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2007/05/04

沖縄との訣れ

奄美はこれまで、三度、沖縄との訣れを経験している。

 ○ ○ ○

ぼくは、奄美の二重の疎外のひとつを、
「文化的共同性に顔を向ければ政治的共同性が異なると無視される」
と捉えたけれど、
琉球が奄美に無関心であったわけではないと、
高橋さんは書いている。

たとえば、1872年、明治政府により琉球王国が琉球藩とされた時、
琉球の伊江王子は外務卿副島種臣と会見し訴える。

 薩摩の支配下にあったときは、
 住民はその苛剣にたえきれないで、ひどく疲弊した。
 現在は天皇の直接支配におかれたのであるから
 特旨を垂れて負担を軽減され、その上、
 大島・喜界が島・徳之島・永良部島・与論島は
 もと琉球の管轄であったものが、
 慶長の役で薩摩に押領されたもので
 風俗習慣はいまも沖縄と同じであるから、
 復帰させてもらいたい。

外務卿は「事重大であるから閣議を経た上で処置する」と答える。
彼は暗に断ったのだが、伊江王子らは
願いが聞き入れられたものと歓喜したという。

その後、1879年に琉球藩から沖縄県とされた時も、
琉球は奄美の返還を求めたが、意に解されなかった。
これが二度目の沖縄との訣れだ。

一度目はもちろん1609年の薩摩藩による琉球侵犯の時である。

近世のはじまりと近代のはじまりに、
奄美は沖縄との訣れを経験する。
一度目は、文化的共同性との訣れとして
奄美にその経験の意味を知らせたはずだが、
二度目の訣れはひょっとしたら、
奄美は無自覚なまま訪れ過ぎたことかもしれなかった。

ぼくは、外務卿副島とのやりとりで、
明治政府の断りを、聞き入れられたものと歓喜する琉球側の
受け入れ方に関心をそそられる。

いかにも、琉球的だと思う。
つまり、素朴な人の良さを政治的共同性にも温存している
うぶさが、である。

 ○ ○ ○

三度目は、言うまでもなく日本復帰運動の時だ。
このとき、奄美には独立や沖縄との同時復帰の議論もあったという。
けれど、奄美の人々は圧倒的に、
奄美の単独復帰で動いていった。

復帰は、三度目の沖縄との訣れだった。

 ○ ○ ○

さて、この三度の訣れを経た上でどうするのか。
ぼくはまだ、奄美は沖縄との対話を必要としていると思う。
どうしてか。明日も考えてみる。


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コメント

私も考えてみたいとおもいます。
お便り届きました。
ありがとうございます。
与論郷土史よりこちらの方に気が散りそうです。
ぼちぼちやります。
農作業の合間に。

投稿: awamorikubo | 2007/05/05 05:56

awamorikuboさん、喜山です。

ぼちぼちまいりましょう。
盛窪さんの感想もお聞かせください。

投稿: 喜山 | 2007/05/05 10:22

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