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2007/05/09

エイサーがなかったのが不思議

いまでは、エイサーは永良部の芸能の代表になっているという。
高橋さんは、

 これまでエイサーがなかったのが不思議

と書いている。

全く同感。

与論島のエイサーもあまりに馴染んでいて、
昔からあったように感じられるほどなのだ。

 ○ ○ ○

ときに、永良部のエイサーのはじまりは、
喜納昌吉がきっかけだったという。

1993年、フリージアフェスティバルで喜納は、
与論のユンヌエイサーを披露する。

それを観た永良部の人はそのダイナミックさに感動し、
喜納に教えを請うことになる。

 喜納昌吉の、「沖縄と奄美は一つ」という考え方から
 奄美にも普及されたエイサーは、沖永良部島では
 本土化による反動から見つめなおされている三山時代、
 琉球王国時代の沖縄と関係の深かった「過去の時代」
 への伝統回帰によるルネサンスの象徴でもある。

ぼくも与論のエイサーにはびっくりした。
サンゴ祭りでみて、あまりにも決まっていたからだ。
ぼくも教わりたかったと思うほどだった。
エイサーは、いまや南島を越えて演じられている。
ぼくも、子どもの運動会で観てびっくりしたものだ。

琉球の身体性にあうエイサーの普及について、
知らなかった者として喜納昌吉に感謝したい。

「沖縄と奄美は一つ」。

たしかにこの確信あってできたことかもしれない。

 ○ ○ ○

ただ、もう少し耳を澄ますと、
喜納は『すべでの武器を楽器に』でこう言っている。
(この書名はいいですね)

 (前略)もともと奄美と沖縄は一つだった。それが
 1609年の侵攻で奄美諸島は島津の直轄領となり、
 のちに鹿児島県に併合されることになった。
 奄美と沖縄は人為的に切り離されてしまったのだ。
 ・・・真の歴史を取り戻すためには、奄美と沖縄は
 一つに戻らなくてはならない。この問題が解決すれば
 島津のトゲは解消する。

これについては言わなくてはならない。
そんなことでは島津のトゲは解消されない。
解消する必要条件かもしれないが、
十分条件にはなりえない。

島津のトゲが解消するには、
薩摩の思想が、明治維新を越えること、
言い換えれば、彼らが琉球侵犯を相対化しえることが必要だ。

そのためには、奄美・沖縄と薩摩の
思想上の対話が必要だと思える。

 ○ ○ ○

もとに戻ろう。
与論や永良部でエイサーは、
与論人(ユンヌンチュ)や永良部人(エラブンチュ)の
身体性に響いたので、あっという間に土着化した。

琉球弧の身体性は枯れていない、ということだ。


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