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2007/05/11

「十九の春」-ユンヌが育んだヤマトうた

「『十九の春』を探して」(川井龍介)で楽しかったのは、
「十九の春」の元歌と言われる「与論小唄」が、
替え歌のように、
同曲異詞で琉球弧に広がっているのを知ったことだった。

 ♪ 木の葉またいなわが与論
   何の楽しみないところ
   好きなお方がおればこそ
   嫌な与論も好きとなる

与論では馴染み深い「与論小唄」のフレーズだ。

それが、八重山では、「木の葉みたいな八重山で」となり、
与那国では「木の葉みたいな与那国は 決して好きではないけれど」と、
歌われているという。

まことにまことに、琉球弧とは、
お互いの共通性を知らないままに共有している地域のこと、
と定義したくなるほどだ。

琉球弧らしい、とぼくは思う。

また、著者は、「十九の春」と同じメロディの
「嘉義丸のうた」という曲が、
加計呂麻島の唄者、朝崎郁恵の父、朝崎辰恕によって、
1943年につくられたという事実を見つけて、
ここに、もうひとつの「十九の春」の発祥を記した。

「『十九の春』を探して」を通じてぼくが感じるのは、

 「十九の春」とは、琉球弧が育んだヤマトうた

ということだ。

「十九の春」を探して ~うたに刻まれたもう一つの戦後史~

Photo_74










 ♪ ♪ ♪

ただ、この本の読後感はよいものではなかった。
なんというか、座りの悪さが残るのだ。

ここから先、書くことは、
与論島の出身者感情によるものと見なして
割り引いてもらっても構わない。
けれど、書かないわけにいかない気がしている。

この本で、著者は、「ラッパ節」が「与論小唄」となり、
それが「十九の春」の元歌になっているという、
作者不詳の伝承について、
「ラッパ節」から「与論小唄」へという流れには
「無理がある」としている。

しかし、そのことは三百ページに近い本文で、
じっくり論証されているのではなく、
「エピローグ」でやっと主張されるのだ。

そう言われてみれば、本文中にそう言いたいのだろう
伏線を随所に感じるものの、
この、「ラッパ節」と「与論小唄」への断絶の持ち込みは、
唐突な印象を否めない。

そして、「十九の春」の原型として著者は、

「与論小唄」
「ジュリグァー小唄」
「失恋歌・悲恋歌」
「嘉義丸のうた」

の四つを挙げる。

その上で、このうち作られた時期がはっきりしているのは、
「嘉義丸のうた」だけ、と指摘するのである。

わざわざ「ラッパ節」と「与論小唄」を断絶させた上で、
原型はあるはず、として四つの歌を挙げる手つきからは、

 「十九の春」とは、琉球弧が育んだヤマトうた

であるという伝承の牧歌性は失われて、
近代的な窮屈さを感じてしまう。

それならこの本は、
これまでの伝承とは異なり、
真実は、作者ある「嘉義丸のうた」が元歌であると
主張しているのかといえば、そういうわけでもない。


与論島出身者として感じることもある。
与論での取材で、島の人たちは、
「十九の春」の元歌は「与論小唄」であると主張するわけでもなく、
実に正直におおらかに、
「与論小唄」を戦後に聞いたとして、
観光ブームとともに作られたという
著者の仮説に引用されている。

ことの真偽以上にぼくは、
与論島の人の、過去や実績にこだわらない、
島民性のあらわれを否応なく感じてしまう。
ぼくが身近に感じてきたこととしても、
健忘は生活の知恵に昇華されている風なのだ。
いかにも与論島の身体性らしい。

でもぼくは、

 「十九の春」とは、琉球弧が育んだヤマトうた

という伝承の牧歌を残しておきたいと思う者だ。
また、与論の人が、

 「十九の春」とは、ユンヌが育んだヤマトうた

と素直に言って済ませられる牧歌も損ないたくない。

少なくとも、この本によってそれが失われてはいけないと思う。

ぼくは、この本からは、
「十九の春」の起源を探る切実さを感じることができなかった。
著者はなぜ、何を求めて、
「十九の春」の原型を追究したのだろう。

これでは、哀しい史実も作者不詳の伝承もうかばれない。
取材された人々の労も報われないのではないか。
中途半端に投げ出された仮説を前に、そう感じる。

著者は、この本で誰に、何を、伝えたかったのだろう。
「十九の春」の作者不詳の謎の前に、
そのことが小さな謎として胸につかえる。



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コメント

 クオリアさん

 沖縄の俗謡だとされて流布されている「十九の春」の
元唄である「与論小唄」若しくは与論の古老(失礼!大
先輩です-ションシ、ウガンパイデール)に「ラッパ節
」と今も呼ばれているは、まさに与論で生まれ、作られ
て唄われたユンヌの「宝」であることを、自信をもって
云わなければならないのだと、私はずっと信じています

 これまでに聴いた与論の三つの「ラッパ節」のうちで
最も新しい「与論小唄」として唄われている素晴らしい
まさに「ちゅら唄」は、基山哲郎さんのその流行りの時
のレコードの唄だと私は思っています

 「そうです、その通りです。」お分かりかと察します
「『十九の春』を探して」の第二章の最後の場面に登場
している方です

 与論の人、つまりユンヌンチュはそのことを皆んなで
はなくても、ほとんど知っているのです。筈なのです。
云わないだけです。もしかして、云えないのです。

 勿論、私は所謂ところの「訳知り」を自認しています
だから、私は云い続けることが必要だと思っているし、
クオリアさんもめげずに云い続けなければいけないと、
これもまた私が勝手に思っています

 今日は、これまでにして・・・
「五尺ヘンヨー」の歌詞を拝借します


 

投稿: サッちゃん | 2007/05/11 23:32

おはようございます。
私もしっくりとは来なかった読後感でした。
嘉義丸の歌については初めて知ったので興味があります。
私は与論ラッパ節の軽快な歌い方の方が好きです。
「座りの悪さ」を感ぜずにはいられませんね。
取材にはお付き合いはしませんでしたけれど、
そのことで、叔父の歌った場面が脳裏に焼きついていて
思い出の曲となっています。
与論が元歌の地でなくてもいいではないでしょうか。
そのほうがむしろ気楽に歌えます。
琉球弧の一員として。

投稿: awamorikubo | 2007/05/12 03:26

サッちゃんさん、コメントありがとうございます。

言い続けることは大切だと思っています。
しない意思表示は、無いと同じですから。

サッちゃんさんの論証を期待するものです。

投稿: 喜山 | 2007/05/12 22:38

awamorikuboさん、喜山です。

盛窪さんのように、
島の人ひとりひとりの感じ方が大切ですし、
ぼくの知りたいところです。

投稿: 喜山 | 2007/05/12 22:40

クオリアさん

 ルポライターの川井龍介の著書に反論することは、
狭いところで、いつもイッコイしている、それでいて
イッコイの苦手な「ユンヌンチュ」には、ガナムヌに
されるかもしれません

 ガシガ ワナ イチャーシチャンチン マイランド
マイランクトゥヤ!

 morikubo ure-naga kibariyo
nyamannta-naya gasidwu naitasiga
nyamakaraya nyamagaden ne-sya naranndo
uyawhehuji twuji n-tya de-jini siribadwu
hisasiburino yunnu-hutwuba ni nya- daritan

投稿: サッちゃん | 2007/05/12 22:59

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