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2007/05/28

奄美の胎動

「奄美諸島史の憂鬱」で、高梨さんが、
「言語」か「方言」か、と問いかけている。

与論島では、自分たちの言葉を「与論言葉」と呼んでいる。
「ゆんぬふとぅば」で、それを標準語にすれば、
「与論言葉」になるわけだ。

菊秀史さんが『与論の言葉で話そう』と、
「与論の言葉」を書名に選び、
「与論語」とも「与論方言」ともしなかったのは、
日常、「ゆんぬふとぅば」(与論言葉)と言っているからだと思う。

ぼくは、身びいきを込めていえば、
「与論方言」と、本体の存在を前提にした言い方でもなく、
「与論語」と気負うでもなく、
ただ、その存在を指摘しただけのような
「与論言葉」という表現の、
いかにも与論落ちのつつましい佇まいが好きだ。

与論だよなぁと思う。

 ○ ○ ○

もとい。「言語」か、「方言」か。
ぼくの感じ方は、「方言」、だ。

といっても、標準語を前提にした「方言」ではなく、
"汎方言観”とでも言えばいいだろうか。

この世には方言しかないから、
当然、琉球方言になる、とでもいうような感じ。

標準語は、江戸を中心とした関東方言、
いま世界は、イギリスの方言を採用している。
そんな見方だ。

「民族」は確定できないと考えるのと同じように、
他から全く独立した「民族語」も確定できない。
全て連続性のなかにあるという仮説から思っていることだ。

ぼくは英語は中途半端にしか喋れない。
与論言葉は、英語ほどではないが、やはり中途半端にしか喋れない。
世相はグローバルを謳い、
英語を標準語として指定しつつあるようにみえる。

けれど、ぼくの汎方言観から言うと、
菊さんに弟子入りして、しっかり与論言葉を覚えたら、
英語に取りかかってみてもいい。

呑気な言い草かもしれないが、
どうしてもそんな順番になる。

 ○ ○ ○

それにしても、

 これまで沖縄考古学の研究成果では、琉球王国成立以前における
 「外来者」の問題は認められないとされてきました。発掘調査結果
 という「実証的」「事実」から帰納された考古学的「歴史」こそが、
 沖縄本島における自立的発展の結果、国家形成に至るという
 沖縄中心の歴史理解を生み出し、支えてきたのです。

というのはびっくりする。

外来者がないわけはないし、
交流がないわけがない。

それは、ごくごくふつうに考えてそうだろう。

高梨さんの言う「沖縄中心の歴史理解」は、
「日琉同祖論」の反作用にみえる。

「日琉同祖論」系譜の記述を見てびっくりするのは、
琉球弧には、本土から南下する以前には、
まるで人っ子一人いなかったような書き方をすることだ。
「沖縄中心の歴史理解」は、まるでその反動だ。

 ○ ○ ○

80年代から90年代にかけて、
沖縄の表現が、沖縄を越えて届くようになったとき、
ぼくは心底、嬉しかった。

当時の表現の水準は、
沖縄というローカリズムに頼らなくても
心を打つ普遍性を獲得していると思えた。

奄美はそうなれるだろうか。
奄美がそうなるにはもっと時間がかかるだろうな、と思った。

NHKが大河ドラマで『琉球の風』を組んだときもそうだ。

どうも男性というのは、
ある一定年齢以上になると時代物に夢中になるらしい。
ぼくの身内もそうだ。
やれ、秀吉がどう、齊藤道三がどう、とやたら詳しいのである。

しかし、こと与論島や琉球のことになるとどうだろう。
何か質問すると、日本歴史に対する豊富な知識はどこへやら、
「さあどうしてだろうね。昔からそうだったんじゃないかね」
止まりなのである。

そこへ『琉球の風』、である。
ああこれで、うじゃたー(おじさんたち)が繰り広げる
歴史の饒舌な語りに、
自分たちのことも加わると期待したのだ。

しかし、当然といえば当然のこと、
与論島が出てくるわけでもなく。

そしてそれは当り前にしても、
時を同じくして発せられる沖縄からのメッセージが、
琉球王国をアイデンティティの根拠にしているのを感じるにつけ、
鼻白んでいくのをどうしようもなかった。

誤解を怖れずに言えば、ずいぶんシンプルだなと思った。

日本が国民的規模で沖縄へ理解の触手を伸ばした時に、
沖縄から差し出される沖縄像が、
琉球王国至上に傾斜するのが残念だった。

沖縄自身による沖縄理解が、
琉球王国止まりになりませんようにと願った。

 ○ ○ ○

けれど、沖縄自身による沖縄理解の限界が見えても、
ぼくは、それを相対化するものを対置できたわけではない。

だから、高梨さんが、
「外来者」の証拠が奄美から出た考古学の成果をもとに、

 この数年で奄美諸島史を含みこんだ琉球史の枠組は、
 相当に変化してくると思います。

こう言及してくれるのは、頼もしい。

奄美の時代の胎動を感じるではないか。




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コメント

沖縄県の考古学者は、奄美諸島の考古学的成果について、
飼い犬に手を噛まれたように感じているのではないでしょうか。

それにしても、「言語」か「方言」かといういささかヒステリックな問いかけに「言葉」と述べられているのは、まいりました!という感じです。

投稿: NASHI | 2007/05/28 23:01

NASHIさん、コメントありがとうございます。

考古学の成果が、琉球弧の表情と輪郭を明らかにしてくれること。
これからも期待しています。

それにしても、「琉球弧のざわめきを聴け!」は、
いいアジテーションになるタイトルですね。

投稿: 喜山 | 2007/05/29 17:23

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