« 「ふるさと納税」を与論へ | トップページ | 「十九の春」-ユンヌが育んだヤマトうた »

2007/05/10

沖永良部学から与論論へ

高橋孝代さんは、
論文「沖永良部島民のアイデンティティと境界性」の終わり近くで、
主張している。

 本研究を通じて認識されたことは、
 このようなアイデンティティの混淆性は、
 もともと島民にそなわっていたわけではなく、
 それぞれ原因があって構築された結果、
 表象されたものであるということである。

 そして、この状況は変化のプロセスにあり
 現在も構築の途中にある。
 明治以降の近代化に続き、1953年の日本復帰後、
 激化をみせた本土化は、今その意義が問い直され、
 奄美の島々ではアイデンティティを取り戻そうとする
 動きがみられる。

 その方向性は、すでに袂を分かち修復の困難な
 古琉球時代の枠に戻ることはできず、
 完全に沖縄に向かうものではない。
 奄美の島々に住む人々は、今年(2003年)
 日本復帰50周年を向かえ、
 独自のアイデンティティを模索している。
 2003年9月5、6日には奄美の日本復帰50周年を記念して
 第一回「世界の奄美人大会」が奄美大島の
 名瀬市奄美文化センターで開催された。

 これは、沖縄が独自性を主張し、連帯を高めようと
 「世界のウチナーンチュ大会」を開催していることを参考にした
 ネーミングであることは明らかであるが、
 奄美の人々は「本土でも沖縄でもない」ところに
 奄美を見出そうとしている。
 「アマミンチュ」という言葉は、そのような意味を含む主張である。

 だが、「奄美」という場合にも奄美大島が中心であり、
 奄美という枠内でさえ沖永良部島は周縁化される。
 奄美大島主導である今回の「世界のアマミンチュ大会」で、
 沖永良部島民からは、島独特の芸能「やっこ」を
 披露することで個性をアピールした。
 沖永良部島民は今後、奄美の一員として
 アマミンチュのアイデンティティを求めると同時に、
 本土でも沖縄でも奄美でもないエラブンチュとしての
 アイデンティティを求めていくであろう。
 筆者もその一人である。
 (「沖永良部島民のアイデンティティと境界性」)

自分は何者かという自己認識が、
島人のなかで幾重にも重ねたようにあるのは、
もともとそういうものだからではなく、
歴史的な原因があってのことだ。

それは、いまも状況の変化に応じて作られつつある。
たとえば、現在では、島人としての自己認識を
取り戻そうとしているところだ。

そこで、高橋さんは、

 その方向性は、すでに袂を分かち修復の困難な
 古琉球時代の枠に戻ることはできず、
 完全に沖縄に向かうものではない。

と言うのだけれど、ぼくはここは必ずしもそう思わない。
というか、沖縄に限らず、対話をする必要があると考える。

 ○ ○ ○

与論島では、釣り糸がもつれると、
たしか、まちぶる、と言う。

琉球弧の島人の自己認識は、まちぶっている。
まちぶっているから、必要なのは、ほぐすことだ。
その、ほぐす術が、対話である。

子どもの頃、まちぶって絡み合った釣り糸を
ほぐすのに夢中になった。

まちぶった糸を、ほぐすには、
最初の糸口をつかむのがポイントだ。
そして、そこからひとつひとつ丁寧にほぐしていく。

糸口を見つけるのは時間がかかるけど、
まちぶった糸をほぐして元に戻していくのは気持ちいい。

高橋さんの論文に刺激を受けて、
与論をほぐすには、

1.与論
2.奄美
3.沖縄
4.薩摩
5.日本

という対話の順番を辿るといいと考えた。

こうすることで、ユンヌンチュを純化することが
目指されるのではない。
ユンヌンチュを豊かにすることを目指すのだ。

日本でもあれば奄美でもあれば沖縄でもあることを
可能にしているユンヌンチュという基底を見つけるのである。

高橋さんは、
「沖永良部島民のアイデンティティと境界性」を通じて、
沖永良部学の創設を目指す。

ところで、ぼくは学問をしたいわけではないから、
与論学とは言わない。

与論島と与論人(ユンヌンチュ)を元気づける
いわば与論・論を展開したいと考えている。

ぼくは高橋さんの沖永良部学との対話で、
与論論の手がかりを掴めた気がしている。

奄美の内側から、わたしは何者かを問うた
この論文の意義はとても大きい。
高橋さんの労に敬意を払い、感謝したいと思うのだ。


|

« 「ふるさと納税」を与論へ | トップページ | 「十九の春」-ユンヌが育んだヤマトうた »

コメント

おはようございます。
エイサーについてはもっと知りたいですね。
奄美の六調ではなく、エイサーの太鼓と踊りのリズムが
与論の血には合っていると思う。
何故、伝わってなかったか意味があると思う。
まちぶいを解く、確かに、
イライラしたら負けです。
落ち着いてじっくりと対話したいものです。
糸口は道州制にあるかもしれません。

投稿: awamorikubo | 2007/05/11 04:06

awamorikuboさん、喜山です。

エイサーが伝わっていなかったわけ。調べてみたいですね。

ときに与論では、道州制の議論、ありますか?

投稿: 喜山 | 2007/05/11 09:13

喜山さんコメントありがとうございました。
高橋さんとは時々メールでやり取りしていますので、
喜山さんのブログ等についてお知らせいたします。
また今後ともどうぞ宜しくお願いします。

投稿: 松島泰勝 | 2008/01/11 08:03

松島さん、コメントありがとうございます。

松島さんの活動、応援しています。
こちらこそ、これからどうぞよろしくお願いします。

投稿: 喜山 | 2008/01/11 19:34

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 沖永良部学から与論論へ:

» 全島エイサー8月31日から コザ運動公園で3日間 [全国を旅した旅人が創る沖縄情報サイト]
 【沖縄】沖縄全島エイサーまつり(主催・同実行委員会=沖縄市、琉球新報社、沖縄テレビ放送、沖縄市観光協会)の2007年度実行委員会が31日、沖縄市のデイゴホテルであった。今年の第52回大会は8月31日、9月1、2日の3日間、沖縄市コザ運動公園(陸上競技場...... [続きを読む]

受信: 2007/06/01 15:18

« 「ふるさと納税」を与論へ | トップページ | 「十九の春」-ユンヌが育んだヤマトうた »