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2007/06/05

目からウロコの琉球・沖縄史

いま、沖縄で人気の、
『目からウロコの琉球・沖縄史―最新歴史コラム』を読んだ。

Ryukyu_okinawa

















ぼくは、この本から、「沖縄の自己像」が更新されるのを感じた。

ここ数十年来の、沖縄の自己像をひとことで言えば、それは、

 本土日本人とは違うし、独立国家もつくった。

という形をしていた。

今回の『目からウロコの琉球・沖縄史―最新歴史コラム』では、それが、

 本土日本人と同じかもしれないけど、独立国家をつくった。

に更新されている。

これは、何が変わったということだろう?

 ○ ○ ○

まず、従来、「沖縄人=アイヌ人=縄文人」と言われてきたが、
最近の形質人類学や遺伝学の成果によれば、
グスク時代と言われる中世以降の沖縄人は、
本土の日本人とあまり変わらない。

この知見が、先の自己像文の、

 本土日本人と同じかもしれないけど、独立国家をつくった。

のうち、「本土日本人と同じかもしれないけど」の部分の、
後押しになっている。

しかし、これは単に認識の変化というに止まらない。

沖縄の人にとってこの知見は、
「日本人にならなければならない」あるいは、
「日本人ではないのかもしれない」という
という脅迫からの自由をこそ意味している。

この自由さは、この本で大切にされているものだ。

 ○ ○ ○

ただ、その結果、沖縄の自己像はより一層、
琉球王国にアイデンティティの根拠を求める結果になっていると思える。

 本土日本人と同じかもしれないけど、独立国家をつくった。

のうち、「独立国家をつくった」が、より強調されているのだ。

 かつて、南西諸島には「琉球王国」という独立国家が
 存在していました。

 沖縄が日本本土(ヤマト)とちがった文化や伝統を持ち、
 また自分たちを「ウチナーンチュ(沖縄人)」だと
 強く意識する背景には、
 歴史的に独自の道を歩んできたことがあります。
 日本とは別個の国家をつくりあげたことが
 「琉球・沖縄」のアイデンティティの形式に決定的な
 意味を持っているのです。
 言ってみれば、近代以前の沖縄の歴史は
 「琉球王国」の歴史だったわけです。

沖縄人は本土日本人と変わらないかもしれない。
けれど、沖縄人は、日本とは別の独立国家を持ったのである。
それが、根拠になっている。

さて、それでは『目からウロコの琉球・沖縄史』は、
琉球王国が脚光を浴びた90年代よりも、
もっとごりごりの国家論を展開するのかといえば、
必ずしも、そうではない。それが面白いところだ。

むしろ、これまでの二つの“絶対”が相対化されているのだ。

ひとつは、薩摩に対し隷属一辺倒だったわけではない、
という対薩摩関係の相対化である。

もうひとつは、奄美の発見による、
沖縄本島中心史観の相対化である。

対日本人との区別を取り払うことで、日本人との緊張を解く。
そして対薩摩関係も緊張を少し解き、
奄美の発見による内省で、
本土と沖縄の寸分たがわぬ組み込みの間に隙間が生まれる。

この隙間に風が吹き込み、自由な感じが生まれる。
この自由さは、遊びを生み、本の帯に見られるような
「昔むかし、琉球の人々は、ターバンを巻いていた?!」
という雑学さながらのコラムを産み出した。

この自由と遊戯が、この本が支持を受けている理由だと思う。

 ○ ○ ○

ところでぼく自身は、歴史の時間を新しくとれば、
沖縄人が日本人と変わらなくなるのは、
交流はあるのだから、そうなっても不思議はないと思う。

その一方、

 南西諸島がひとつの「琉球文化圏」として形作られはじめるのは
 10~12世紀頃から、日本でいえば平安時代に当たります。
 それまでの南西諸島は「奄美・沖縄文化圏」「先島文化圏」
 に分かれて両者の交流は全くなく、長く漁労採集の時代が
 続いていました(貝塚時代)。

として、交流の断絶を言うのは、
歴史の固定化ではないかと思ったりする。

そして、琉球王国も、アイデンティティの根拠には
ならないのではないかと思える。
沖縄のアイデンティティにはなるのかもしれないけれど、
少なくとも琉球弧のアイデンティティにはなれないのではないか。

琉球王国に根拠を求めれば、
それは、それこそ本土日本と代わり映えのしない歴史であり、
対抗の論理にしかならないのではないかと思える。

しかし、いまそのことを声を大にして言いたくない。

 ○ ○ ○

この本の楽しさ、そして何より、
「奄美人の目」からいえば、
奄美諸島史の成果を素直に受け止めるやわらかさを大切にしたい。

それは今までなかなか聞けなかった声ではないだろうか。

ぼくは、本の終盤、いつもの沖縄中心の自己像に終わるのかと思いきや、

 これまで沖縄は”ヤマト中心史観”に対して異議を申し立て、
 自らの「琉球」の歴史を復権させる試みを続けてきました。
 しかし、当の批判者である沖縄自身が実は”沖縄島中心史観”
 におちいっていた面があったのではないでしょうか。
 奄美諸島の歴史はこのような考えを見直す、
 ひとつのキッカケを与えてくれるように思います。

と、結ばれていて、ほっとしたのだった。

たとえば、沖永良部学の高橋孝代さんが、
自身の研究対象を「奄美・沖縄」というとき、
学的な正確性への真摯さを感じる。

また、『しまぬゆ』の著者が、「奄美・琉球」というとき、
「琉球」から「奄美」を無理やり引き剥がす窮屈さを感じる。

そして、この本の上里さんが「琉球・沖縄」というとき、
「琉球」のなかでも「沖縄」を中心に扱うという
限定の断り書きのように感じられた。

この率直さが、この本を風通しよくしていると思う。
楽しい本だ。



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コメント

これまで大和-琉球という二極構造でとらえられすぎていましたよね。
トカラ列島と奄美諸島の間に,
琉球文化圏の境界があり,
トカラ列島までは黒色で,奄美諸島から突然白色に変わるみたいな。
灰色の中間地帯が欠落している歴史や文化の理解論。
灰色も,実はグラディエーションがあるはずで,
その濃淡の実態はまだ説明がほとんどできていません。
よく考えれば,中間地帯の理解なんてあたりまえのことなのに,
琉球弧では奄美諸島史が喜山さんいわく「発見」されるまで,
そこになかなか至らなかったわけで・・・・。
でも,まだまだ沖縄県の歴史家たちも納得しているわけではありません。『目からウロコの琉球・沖縄史』著者のようにものわかりがいいわけではありません。
琉球王国論の牙城を守り抜こうとしている人たちも大勢いますから。
喜山さんからみれば,陳腐ともいえるような論争も繰り返されると思います。
でも,確実に「潮流」は変わりはじめたといえると思います。

投稿: NASHI | 2007/06/06 12:50

NASHIさん、コメントありがとうございます。

> でも,確実に「潮流」は変わりはじめたといえると思います。

この変化は、奄美への着目と研究、その公表の成果だと思います。
ありがとうございます。

ぼくも、与論も奄美も、どのように理解されたいのか、
言葉にしていくことも、がんばっていきたいと思います。

投稿: 喜山 | 2007/06/06 21:05

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