« 侵略の根拠 | トップページ | 沖永良部の抵抗 »

2007/05/20

琉球の盾としての奄美

一六〇九年三月四日、樺山久高を大将とする薩摩軍は、
三〇〇〇人の将兵を一〇〇艘の軍船で率い、山川港を出発する。

そして四月四日、尚寧王が首里城を下城。
この間、わずか一ヶ月。

薩摩軍は、奄美大島、徳之島、沖永良部島を順次攻略。
沖縄島に至り、今帰仁、読谷を落とし、那覇・首里を攻める。

奄美大島で最初の戦闘があり、
徳之島では、二〇〇人から三〇〇人の犠牲者を出す。
奄美、最大の戦闘になったという。

ちなみに、ここでも与論島は記述にすら登場しない。

 ○ ○ ○

ぼくは、『しまぬゆ』の薩摩侵攻の過程を読んで、
奄美の果たした役割に思い至る。

奄美は琉球の盾となって薩摩(大和)に対したのだ、と。

薩摩は琉球侵攻の際、まず奄美に侵攻する。
それはものの道理で、大和から琉球に行こうとすれば、
まず、奄美に出くわすからである。

それは地理的条件に過ぎないのだが、
しかし、結果として奄美は沖縄より先に薩摩と戦闘に入る。
奄美大島の人、徳之島の人はそれを意識したわけではないが、
琉球の盾となって、闘ったのである。

盾としての意味は、
侵略後の過程がさらに雄弁に物語る。

奄美割譲と黒砂糖の収奪。
これは琉球からの視点でみると、
奄美は琉球のなかで、
琉球の盾となって薩摩の収奪を、
沖縄以上に一身に受けていた。

そう言えることに、気づく。

 ○ ○ ○

同じ言い方をすれば、
それ以降、世界は沖縄からやってくる。
ペリー提督がそうであったように。
米軍がそうであったように。

そこでは、沖縄は日本の盾となって、
ある犠牲を一身に受けてきた。

そのことは広く知られているし、
現在の問題でもある。

ぼくたちは、そのことに思いを馳せたことはあるけれど、
奄美の果たしたことに思い及んだことは残念ながら無かった。

でも奄美の役割を知ることは大切だ。
奄美は、まず奄美が自分自身を評価することが
何より大切なことであり、
かつ、それが沖縄との対話のなかで、
沖縄に向ける言葉にもなるからだ。

そのことを恩着せとして言うのではない。

奄美は、沖縄と三度の訣れを経験したきた。
しかし、実はそれだけではなく、
図らずも、沖縄の盾になったこともあった。
知らぬ顔を決め込んできただけではないと
言えるのではないかと思うのだ。

このことを相互に知ることは、
再会の対話をするうえで、必要なことだと思える。
それが奄美と沖縄の、
お互いの関係を知ることにつながるに違いない。

 ○ ○ ○

追記
それにしても、歴史的大事件に登場しなことのうちに、
与論島の心性も形成されてきたに違いない。

沖永良部を出発した薩摩軍が、洋上を通過するのを
恐怖と安堵で眺めたであろう時。

沖縄島に米軍が上陸して戦闘状態になっているのを
恐怖とともに島から見つめた時。

大きな権力にとって、
取るに足らぬ存在というあり方のなかで、
正直で、極端にはにかみ屋で、喧嘩は苦手で、
自己主張はどこかに置いてきてしまったような、
あの優しい心性は培われてきた。



|

« 侵略の根拠 | トップページ | 沖永良部の抵抗 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/15100301

この記事へのトラックバック一覧です: 琉球の盾としての奄美:

» 沖縄 土産 [沖縄 土産]
沖縄の土産って喜んでもらえるんでしょうか?私が本土にいたときは沖縄の土産の代表「ちんすこう」の評判.. [続きを読む]

受信: 2007/05/21 20:43

« 侵略の根拠 | トップページ | 沖永良部の抵抗 »