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2007/04/15

アロウ島としての加計呂麻島

 奄美大島ではアロウ島は、瀬戸内と呼ばれる
 入海をへだてカケロマ島のことであると、昔、
 古老たちは言っていたという話を、
 金久正から聞いたことがある。
 また登山修もカケロマ島の住人は、
 自分たちのことをアロッチュと呼んでいると
 報告している。

 チュは南島語で人のことであるから、
 「アロウびと」ということになる。
 奄美諸島の用路島の人びとは対岸の
 枝手久島に死者を運んで捨てる風習のあったことが
 伝承されているが、
 奄美本島の人びとが死者を舟で運び、
 カケロマ島に葬った時代があったのではないか。

 八重山の新城島もアラスクと発音されているが、
 アロウスクに関連すると思われる。
 アロウスクはニールスクに対応する語であるが、
 ニールスクから現世に来訪するニールピトは、
 荒ぶる神であった。
 ということからして、アロウスクも祖霊とも妖怪とも
 神ともつかぬ荒ぶる霊の住む島であったことが
 うかがわれる。
 つまり「アロウ」は「荒び」という語と関連があると
 考えられるのである。

 さきに、カケロマ島の住人が自分たちのことを
 アロッチュと呼んでいたことを紹介したが、
 このことはアロウ島のもう一つの側面を伝えている。
 おそらく岩石の多い不毛な島である、
 という自卑の語感がそこにこめられている。
 アロウ島が荒びの島という場合に、
 死者の世界が荒涼とした不毛な風景として
 描かれていたことが推定される。

 そこに住む荒ぶる霊は現世の人びとにとっては
 畏怖に満ちたものであったが、
 後世には祝福を与える来訪神に
 変貌を遂げていったのではあるまいか。

長い引用でごめんなさい。

谷川健一の『南島文学発生論』にある一節です。

鳥瞰する眼差しでみるからなのか、
加計呂麻島の、奄美に寄り添うようにいる佇まいに、
心惹かれます。

奄美と加計呂麻の向き合っている海岸をみると、
きっと遠い昔には、
地続きだった土地が、
離ればなれになったものだろうと見えることも、
惹かれる理由なのかもしれません。

ぼくは加計呂麻島を「沖の島」と解しますが、
その「沖の島」という名づけそのものが、
副次的なニュアンスを持ちます。
加計呂麻という不思議な字面と音とは裏腹に、
どこかさびしげな響きを、
ぼくたちはそこに感じるのでしょうか。

さびしげなということでいえば、
島を出るまで、島名を知らなかったという記事を
読んだこともあったのでした。

だから、このアロウ島という呼称があったということも、
頷ける気がします。
そこに自卑のニュアンスが含まれたかもしれないことも。

地勢と地形に与える名称が、
島の人びとの間で、
充分に熟することなく時間は流れたので、
アロウ島という陰を思わせる名称になったり、
名もないままに過ぎたりして、
いつしか奄美大島に対する沖の島という
副次的な名称が残ったのでしょうか。

いやいや。
ここまで書いて、我に帰るように思いました。
そんなことはない。

「沖の島」という表現。
それは確かに、多くの人のいる場所があり、
そこからみて、「沖の島」という言い方をするから、
多くの人がいる方からみて、
副次的な場所というニュアンスは持つけれど、
地名のつけ方としても手を抜いたような、愛着薄いような、
そんなニュアンスはなく、
地勢・地形を言う地名の初期形に素直に合致している
と理解すべきですね。

いちばん素直な名称が残った、と。
地名を考えるとき、我知らずロマンティックに考えがちになるのは
厳に注意しなけらならないと思いました。


もとい。

アロウ島。
加計呂麻島の地名の背景に、
含んでおきたい認識です。



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