« 日本人になる-二重の疎外の出口 | トップページ | ネガ奄美からポジ奄美へ »

2007/05/06

日奄同祖論を書き換える

1951年、奄美連合全国総本部委員長昇直隆は、
奄美の復帰問題で、参議院外務委員会公聴会に
参考人として呼ばれ、「日奄同祖論」を展開する。

昇直隆のペンネームは昇曙夢(のぼりしょむ)
ロシア文学者にして『大奄美史』を記した、あの昇曙夢だ。

 わたくしは奄美大島出身の者であります。
 今回の奄美大島の帰属問題について、
 歴史上からの私の知っている範囲において純然たる日本人であり、
 また日本国の一部であることを立証 いたしまして、
 皆さんの御参考に供えて、そうしてこの帰属問題
 について皆さんのご協力を仰ぐ次第であります。
 もうすでに御承知の通り、奄美大島は、
 沖縄と共にずいぶんと古い、
 開びゃく以来古い紀元を持っておる島であります。

 人種の上からいっても大和民族の一つの支流であります。
 大和民族の、もっとも移動についてはたびたび行われて
 おりますが、一番最後の第三回目に大陸から朝鮮海峡を経て
 日向に落ち着いたのが、一番武力においても知能においても
 最も優秀な民族で、これを固有日本人という学名で
 呼んでおりますが、その一派が日向、大隅、薩摩
 ここから南の島々に殖民して、それがわれわれのつまり
 祖先になっているわけであります。

 もちろんそれ以前に先住民族がありました。
 アイヌのごときはその一つでありますが、
 しかしどこまでもやはり奄美人の主体というのは固有日本人で、
 これは学術上明らかに証明されておるので、
 わずかにアイヌの血が混っておるというに過ぎません。
 その点においては、日本全土挙ってアイヌの血を多少とも
 受けておるわけでありますから、
 ひとり奄美大島ばかりには限りません。
 どこまでも主体としては固有日本人になっておるのであります。
 (東京奄美会八十年史編纂委員会 1984年)

 ○ ○ ○

この、昇の「日奄同祖論」は、痛ましい。
この痛ましさは、波照間島の地名をめぐる
金関丈夫の説への宮良当壮の反論に感じる痛ましさに似ている。

昇は復帰運動の理論的リーダーであったというから、
この痛ましさの背後には、
奄美の人々の切実さがあったというべきだ。

奄美復帰後に生を受け、
日本人にならなければならないという強迫を、
当時の奄美の人ほどに感じずに済んだぼくは、
この「日奄同祖論」は書き換えられなければならないと考える。

批判したいからではない。
当時の奄美の人々をかばいたいからだ。

ありえなかったけれど、
ありえてもよかった言論として、
架空の「日奄同祖論」を展開してみよう。

 ○ ○ ○

わたくしは奄美大島出身の者であります。
今回の奄美大島の帰属問題について、
歴史上からの私の知っている範囲において
純然たる日本人であることをお伝えして、
皆さんの御参考に供えて、そうしてこの帰属問題について
皆さんのご協力を仰ぐ次第であります。

もうすでに御承知の通り、奄美大島は、
沖縄と共にずいぶんと古い、
開びゃく以来古い紀元を持っておる島であります。

人種の上からいっても日本人の一つのタイプ、
もっと言えば、日本人の源流に近いタイプであります。
日本人の、もっとも移動についてはたびたび行われて
おりますが、歴史上比較的新しいところでは、
大陸から朝鮮海峡を経て日向に落ち着いたのが、
国家としての日本を形成したと考えられていますが、
この人々が新しい日本人の層を作りました。

その一派は日向、大隅、薩摩ここから南の島々に殖民して、
それもわれわれのつまり祖先の一部になっているわけであります。

もちろんそれ以前に先住の日本人がいたわけです。
アイヌもその一つであります。
奄美人もアイヌにつながる源流を持ち、
日本人としては古型のタイプを濃く保存しています。

古型を温存している点においては、
日本全土挙ってアイヌの血を多少とも
受けておるわけでありますから、
ひとり奄美大島ばかりには限りません。

しかし、その濃度について、
日本人として高いのが特徴であります。

 ○ ○ ○

こうした上で、ぼくは書き足さなければならない。

もし、日本人がどこまでも原型を遡り、
自分の来し方を知りたくば、奄美を訪ねよ、と。
その効用は来し方を知るというばかりではない。
来し方を知ることにより、
行く末の洞察に手がかりを持つことができる。

それは人間が乳幼児の自分を遡って知ることができたなら、
これからの生き方にずいぶんと参考を与えてくれるのに似ている。

「日奄同祖論」とは、
日本人と奄美人は同祖であることを言うだけではない。
日本人の源流に奄美人を展望する。
日本人の上流のひとつに奄美人を置くのである。

いまや復帰とは、
奄美・沖縄が日本に復帰するのではなく、
奄美・沖縄に日本が復帰するのである。

 ○ ○ ○

ここで終えてもよいのだけれど、
もう少し加えておく。

「日奄同祖論」というけれど、
日本民族は決められない。
奄美民族も決められない。
それは厳密には確定できるわけではないと思う。

だから、日本民族という独立した枠組みがあり、
その中に奄美民族があるという言説自体、
本当は成り立たない。

だから、奄美人に日本人の源流を濃く見るというとき、
そこにいう奄美人は、アイヌやポリネシアや他の人々との
連続性のなかに位置づけられる。
いま、確定的に、それが何人だと言えないにしても。

ぼくたちが起源に遡行しようとするのは、
奄美人の祖型を心から知りたいからだが、
それは日本人を純化して捉えたいからではなく、
他の人種との連続性のなかに日本人を想定するからだ。




|

« 日本人になる-二重の疎外の出口 | トップページ | ネガ奄美からポジ奄美へ »

コメント

おはようございます。
素晴らしい。
なんと言ったらいいのだろうか
なんと申しましょうか。
 熱く語りたいがわたしにはまだまだです。
もっと書いて教えてください。

投稿: awamorikubo | 2007/05/07 05:19

awamorikuboさん、コメントありがとうございます。

わたしはまだ考察途上の身の上ですが、
与論・奄美に向かっては、
いつも、そんなに自己卑下しないでいこう、
と言いたい気持ちです。

投稿: 喜山 | 2007/05/07 19:38

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/14949965

この記事へのトラックバック一覧です: 日奄同祖論を書き換える:

« 日本人になる-二重の疎外の出口 | トップページ | ネガ奄美からポジ奄美へ »