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2007/06/27

なんくるなく、ない 3

よしもとばななは『なんくるなく、ない』の「最後に」でこう書いている。

 もしかして、もう自分がババ~でおかしいの?
 時代遅れなの?
 今はもう女はがりがりの骨みたいに痩せてなくちゃいけないし、
 レアなものを買おうとしたら店の人に頭を下げなくちゃいけないし、
 妊娠出産なんてもっての他、
 社会のすみっこでこそこそやらなくちゃいけないことで、
 それでも女は早く結婚しないと負けで、
 うるさい子供は社会に迷惑なじゃまもので、
 子連れでお店に行って外食しようなんて百年早くて、
 お金が神様で、大した預金がなかったら
 銀行に冷たくされても当然なの?
 いい車に乗ってなければメンテナンスも受けられないの?
 運が悪かったら、
 弱者だったら殺されたり犯されても文句言えないの?

 などと思ってしまいそうになる(もちろんいい人もまともな人も
 通じ合える人もたくさん、たくさんいるけれど)のだが、
 沖縄に行くと、

 「ああ、よかった。自分がまともだった。
 人は自然が好きで、おいしいものが大好き。
 戦争はしたくないし、
 巻き込まれるのはどうせ市民だから反対していたい。
 平和は尊く、若者は思い切り働きたいし、
 それで稼いだお金で安くても楽しく遊びたい。
 いい友達がほしいし、
 男も女も強く優しく生きたい。
 そしてできれば生涯をなるべく楽しく暮らし、
 楽でなくてもいいから人のためになって充実したいし、
 家族にも周囲にも受け入れられたい、
 愛されたい生き物なんだ」と思える。

 沖縄が日本なんだ・・・小林よしのり先生もそうおっしゃっていたが、
 私も心からそう思う、そうでなくてはいけないと思う。

『なんくるなく、ない』は、2004年の小説作品『なんくるない』の、
取材の旅だったと思えるが、
それは1999年に始まっている。

1999年に、沖縄にはじめましてをして、
それから2005年まで、足かけ7年の、
沖縄との交流が描かれている。

この間、よしもとばななは、沖縄が好きになり惹き込まれていくのだけれど、
逆に、嫌いになっていくものが併走している。

それは、日本だ。

沖縄が好きになったから日本を嫌いになったわけではない。
やしもとばななは、みてきたように、
「大和vs沖縄」の構図からは自由な場所で声を発している。

ぼくは、この期間こそが何かを物語っていると思う。
ちょうど、1999年から2005年まで。
よしもとも引用している素材を使えば、
ノストラダムスの予言から21世紀にかけて。

ぼくたちは確かに、日本の消滅、魂の抜けを経験したのかもしれなかった。
そして、それを今も生きているのかもしれない。

よしもとはそうであればこそ、
その日本を東京でひしひしと感じればこそ、
沖縄に「本来」という言葉を当てたのだった。


Nankurunakunai













たとえば、ぼくも沖縄の人を見て、よしもとがこう書くとのを読むとはっとする。

 ものを作るということは、結果の見た目だけじゃないし、
 味は、素材を取り寄せることだけじゃない。
 本物はいつも全然深刻ではなし、いばったりしない。
 いかにもそっとしておいてほしそうにもくもくと毎日のことをする人たち。
 そういうのが文化とか誇りだとかいうことだとしたら、
 そういうのをひっくるめた人生だとしたら、
 私はいつかおばあさんになった時に
 誇りが顔に出ているような人になれるだろうか?
 なるようにしたい。

自分がこれまで、どれだけ、誇りを言えるものを作ってこれたか。
そう思えば、まだ、何もしていないという思いもよぎる。

 ○ ○ ○

そんな内省を呼び起こされながら、
与論島にとってもヒントだなと思う言葉にも出会う。

 波照間は観光客はいるのだが、観光地ではない。
 そのことを何回も思った。
 住んでいる人たちの生活の営みに、
 ちょっとだけおじゃまする、そういう場所だった。
 
観光客はいるが観光地ではない。
波照間島を観光地にしていないのは、
観光の生活化である。

生活の圏外に観光を出さない、ということだ。

与論島もかつはそうだった。
民宿のよさとはそういうものだったに違いない。

ぼくは、与論島もすべて民宿になればよいと言うのではない。
民宿にあったよさは大切だと思うということだ。

特に、魂の抜け殻として、もし人があるなら、
魂の抜け殻を生きることを強いられているなら、
その魂を呼び戻す力を、
与論島もまた提供できるだろうからである。

また、違う風にも受け取れる。

自分に何ができるのか。

そう考えると、身近なところからはじめるしかない。
身近なところから、小さく実現していけばいい。

そう、かもしれない、と。

身近なところに、「沖縄」を実現していけばいい。
それが自分のできることだ、と。


    つづく


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よしもとばななの、波照間、石垣、本島、など沖縄と奄美への何度かの旅日記。 なんというか、著者の感じている東京の狂った感じと、沖縄のある部分がそういう狂ったところを癒してくれる感じが、とても良くかかれていて、そうそう、という感じ。 沖縄ではびっくりしたあと..... [続きを読む]

受信: 2007/06/28 08:23

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