« ネガ奄美からポジ奄美へ | トップページ | エイサーがなかったのが不思議 »

2007/05/08

アマミンチュ(奄美人)が新鮮

高橋さんは、沖永良部の人たちに突っ込んだ問いかけをしている。

Q.あなたには次のような意識がそれぞれどれだけおありですか?

 ・日本国民
 ・日本人
 ・ヤマトンチュ
 ・ウチナンチュ
 ・エラブンチュ
 ・アマミンチュ

 1.非常にある
 2.ある程度ある
 3.あまりない
 4.全くない

とても刺激的な投げかけだ。

永良部のみなさんはこう答えている。
「非常にある」と「ある程度ある」を
足した数が多いものから並べてみよう。

1.日本人    92.8% *******************
2.日本国民   88.1% ******************
3.エラブンチュ 88.0% ******************
4.アマミンチュ 56.8% ***********
5.ウチナンチュ 34.4% *******
6.ヤマトンチュ 28.1% ******

どうだろう。
「日本国民」の選択肢がちょっと異質だが、
回答結果の順番は、
とても素直に沖永良部の人たちの
アイデンティティの多層性と順位を示しているようにみえる。

たとえば、ぼくはヤマトゥンチュの意識は全くないが、
ウチナンチュという意識も親近感はあれどなかった。
また、アマミンチュは、言葉自体が新鮮で、
そういう言い方があるのに驚いた。

ぼくには、日本人とユンヌンチュがリアルで、
アマミンチュはそんな感じ方を育てていけたらいいなと思った。

 ○ ○ ○

まぁぼくの感じ方はともかく、
沖永良部のみなさんの結果は何を教えるだろう。
それは、大きく二つある。

1)日本人意識が定着している。
2)共同性に対する親近感の順位がある。

「日本人」意識が、約93%になるのは、
近代奄美の市民社会の成熟を語っていると思う。
この意識を背景に、ぼくたちは、
南島における共同性の親和の順位を理解することができる。

それはこんな順番だ。

1.沖永良部
2.奄美
3.沖縄
4.大和

この結果は、島は宇宙という世界観に照らして、
至極まっとうな順位だ。

これは、共同性の小さいものから大きいものへの順番なのではない。
世界としての島の大きいものから小さいものへの順番を示しているのだ。
沖永良部の人にとって、エラブの方がヤマトより大きいということだ。

このことは、こう捉えることもできる。
奄美の人々は、二重の疎外に対して、
なりふり構わず「日本人」になろうとしてきた。

それは奄美人であることの否定、
つまり、他者になることを意味していた。

ところで、そうやっていざ「日本人」になってみると、
それと反比例するように、
エラブンチュ意識は消滅しているかといえば、
そんなことはない。

島の強さ・大きさを物語っている。
言い換えてもいい。
島は、待っていてくれたのだ。

そして、エラブンチュのアイデンティティの多層性に、
ある割り切りにくさがあるとしたら、
それは、日本人になることは、
二重の疎外に出口を用意してくれたけれど、
二重の疎外の解決にはならなかったことを意味している。

 ○ ○ ○

この結果に、ぼくは与論島、ユンヌンチュとしてしていくべき
対話の順番を想定する。

与論に置き換えれば、
与論、奄美、沖縄、大和という順番だが、これは、

与論島と対話し、
ついで奄美と対話し、
沖縄と対話し、
大和(薩摩)と対話する、
というステップだ。

それはこの順番を辿ることで、
対話の通路も拓けることを教えていると思う。


それにしてもアマミンチュは新鮮に響いてきた。
この言葉をどれだけ豊かにできるか、
ぼくたちのテーマだと思う。



|

« ネガ奄美からポジ奄美へ | トップページ | エイサーがなかったのが不思議 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/14961312

この記事へのトラックバック一覧です: アマミンチュ(奄美人)が新鮮:

« ネガ奄美からポジ奄美へ | トップページ | エイサーがなかったのが不思議 »