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2007/05/16

母系制の島々

がんち、むぁんばん、なゆんやあらじげーら。
(そんな風に思わなくていいのではないでしょうか。)

『しまぬゆ』を読んでいると、随所でそう言いたくなってくる。

 琉球王国の政治は祭政一致と言われ、
 聞得大君を通して受けた神託にもとづき国王が政治を執り、
 聞得大君の祭祀権が国王の政治権を越えるほどの力があったと
 考えられているが、それは表向きのことである。
 聞得大君を始め君々もノロも全て任命権は国王にあり、
 尚真王は人々が神の権威に弱く迷信深いことをよく知っていた。
 ウナリ神の権威を政治の上にかぶせ神の託宣だとして
 納得させたのである。
 (『しまぬゆ1』)

政治的共同体の首長は、
古代共同体に紛れ込んだ近代人ではない。
首長とて同じ信仰の共同性の内部にいる。
信仰の共同性の象徴たりえることで、
首長を任じているわけだ。

表向きも裏向きもヘチマもない。
琉球弧は姉が宗教、弟が政治を司る母権的な共同性を
長く保っていたと言えば済むことだ。

首長のみ近代人に擬し人々を愚民と蔑視するのではなく、
人々に視点を置き、ウナリ神信仰の生活の共同性の
実像を浮かび上がらせるのが、
「奄美人の目」による歴史というものではないだろうか。
そのほうが奄美人が生き生きと見えてくるに違いない。

日本自体が、もともと母系的な流れを持つ列島である。
奄美・琉球はその母系的な生活の実相を日本に対しても、
豊かに描いて見せられるということなのだから。




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