・重なりあう歴史認識』

【目次】

琉球弧をめぐる歴史認識と考古学研究
-「奄美諸島史」の位相を中心に
(髙梨修)
関係性の中の琉球・琉球の中の関係性
(吉成直樹)
「糸満人」の近代
─もしくは「門中」発見前史
(與那覇潤)
「琉球民族」は存在するか
─奄美と沖縄の狭間・沖永良部島をめぐる研究史から
(高橋孝代)
幻の島─琉球の海上信仰
(酒井卯作)
大城立裕文学におけるポストコロニアル
─ハイブリッドとしてのユタ/ノロ
(リース・モートン)

在関西のウチナーンチュ
─本土社会における歴史と差別・偏見体験
(スティーブ・ラブソン)
多元的歴史認識とその行方
─アイヌ研究からの沖縄研究の眺め
(坂田美奈子)


|

« 32年ぶりの再会 | トップページ | 六月の空に »

コメント

奄美諸島および鹿児島県は、その歴史的過程の特殊さにおいて、日本におけるポストコロニアル研究の重要なフィールドになると思います。
この分野における研究対象として「鹿児島県」を俎上にあげていくことは、「無意識の植民地主義的意識」を広く理解してもらうところに必ずつながるのではないかと思い、分析を進めています。

ところで、ご親戚の方と32年ぶりに会われて何よりでしたね。
>遠い与論じゃなく、近い与論。
同じような言葉を在京の奄美大島出身の方からいわれたことがあります。
そんなに理屈っぽく島を語らなくても、島はいつでも自分たちの近くにあるんだ、島は難しくないんだと・・・・。
今日は昨晩も、ある研究会&宴席でひさしぶりに似たような経験をしました。
当然、今日は二日酔い。
でも、奄美大島に暮らしながら、僕は「理屈」を今後も考えていくのですね。

投稿: NASHI | 2007/06/03 17:29

NASHIさん、二日酔い、おつかれさまです。(^^)

思考の溶解は琉球弧の場の力だと思います。
けれど、その魅力も、言葉で伝えなければなりません。

NASHIさんの思考、分析を尊いと思う所以です。

投稿: 喜山 | 2007/06/03 18:55

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/15257077

この記事へのトラックバック一覧です: ポストコロニアル:

« 32年ぶりの再会 | トップページ | 六月の空に »