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2007/05/05

日本人になる-二重の疎外の出口

沖縄と分離した奄美の日本復帰運動は、
奄美の意思には違いないが、なんというか、
奄美人が奄美人として自律的に行ったものとは言いがたいと思う。

奄美は、1609年の薩摩藩による侵略を契機に、
二重の疎外を受ける。

 文化的共同性に顔を向ければ政治的共同性が異なると無視され、
 政治的共同性に顔を向ければ文化的共同性によって差別される。

この、二重の疎外に対して、
奄美人は出口を切望した。

そしてすがるように見出したのは、
「日本人になる」という出口だった。

近代以降、奄美人の本土や満州への移住は、
日本人として平等な存在という価値があればこそ可能になったのだ。

二重の疎外の解消への希求は痛切で、
文化的共同性への参加は当時その出口には見えなかった。
奄美の人々は、「日本人になる」ことに出口を見出したのだ。
それは、命がけで飛躍と言っていいものだったと思う。

奄美・沖縄の標準語励行運動の激しさは
そのことを雄弁に物語っている。

こうして奄美は、三度、沖縄との訣れとを経験してきたのだ。

 ○ ○ ○

しかし、この三度の訣れは、いずれも他律的なものだ。
近世のはじまりは支配勢力の登場として、
近代の始まりはその延長として、
そして、戦後は二重の疎外の解消として。

だから、三度の訣れを経た上で、
改めて沖縄に向き合い、
対話をしていくのはこれからの課題だと思える。

それは、奄美とは何か。
そのことに回答することと別のことではない。


補記
もちろんこの間、まるっきり没交渉であったわけではない。
沖縄復帰運動の際には、
与論島の沖、北緯27度線の洋上からのサーチライトと、
辺戸岬のかがり火は、呼応しあうように対話をした。

しかしこのとき対話の主体は、
沖縄と与論というよりは、
沖縄と日本だった。
与論は日本の象徴を担ったのだった。

奄美と沖縄は、他者ではなく日本でもなく、
奄美と沖縄として対話を必要としている。


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コメント

クオリアさん

 沖縄と奄美と与論と、そして日本との
係わり合いになることかと思います

 与論の「ラッパ節」には異なった三つ
の曲があります。
その中の「与論小唄」に係わることです

 与論の「ラッパ節」は、八六調の古い
民謡にはなかった七五調のヤマト言葉で
の曲として与論でつくられ唄われた与論
の新しい民謡、島唄です

 それは沖縄でレコード化された「十九
の春」の元唄であり、編詞・曲というよ
りも「与論小唄」が真似されて唄われた
というのが真実に近い、と私は思ってい
ます

 ところが、最近『「十九の春」を探し
て』(川井龍介著)が届けられました
 多分、プロだと自認している人たちの
巧妙な仕掛けに思えてなりません

 「十九の春」の唄とほとんど同じの曲
が60年以上の前、第二次世界大戦前に
奄美の加計呂島でつくられて、唄われて
いたというです

 与論の「ラッパ節」であるユンヌ唄の
「与論小唄」が島独自の文化であること
を、どうしても論証したいと考えている
矢先でした

 黙認することはできなくなりました
「与論小唄」であれ「十九の唄」であれ
多くの人に愛され、唄われることに異論
はありません
それこそが唄の命でもあり喜ばしいこと
だと思っています
 ユンヌンチュはおおらかにそう思って
いるでしょうね

 ただ、民謡の本来の素朴な思いを逆手
にとって、作詞・作曲者不明であること
を利用して、作者がいたなどと云いだす
ような嘘は許せません

 この本は売れるかもしれません
しかし、私はユンヌの、親先祖の名誉に
ためにも「与論小唄」(与論ラッパ節)
が島独自の文化であり貴重な財産である
ことを必ず論証するつもりです

 すみませんが、いうべき場所もないの
で緊急に貴兄のサイトで云わせていただ
きます

投稿: サッちゃん | 2007/05/06 12:48

サッちゃんさん、コメントありがとうございます。

いやぼくは全然知らなかったので考えさせられました。
大切なことですね。
本を読んでみようと思います。

サッちゃんさんの追究が実を結びますように。

投稿: 喜山 | 2007/05/06 18:44

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