沖縄州か九州か
「沖縄か鹿児島か」という問いは、
道州制にいう「沖縄州か九州か」という問いを引き寄せる。
実のところ、ぼくは道州制の議論がどこまで進んでいるか、
沖縄はどういう意思表明をしているか、
当の奄美はどう考えているかをよく知らない。
けれど、そう遠くない将来に直面する課題として、
考えたいテーマだ。
たとえば、沖縄タイムスは、
奄美自身の考え方への尊重を言っている。
ウィキペディアでも奄美の去就が注目されている。
また、喜納昌吉は、当然、沖縄州と発言している。
○ ○ ○
沖縄州か九州か。
どちらにしても大切なのは、
奄美が奄美として意思表示をすることだと思う。
しかも、復帰運動のように、
日本人になるという切迫した思いからではなく、
奄美人としてどうするかを考えなければならない。
昨日、沖縄か鹿児島かを問う質問を前に、
すぐには答えかねると感じた。
道州制でいっても、沖縄州にせよ九州にせよ、
現状の奄美は、彼らにとっては
お荷物に違いないと思うからだ。
もしそうなら、付録としての奄美から、
お荷物としての奄美になる他ないことになる。
でも、奄美の意思表示がなければ、
沖縄州にいこうが九州にいこうが、
お荷物扱いは目に見えていると思う。
○ ○ ○
意思表示するには二つの道がある。
1)経済的な自立の道筋をつけること
経済的に自立せよということではない。
経済活性化の方途を奄美としてみつけることだ。
2)奄美の基層性・世界性を明示すること
奄美の文化が、琉球弧の文化と同様に、
日本の文化の基層を構成し、それが、
人類的な基盤に届くものであることを明らかにすること。
あるいは、奄美の文化が世界性を持っていることを示すこと。
この二つが大切だと思う。
○ ○ ○
要は、沖縄、九州に拾ってもらうのではなく、
どちらからも、来てほしいと言われるのが理想だし、
そこへ向けて動くべきだと思う。
ぼく自身は、沖縄への愛着が深いけれど、
上記のステップを経た後であれば、
どちらの選択も意味あるものになると思う。
沖縄州であれば、沖縄に奄美が加わることで、
琉球弧の広がりが確認しやすくなるし、
琉球弧としての経済活動も可能になる。
また、九州であれば、九州を多層性へ解放する役割と、
沖縄州との交流の担い手になる。
この書き方では、まだまだ抽象的だけれど、
奄美が奄美自身の自信を持つ機会でなければならない。
○ ○ ○
与論でいえば、
与論島は沖永良部との合併問題のときに初めて、
与論とは何かという問いに直面し、
与論は与論でしかありえないという結論に達した。
同様の問いなのだと思う。
○ ○ ○
と、ここまではぼくのドゥダンミンだけれど、
昨日、盛窪さんにコメントをいただいた。
沖縄県に属すべきであり、道州制はもちろん沖縄と考え、意識的に
沖縄を基点に世界への発信を考えています。
そうなると、与論の地球上での位置は可也有利になるであろう。
まずは沖縄北部圏の交流が大切だと思う。
こうした声が何より大切だと感じる。
ぼくのように島外で考えるより、
島の地に足をつけた方のはっきりした意思表示は、
何にも変え難いから。
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コメント
クオリアさん
凄い!まったく同感です!
やっと 本領を発揮されましたね
頼もしく、夢が湧いてきました!!
長生きしたくなりました
投稿: サッちゃん | 2007/05/01 23:44
黒潮のうねりとともに、風は南から、と思います。
が、「エラブと徳之島の間には、目に見えない境界線がある」という言葉を思い出しもします。ここをどう超えていくか、またサンゴ礁が隆起した島と沈降型の島の違いをどう捉え、つむじ風をどれだけたくさん起こしていけるか、ではないでしょうか。非常に感覚的かつ抽象的な言い方ですが。
投稿: sarah | 2007/05/02 01:47
サッちゃんさん、コメントありがとうございます。
共感していただけるのはとてもありがたいことです。
もっと修練を積んでいきたいので、
これからもアドバイスいただけると嬉しいです。
投稿: 喜山 | 2007/05/02 17:34
sarahさん、コメントありがとうございます。
超え方は、違いを違いとして持ったまま、
ゆるやかにつながることではないかと思ったりします。
奄美も、単純に色をつけようとすれば、
奄美大島の色で全体を塗ることになりかねないですが、
それではきっとそれぞれの島は納得しませんね。
sarahさんの本のような作り方が大切と思います。
それから、身近なものに対しては小さな違いが大きく見えますよね。
でも、エラブと徳之島の間の境界線より、
七等灘の境界線の方が深いのも確かです。
その基盤の力を生かしたいです。
投稿: 喜山 | 2007/05/02 17:35