ここが違う!与論と永良部
高橋さんの論文で、
教えてもらわないと分からなかったのは、
「世の主伝説」と「西郷伝説」だ。
○ ○ ○
言われて思い出す。
沖永良部島でかすかに覚える違和感は、
そこに、「西郷隆盛」の文字を見ることだった。
止めてくれよ、薩摩じゃあるまいし。
ぼくはただの偏見でそう思ってきた。
けれど、考えてみれば、西郷は遠島で
沖永良部に滞在したことがあったのだった。
その間、約一年半。
このとき西郷は近世の政治経済の知識を伝える。
この島への寄与が西郷への敬愛を生んでいることを、
高橋さんの論文から教わった。
ここは与論とはまるで違うところだ。
奄美のなかでも与論は、
薩摩の影響の及ぶことの少なかった地域なのだろう。
ぼくは、西郷が奄美の島々から受けた影響に関心を持つ。
沖永良部が西郷に与えたもの、だ。
○ ○ ○
もうひとつ、与論と違うんだなぁと教えてもらったのは、
世の主伝説だ。
与論も琉球王国から、
支配者である世の主、北山王の王舅は来ている。
でも、伝説化されるほどではない。
世の主に対する島の人の親和感は、
沖縄への親和感と地続きになっているのだろう。
与論も沖縄への親近感はあるけれど、
それは、琉球王国を媒介にしていないということだろうか。
すると与論は、琉球王国としての沖縄からの影響も薄いのかもしれない。
○ ○ ○
沖永良部は、薩摩、琉球に対して、
政治的共同性に属する人物を介した
親和感を持っている。
対して与論は、薩摩に対しても琉球に対しても、
親和感は、政治的共同性に属する人物を介していない。
これも、与論島の特徴だと分かった。
与論と沖永良部との違い、勉強になりました。
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コメント
クオリアさん
的を射ていると思います
どう論証するかでしょうね
島唄や島言葉や伝承の奥の深さやゆかしさに
いっぱい、いっぱい詰まっていると思われます
与論町誌に、「無学な先祖が、どうしてこんな
ことを知っていたのか(原文の表現ではない)」
と記述されていたのには唖然としました
「どっちが?」と呆れることよりも、今を未来
を生きる世代が自らのことも含めて謙虚に親先祖
の業績を見つめなおし、継承すべきかと思います
互いに切磋琢磨して、先祖の残してくれた財産
を大事にしたいと考えています
投稿: サッちゃん | 2007/05/02 23:08
こんにちわ。saitoです。
与論島の豪傑、按司根津栄と大道那太、サーギマートゥイは
琉球(これは多分北山でしょうが)にゆかりのある人物たちと
して語り継がれてますね。
でも確かに、そこから琉球に対する「親和」というものは
強く読み取れなかったというのが私の印象です。
不思議です。
投稿: saito | 2007/05/03 11:14
saitoさん、コメントありがとうございます。
そういえば、与論には貴種流離譚は少ない気がします。
不思議ですね。面白いテーマです。
投稿: 喜山 | 2007/05/03 18:49
サッちゃんさん、コメントありがとうございます。
やっぱり島の言葉が大切なんですね。
新しい言葉もあれば古い言葉もありますが、
古い言葉の持っている時間の長さを図りたいものです。
最初に、「わぬ」と言った瞬間に立ち会ってみたい。
投稿: 喜山 | 2007/05/03 18:50
saitoさん
不思議というか
それがユンヌのゆかしさ、奥深さの
ように思えます
しかし、先祖ののこした遺産を曖昧に
せずに謎を解き明かす時代を迎えてい
るような気がしてなりません
ユンヌの伝承の偉人が歴史上でも、
存在していたと信じます
字ではなく言葉で確かに受け継がれ
て残されている島言葉や唄の確かさは
一体、何なのでしょうか
沖縄との関係の深さはあったにして
も仰るとおりの「親和」さについては
、私も同感です
投稿: サッちゃん | 2007/05/06 11:29