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2007/04/22

沖永良部と与論は似ている

高橋さんの「沖永良部島民のアイデンティティと境界性」
を読むと、沖永良部と与論は似てるなぁと改めて思う。

高橋さんは、「沖永良部島民のアイデンティティ」について、

 沖永良部島という牧歌的で安定した社会の影に潜む
 切実な問題の一つである(後略)。

と言う。

ぼくは、与論が「牧歌的で安定した社会」かどうかを知らない。
でも、「おだやかな社会」だと思う。
だから、高橋さんと同じように言えば、
与論島民のアイデンティティは、
与論島というおだやかな社会の影に潜む
切実な問題の一つである。

高橋さんは続ける。

 日本本土と沖縄島の間にあり、琉球弧のほぼ中央に位置する。
 中央政治から離れた周縁に位置し、これまで日本史や沖縄史
 の表舞台に華々しく登場したことはない。

これなど、与論もそうだ。いやもっとかもしれない。
歴史に華々しく登場したことがないどころじゃなく、
単に、登場したことはない、と。

 この島の個性の一つは、政治の中心ではないが、歴史の変動
 による影響力をまともに受けてきた、「境界」の島であると
 いうことである。

これも、与論に置き換えて言うことができるだろう。

 ∽ ∽ ∽

もう少し繊細な言い方もしている。

 沖永良部島民は、ウチナンチュ(沖縄の人)と自らを差異化
 する傾向にあるが、文化に関しては「沖永良部島は沖縄文化
 圏にある」と考えている人が多い。また、鹿児島県民意識は
 強いが、ヤマトンチュ(日本本土の人)である鹿児島の人に
 対し違和感も覚えている。

ここも似てるなぁと思う。

与論を舞台に同じことを考えようとしたら、
同じように、日本、沖縄、鹿児島への感じ方を抜きにできない。
 
 「日本/沖縄」、「鹿児島/沖縄」、「奄美/沖縄」の重層
 的な「境界」に位置する沖永良部島の「境界性」に注目し、
 そこに住む人々のアイデンティティの考察を試みるものである。

境界に位置する与論島の境界性。
これも全く同様に考えられることだ。

高橋さんは沖永良部を「重層的な境界」
と整理するのだけれど、
与論もまさに「重層的な境界」を抱えている。

もっと言えば、沖永良部の持つ境界性は、
与論島ではさらに純化・強化されて、
境界そのものを担っている、と思うのだ。

ぼくは少し甘えさせてもらって、
高橋さんの論文を伴走しながら、
与論固有のことを考えていこう。


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コメント

はじめまして。
『奄美の島々…』で与論島のことを少しだけ
書かせていただいたsaitoです。

『沖永良部島民のアイデンティティ』は本当に
刺激的な論文ですよね。

私も出身地の千葉を離れ、境界を超えて島に渡ってきた身。
自身の身の上と彼女の問題意識とが重なる部分も多いですし、
島に生きる(ヨロンは月1〜2回通う程度ですが)人間として
エラブとヨロンの複雑で多面的な帰属意識、自己認識に
日々触れているので、高橋さんの視点に大いに刺激を受けています。

エラブとヨロンは確かに似ていますね。
でも、その類似性の奥底にやはり同質でないものも包含して
いるように感じます。

投稿: saito | 2007/04/23 15:44

saitoさん、コメントありがとうございます。

与論への理解、嬉しく思います。
島はそれぞれが独立なので、
ユニークネスの上でのつながりが、
求められると思います。

saitoさんの与論、奄美理解は大きな頼みだなと感じます。

投稿: 喜山 | 2007/04/23 22:03

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