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2007/05/17

「民族」信仰

『しまぬゆ』は、琉球が薩摩による侵略を招いた事態について、
こう解説している。

 日琉同祖論を最初に唱えたのは
 清朝暦広熙五年(一六六六年)に摂政となった
 羽地按司向象賢であるが、
 当時の琉球首脳部にそのような認識はなかった。
 進貢貿易という密の味に浸りきり、
 中国との関係ばかりを重視して、
 民族統一のバスに乗り遅れ、
 九州僻南の一地方太守に支配されるという事態を招いた。
 (『しまぬゆ1』)

著者は、民族統一のバスに乗ればよかったと言っているのだろうか?
バスに乗るとは、具体的にどう行動することを指しているのだろうか?
それはありえた話だろうか?

ぼくには謎に思える。

琉球は内発的には国家を形成する必然性を
持たなかったように見える。

そんな地域が、
「日琉同祖論」をいちはやく念頭に置くとは思えないし、
それこそ「道の島」を経由しながら、
日本人と呼ばれる人々が島と本土に住むことになったように、
近世の国家意思をもった勢力が、
「道の島」を経由して、国家勢力の拡張を図るのは、
歴史の無意識の流れとしては必然的な側面がある。

琉球の首脳部への苛立ちは、余計ではないだろうか。

当時、民族統一原理としての「日琉同祖論」に
そうやすやすと乗らないのは、
それがふつうの奄美人のあり方というものだ。

「民族」すらひとつの信仰である。
日本人も琉球人も同じ日本人という意味で、
「日琉同祖論」はその通りに違いないのだが、
日本民族がその根拠になるわけではない。

また、現在の「奄美人の目」がそれをしてはいけないと思う。

「民族統一」という信仰は、
「日本人になる」という強迫として、
長く奄美人を患わせてきたのだから。




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