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2007/06/26

なんくるなく、ない 2

2004年発行の、よしもとばななの『なんくるなく、ない』という旅日記から、
日本の消滅と彼岸の沖縄ということを、ぼくは感じた。

何が、消滅したのだろう。

Nankurunakunai













波照間島の砂糖きびを見て、よしもとばななは書いている。

 この島の人たちの作る砂糖きびはとても評判がよくて、
 自然食の店などが直接取り引きしたいと言ってくるが、
 みんな数を決めてきびしくやるのはいやだから、
 できた分だけ買ってほしい、と言うそうだ。
 そのかわり、売り物には愛情をもって心をこめる。

 失われた日本人の心を感じて「そうだそうだ」と思う。
 その、自分と製品を大切にして愛を注ぐもともとの気持ちが
 もうちょっとでも残っていたら、
 きっと日本は今みたいにお金が神様になってしまって
 道に迷うこともなかったのに・・・。

失われたのは「心」だろうか。
よしもとは「心をなくす」ことを「お金が神様」と表現している。
ここで、沖縄を指す「本来」は、
「お金が神様ではない」ことを知っている意味を帯びる。

お金が神様。言葉自体は、守銭奴、拝金主義などのように、
以前からあったものだ。

ただ、よしもとが指す「お金が神様」は身も蓋もない、
もうただそれだけしかない「お金が神様」を指しているようにみえる。

つくるモノが売れることは誰もが願っている。
で、つくるモノが売れることばかり考えていると、
守銭奴、拝金主義なんていう揶揄を受けてきた。

でも、いまはそれがもっと徹底して、
つくるモノへの愛情が枯渇して消滅した。
それが、「お金が神様」の意味になっていると思う。

コンビニエンスストアが象徴しちるように、
新製品にあらずば製品にあらず、という商品の状況では、
消費者は商品に愛着をもてなくなる。

それは作り手も同じことで、
矢継ぎ早に新製品を出さなければならない状況では、
愛情をこめた製品づくりはできなくなる。

早死にするのが分かっているのに、
愛情をこめていたら、やりきれなくなるからだ。

 ○ ○ ○

よしもとは、もっと突っ込んだことも書いている。

 大学時代を東京で過ごした学さんがなにげなく
 「大和にはまぶいの抜けたままの人がいっぱいいて驚いた」と言った。
 その表現は私の心をノックアウトした。
 その後彼に風邪をうつされて二週間苦しんだことも
 帳消しになるほどの感動だった。

 そうか、この表現がまさに私の求めていた感覚だ、
 と思い、はっとした。

 私がお台場で、渋谷で、新宿で、電車の中で感じ、
 お店の店員さんにもよく感じるあの感じ、
 人間と向き合っているのに、
 誰もいないような感じは、
 大勢の人がいるのに、
 みんな薄く見える感じは、
 それなんだ、と思った。

心をなくしただけではない。
魂が抜けているのだ、と。

東京の街中で感じることと、少し似ている。
東京はおしゃれさんが多い。
おしゃれさんの意味は、
東京の都市空間にあわせたファッションに心を配っているということだ。
それだから、無機的な印象を与える。

それは悪いことではなく、
都市のファッションは大なり小なり、
無機化することで、都市空間に溶け込み、
調和することだから、
それが美的に感じられるのである。

ただ、このことろは、
無機的ではなく、無機物を感じる。
人が無機的を装って歩いている、のではなく、
無機物が歩いている、そういう感じなのだ。

それを「魂」が抜けているからといえば、
たしかにそうなのかもしれない。
そう思うリアリティがある。

日本の消滅とは、この魂の抜けのことだ。


   つづく



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