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2007/04/01

「洗骨」の話

1960年代生まれの、与論島出身という立場からみると、
島尾ミホの『海辺の生と死』は、
異世界のお伽噺のように読める以外に、
まるで親戚の語る話のようにも読めます。

「洗骨」の話もそのひとつです。

 小川の中に着物の裾をからげてつかり、
 白くふくよかなふくらはぎをみせてうつむきながら
 骨を洗っていたひとりの若い娘が、
 「おばさんが生きていた頃私はまだ小さくて
 よく覚えてないけど、
 ずいぶん背の高い人だったらしいのね」
 と言いつつ足の骨を自分の脛にあてて
 くらべてみせました。
 私はそのお骨の人もかつてはこのようにして
 先祖の骨を洗ったことでしょうと思うと、
 「ユヤティギティギ(世は次ぎ次ぎ)」という言葉が
 実感となって胸にひびき、
 私もまたいつかはこのようにして小川の水で
 骨を洗ってもらうことになるのだと、
 子供心にもしみじみと思いました。
  (『海辺の生と死』島尾ミホ

身内を土葬した後、
身体の面影を止めなくなる月日を経て、
掘り起こし、骨を洗い清めて改葬します。

このときの洗骨を、
民俗や好奇としてではなく、
生活のひとこまとして、
その様子や気持ちを深く深く描写してくれたことが、
「洗骨」の章の価値だと思います。

それはもし、
この話がなくて、
南島以外の人に「洗骨」のことを伝えようとしたら、
どんな難しさがあるか考えれば、
よく分かります。

「洗骨」の章では、その日、
改葬した島人は宴を催し、踊ります。

 踊りの輪の内側に踊っている
 おおぜいの亡き人々の霊魂に向かって、
 なお生前の姿を見るかのように、
 現し身の人々は親しかったその名を呼びかわし、
 話しかけました。
 そして「それ、後生の人たちと踊り競べだ、
 負けるな、負けるな」と歌い、
 暁の明星が輝きだすまで踊り続けるのでした。
 もはや生も死もなく。
  (『海辺の生と死』島尾ミホ

生者と死者はずいぶん近くにいたんですね。


たしか今年、わたしの祖父が改葬を迎えます。

やりくりする親戚の苦労を棚上げして言えば、
おととし亡くなった祖母も、
土葬でいずれ洗骨してあげたかった気がします。

「うらちょー、わぬんちゃーやくのうや。
かみちきゅんどーや
(お前たち私を焼かないでおくれよ。噛みつくよ)」

と、生前、冗談のように話していたそうです。


島尾ミホの表現のあとには、
こうしてこわばらずに、改葬のことを書けます。

Photo_66











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コメント

> 土葬でいずれ洗骨してあげたかった気がします。

私が聞いた加計呂麻の人も「土葬にしてあげた」という表現でした。
たぶん、無意識のうちに「してあげる」ということばになるのでしょうね。
そこに逝った人を慈しむ気持ちが見えるようです。

投稿: sara | 2007/04/01 18:18

 私も、「洗骨」の話、読みました。「生」と「死」が離れていなくて、……誤解を恐れずに書けば、「いいなあ」と思いました。それこそ、本当だよなーと。そして、死を考える時、生を考える。
「うらちょー、わぬんちゃーやくのうや。
かみちきゅんどーや
(お前たち私を焼かないでおくれよ。噛みつくよ)」
 今は、南島でも火葬が多いのでしょうが?瀬戸内海の島々の人々は、死を迎えた時、みな島を離れ、火葬場のあるところに送られます。「わたしゃ、島で死にたい」と思っていても、その地に残ることができません。すごい虚しさを感じます。
 

投稿: tssune3 | 2007/04/03 11:28

tssune3さん、コメントありがとうございます。
ニフティのメンテがあり、お返事遅れました。

瀬戸内海の島々、そうなのですか。
見送る方も、残念ではないでしょうか。
本人の希望を後押しできる環境をつくりたいですね。

投稿: 喜山 | 2007/04/04 15:02

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与論島クオリアさんの「洗骨」の話を読んで思い出した。 たしか2002年の2月頃だったと思う。 [続きを読む]

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