« 花と白波 | トップページ | 奄美・沖縄、それとも »

2007/04/24

奄美文化は一括りにできない

高橋さんは、研究対象の呼称に悩む。

奄美諸島から宮古・八重山の島嶼群は、
共通の文化をもつまとまった地域なのだけれど、
総称する言葉が見当たらない。

根本的には、それは、

 島々に住む人々のアイデンティティは
 各シマ(集落)や各島にあって、
 これらを総称する用語は日常において
 必要な言葉はないため存在しないからである。

その通りだ。

島はひとつひとつが世界だから、
横につなぐ言葉を必要としなかった。

高橋さんは困る。

「沖縄」というと、
沖縄中心になってしまうし、
奄美が入らない。

また「奄美」を「沖縄」から切り離す必要はないし、
だいたい、「奄美」をひとくくりにするのは難しい。

 奄美と沖縄を切り離し、
 「奄美文化」と一くくりにすることは難しいと考える。

奄美について、正直な見解だ。

でもこのことは、
奄美の島々が疎遠であることを意味しない。

なんというか、行き交い自体は疎遠であっても、
ゆるやかな親近感でつながっている、
と言えばいいだろうか。

高橋さんは結局、
「奄美・沖縄」という言い方に落ち着けるのだが、
苦肉の策だ。

ぼくはひとまず、何と呼称するかに関心はないけれど、

 奄美と沖縄を切り離し、
 「奄美文化」と一くくりにすることは難しいと考える。

この認識がとても大事だと思う。

そして、ひとくくりするのは難しい「奄美」を
語れるものにするには言葉にする順番が大切だ。

1.奄美の島々がそれぞれに自分の島のことを言葉にする。
2.それぞれ持ち寄って、奄美として語れることと、
  それぞれの個性を明らかにする。
3.それをもって、沖縄との共通項と個性を明らかにする。

当り前といえば当り前。
でも、そうして始めて見えてくるものは
とても大きいと思う。

奄美にとっても。沖縄にとっても。


※高橋孝代 「沖永良部島民のアイデンティティと境界性」


|

« 花と白波 | トップページ | 奄美・沖縄、それとも »

コメント

 クオリアさん

 括ることに拘っているのでしょうか
アイヌ言葉からユンヌ言葉までの幅の広さを
お持ちの方らしくはない感じです

 基準は何であれ括りの中にあるものとその
部分を括りあっているものと、全くの埒外の
もの・・・横文字ではアイデンティティですか?
が各々で存在していると思います

 あえて一括りできるのではないかと思われ
る要因だと云えるかと思うのですが・・・
私は、海がとても大好きです。山も好きです
空の上は、怖いけれど見るのは綺麗ですね

 ユンヌには、よほどのことでもないかぎり
船旅で行くのが最高です
云いたいことから外れてごめんなさい

 地球の海底図はご存知ですか
南西諸島と呼ばれている奄美・沖縄・先島の
諸島は、フィリピン海盆の南西の縁として
連なっているのです
 これは紛れもない共通点だと学説を信じて
いいのではないかと思います

 折角の思索の途中に、またまたお邪魔して
失礼しました

投稿: サッちゃん | 2007/04/25 00:08

サッちゃんさん。ありがたいコメントが嬉しいです。

グーグルアースで海の底の地形を見ると、
つながっているのがよく分かります。

地形と黒潮は、ゆるやかに琉球弧のつながりを
作ったのでしょうね。

ぼくも、ユンヌは船旅が好きです。
またいつか、船旅の時間を作りたいものです。

投稿: 喜山 | 2007/04/25 08:44

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 奄美文化は一括りにできない:

« 花と白波 | トップページ | 奄美・沖縄、それとも »