「付録」としての奄美
高橋さんは、奄美研究の困難さをこう言う。
奄美は、近世に薩摩藩の直轄領地であったことなどから、
扱いが沖縄よりさらに複雑で、その位置付けには目を向
けられず曖昧にされがちであった。
そう、その通りだ。
奄美について何か言おうとすると、失語してしまう。
奄美はいまだに失語したままだ。
けれど、それは永遠の沈黙ではない。
発語までの期間が長く必要だったというに過ぎない。
奄美がどんな言葉を発するのか、とても楽しみだ。
それから、高橋さんは山下欣一の「奄美人のアイデンティティ」
につていも紹介している。いわく。「奄美は沖縄というカテゴリー
でも、鹿児島というカテゴリーでも『付録的』位置づけであった。」
これも、その通りだ。
(琉球)-(沖縄)=(奄美)
または、
(鹿児島)-(薩摩)=(奄美)
のように、引き算の残余が「奄美」で、
等式の左辺にいけないできた。
なんとなれば、「奄美」とは何か、
充分に表現できていないからだ。
大状況のなかで、琉球のなかでも、
鹿児島のなかでも、奄美は重視されてこなかった。
それが、「付録」という意味だ。
けれど、もしそうなら、奄美の歴史でも登場すること少なき
わが与論など、奄美のなかの奄美だ。
ここは開き直るのも手だ。
付録作戦。
その心は、グリコのおまけ。
キャラメルを買うとおまけがついてきてトクした気分、
というのではなく、おまけがほしいから、グリコを買う。
そうなればいい。
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