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2007/05/13

奄美人の目

 歴史は勝者が自己を正当化し、
 未来を支配するために書かれたものである。
 そこに敗者の論理はない。
 奄美の人々は大和世の時代には
 鹿児島に対して極端に劣等感を抱き、
 奄美における事象の是非善悪すべてを薩摩が握り、
 明治維新後は皇国史観によって奄美史が捉えられてきた。

 奄美社会の歴史的転換点になった一六〇九年に至るまでの
 歴史を見つめ直し、琉球側の対応や戦闘の状況、戦後処理など、
 これまで明らかになっている史料をもとに奄美人の目で述べてみたい。
 (『しまぬゆ1』

「奄美人の目」という視点がいい。
それが、「しまぬゆ」の書かれた意義だ。

けれど、ぼく自身は躓くことの多い本だった。
奄美と1609年にまつわる史実は学ぶことが多く教えられた。
けれど、その史実に向けられる視点に躓くのだ。

「奄美人の目」はそうでなくていいのに、と。

だから、「しまぬゆ」との対話は、
ありうべき「奄美人の目」について、
提案していくことだと思っている。

「奄美人の目」という視座の設定を生かすために。

 ○ ○ ○

たとえば、

 歴史は勝者が自己を正当化し、
 未来を支配するために書かれたものである。
 そこに敗者の論理はない。

これは、いまも続いている歴史観かもしれない。
けれど、「奄美人の目」は歴史をこう捉える必要はない。

歴史は、ふつうの人の行いや感情の事実の総和だと思う。
ふつうの人が主役、である。

奄美人が主役になる語りが、奄美の歴史である。
勝者の支配の書にする必要などない。
そうではないだろうか。



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