« 琉球弧・重なりあう歴史認識 | トップページ | ふるさと与論へのギフト »

2007/05/27

奄美諸島史の主体化

『琉球弧・重なりあう歴史認識』は、
高梨修さんの論文から始まる。

高梨さんは、奄美・沖縄に共通してある考古資料として、
グスクを取り上げている。

そして、「名瀬市グスク詳細分布調査」を担当し、
四五個所に及んだグスクについて、
その地形、構築物の形態、年代を実証的にたどり報告している。

その成果は、文書の希少な奄美諸島において、
歴史をひもとく意義を持つものだ。

ぼくには、グスク名称の有無、形態の相違、地形の相違を
明らかにしたことが、
グスクの概念と実態の幅の広さが迫ってくるようで、
ひときわ関心を引いた。

事実は、ゆるぎない。
そんな力がある。

 ○ ○ ○

ぼくなど、グスク(城)は、
与論の言葉で言えば、
ウガン(御願)との対比で考えてきた。

宗教的共同性の中心地であるウガンが、
その胎内から政治的共同性を分離するにいたったとき
グスクと呼ばれるようになる。

だから、グスクの起源は、
宗教的共同性の場、聖地に求められる。

言い換えれば、ウガンは聖地そのものであり、
聖地の境界から集落の広がりを生んだ地域をグスクと呼ぶ。

だから、グスクは聖地周辺を指すこともあれば、
首長の城郭を表すこともあれば、
政治的中心地にある集落を指すこともある。

空間としても時間としても、
ウガンの終わるところからグスクが始まるのである。

でもこれは、ぼくの乱暴な仮説に過ぎない。

高梨さんの調査結果は、
こうした勝手な仮説に、
勝手を許さない事実を突きつけて心地いい。

 ○ ○ ○

高梨さんは、奄美諸島のグスク調査を通じて、
沖縄のグスク考が、本島の研究に基づき奄美を理解するものであり、
また、鹿児島の奄美グスク理解も、
沖縄のグスク考を援用しているものが多いとして、
奄美主体の研究の意義を指摘している。

そして、言うのだ。

 まず、沖縄県側からみるならば、一六〇九年以前の奄美諸島史は、
 琉球王国が奄美諸島を統治しているので、
 「沖縄県と共通する歴史(鹿児島県と相違する歴史)」として
 認識されるのである。
 しかし、一六〇九年以後の奄美諸島史は、
 薩摩藩が奄美諸島を統治しているので、
 逆に「沖縄県と相違する歴史(鹿児島県と共通する歴史)」
 と認識されるわけである。

 次に鹿児島県側からみるならば、一六〇九年以前の奄美諸島史は、
 琉球王国が奄美諸島を統治しているので、
 「鹿児島県と相違する歴史(沖縄県と共通する歴史)」として
 認識意されるのである。
 しかし、一六〇九年以後の奄美諸島史は、
 薩摩藩が奄美諸島を統治しているので、
 逆に「鹿児島県から離別される歴史(沖縄県と相違する歴史)」と
 認識されるわけである。

 それから鹿児島県側における奄美諸島史について、
 琉球王国統治時代以前の
 「鹿児島県と相違する歴史(沖縄県と共通する歴史)」とは
 琉球文化地域の歴史であり、
 「鹿児島県から離別される歴史」なのである。
 また薩摩藩統治時代以後の
 「鹿児島県と共通する歴史(沖縄県と相違する歴史)」とは
 植民地支配の歴史であり、
 「鹿児島県から封印される歴史」なのである。
 
 さらに奄美諸島側からみるならば、
 琉球王国統治時代以前の段階とは、
 文字史料がほとんど残されていない
 考古学研究が中心となる段階である。
 当該段階は、すでにグスク研究の事例にみてきたように、
 沖縄県側の考古学研究が中心で、
 奄美諸島は補助的立場に置かれている。
 「沖縄県と共通する歴史」ではあるが、
 その周縁の歴史に位置づけられているわけであり、
 沖縄県側からの接近は弱いのである。
 また「鹿児島県から離別される歴史」であるから、
 鹿児島県側からの接近も弱いのである。
 結局、奄美諸島史における考古学的成果については、
 研究姿勢がきわめて虚弱であるといえる。

