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2007/04/25

奄美・沖縄、それとも

高橋さんは、「沖永良部島民のアイデンティティと境界性」
書くに当たり、奄美諸島から宮古・八重山の島嶼群を総称する
言葉がないことに悩み、仮に「奄美・沖縄」と置く。

高橋さんには退けられているけれど、ぼくは、
日本との関係で言う場合は「南島」、
あのゆるやかな島の連なりを込めて言いたいときは「琉球弧」、
それを日本にも広げていいたいときは、「ヤポネシア」と使うだろう。

でも、高橋さんが誤解なく研究対象を指そうとしたときに、
置いた「奄美・沖縄」という言葉は、
ぼくたちに課題を伝えてくれるように思う。

奄美・沖縄。

こう並べると、「薄いものと濃いもの」、
「括りが必要なものと、ほどきが必要なもの」
という二つの印象がやってくる。

薄い「奄美」と濃い「沖縄」。

もともと「奄美」は希薄だということではない。
夥しい言説を持つ沖縄と言及希薄な奄美。
「奄美」を充分に表現しきれていないという意味で。

「括りが必要なものと、ほどきが必要なもの」
「奄美」は奄美自体から浮かび上がるイメージがない。
これに対して、「沖縄」はむしろ、沖縄、宮古、八重山へほどいて
言うことが大切だと思わせる。

奄美・沖縄。

同等なものの並列対置とは受け取りにくい。
ここに、奄美の課題も見えてくるようだ。


追記
せっかくだから、高橋さんの考察で誤解ではないかと
思う点をほどいておきたい。

 また、作家で戦後奄美大島で30年あまりを過ごした
 島尾敏雄(1917-1986)は、1961年に「ヤポネシア」
 構想を始めて用い、70年代の状況を切り開いていく
 発想として展開した。ヤポネシアは、JAPONIA(日本)
 とNESIA(島々)を結びつけた造語で、文化的優位性
 としての大陸に固定されてきた視点を、太平洋へと
 転換し、点在するポリネシア、ミクロネシア、メラネシ
 アなどとの関連で日本列島を位置付け、国家や文化
 について凝り固まった意識を解き放そうという発想で
 あった。しかし、この壮大な発想も、奄美・沖縄を考え
 る枠を太平洋へと中心軸をずらしただけで、結局は
 統一体のなかで奄美・沖縄を捉えようとしているに
 すぎない。

ここは、う~ん、そんなことはない。
統一体という意味がよく分からないけれど、
均質な塊というような含みで受け取ると、
島尾敏雄はそんな発想はしていない。

日本を、ヤポネシアということで、
大陸との位置関係を意識した日本に対して、
太平洋に広がり連なる日本列島に注意を向けるものとして、
ヤポネシアという言葉は、いまでもとても魅力的だ。

この発想は、奄美・沖縄をどう捉えるかということとは、
関わりがないと言っていい。ヤポネシアと呼ぶとき、
日本は均質空間と言っているわけでもないから。

むしろ、ネシア間に明確な境界を引きたいわけではなく、
連続性に着目した言葉遣いだと思う。

注釈でした。


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