奄美諸島史を、
沖縄県と共通する歴史から鹿児島県と共通する歴史と、
単純線型に捉えるのではなく、
沖縄県と共通するが周縁である歴史から、
鹿児島県から封印される歴史であるとして構造化している。
そこにはねじれがある。

ぼくたちは、奄美は、
かつて、こんな風に、奄美の二重の疎外に届く言葉を
投げかけてもらえたことがあっただろうか。

高梨さんの言葉は、
二重の疎外でまちぶった(もつれた)糸を
ほぐそうとしている。

ぼくたちは、こわばりがほどけて、
心が開くのを感じる。

 奄美諸島史の現代社会は、
 「鹿児島県」に帰属した奄美諸島において、
 その植民地的社会構造は完全に解体されたわけではない。
 形骸化しながらも、そうした社会構造は生き延びている。
 そして「鹿児島県」における植民地主義的意識も
 解消されたわけではない。
 無意識の植民地主義的意識は、
 「鹿児島県」に確実に生き延びている。

 本稿は、沖縄県側の考古学研究を中心に、
 奄美諸島史をめぐる歴史認識について考察してきたが、
 「鹿児島県」を基盤に営まれてきた考古学研究についても、
 「植民地主義以後」の課題から考察しなければならないと考えている。
 いくつかの意味で、筆者自身にも過酷な作業となるが、
 別稿で考察を果たしたいと決意している。

その通りだと思う。
二重の疎外は、まだ解けきれていない。
それは解かれなければならないと、ぼくは考える。

高梨さんが過酷を承知で、決意を語るとき、
それを支援しない理由がないのである。

こういう人を持つにいたった奄美の幸運、
いや幸運と言いたくなければ魅力を、喜ぼう。

奄美は高梨さんから励ましを受け取る。

こんどは、奄美が高梨さんを励ます番だと思う。



『琉球弧・重なりあう歴史認識』

【目次】

琉球弧をめぐる歴史認識と考古学研究
-「奄美諸島史」の位相を中心に
(髙梨修)

関係性の中の琉球・琉球の中の関係性
(吉成直樹)
「糸満人」の近代
─もしくは「門中」発見前史
(與那覇潤)
「琉球民族」は存在するか
─奄美と沖縄の狭間・沖永良部島をめぐる研究史から
(高橋孝代)
幻の島─琉球の海上信仰
(酒井卯作)
大城立裕文学におけるポストコロニアル
─ハイブリッドとしてのユタ/ノロ
(リース・モートン)
在関西のウチナーンチュ
─本土社会における歴史と差別・偏見体験
(スティーブ・ラブソン)
多元的歴史認識とその行方
─アイヌ研究からの沖縄研究の眺め
(坂田美奈子)



|

« 琉球弧・重なりあう歴史認識 | トップページ | ふるさと与論へのギフト »

コメント

こちらをおたずねして驚きました。
自分の論文の評価を読むのは怖いものです。

グスクの本質については、喜山さんと同じ理解ですよ。
それが琉球王国統治時代以降に奄美諸島に持ち込まれているのではないかと考えているところです。
グスクとは、琉球王国のイデオロギーなのではないかと・・・・。

ところで、

>奄美は高梨さんから励ましを受け取る。
>こんどは、奄美が高梨さんを励ます番だと思う。

こんなことを書いていただくと、もう恥ずかしくてどうしたらいいのか・・・・。

さまざまなおつきあいを通して、いつもいつも島じまの皆さんから励ましをいただいているからこそ、なんとか論文を書いています。

喜山さんにもお会いしてみたいです(与論献法ぬきで・・・・無理か!)

投稿: NASHI | 2007/05/27 23:53

NASHIさん、コメントありがとうございます。

「怖い」は、よく分かります。(^^;)

NASHIさん、東京にいらっしゃる機会にはぜひ声をかけてください。
与論献捧? 大丈夫です。ぼくは苦手科目ですから。(^^)


投稿: 喜山 | 2007/05/28 10:24

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/15167773

この記事へのトラックバック一覧です: 奄美諸島史の主体化:

« 琉球弧・重なりあう歴史認識 | トップページ | ふるさと与論へのギフト »