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2007/03/02

消費社会の現在

 都市が自然を内包するテーマが、都市生活の中に自然生活を内包
するという時間軸を持つようになった。都市居住者が、農村で自然
とともに生活する時間を持つということだ。
 では、ぼくたちの生活は時間と経済として、どれだけの力を現在、
持っているのだろうか。
 この主題を、吉本隆明が理想の経済人について考察したエコノミー
論の指標をもとに考えてみたい。

  ところで万人が(ということは一般大衆が)経済人の理想とし
 ての貨幣資本の所有者にちかづいているかどうかを量る指標はど
 こにもとめればいいだろうか? かれが居ながらにして貨幣量G
 からGプラスΔGを生みだす存在だというところからすれば、手
 易くいくつかの指標が見つけられる。
  (一)「居ながらにして」という条件を充たすためには、週休
    が三日を超えなくてはならない。(後略)
  (二)その貯蓄の年間利子額が年間生活(家計)費用を超えな
    くてはならない。(後略)
  (三)家計支出のなかの食料費の割合(エンゲル係数)が、所
    定の水準を下廻らなくてはならない、言ってみれば食費支
    出が五〇%以下であれば、「食うために働いている」ので
    はいなことを意味する。(後略)
     (「エコノミー論」『ハイ・イメージ論3』1994年)

 まず、(一)の週休についてみると、2005年現在、毎週週休
二日を実現している「勤め人」は47%に増加している。週休三日
は、まだ定量化できる数になっていないが、完全週休二日が過半数
に達しつつある段階だと言える(※1)。

 週休三日の意味は、週休三日制になれば、年間365日のうち、
休日数が労働日数を越えることを意味していると思える。
 そこで、年間の休日取得数を見てみると、2006年で105.1
日になっている。2001年からの五年間の推移でいえば、1.4
日増と微増に止まっている(※2)。これは完全週休二日制は拡大
しているものの、全体の休日増には直結していない状況のように見
える。

休日が労働日を上回るためには、年間あと77.4日、休日が増え
る必要があるわけだ。365日の過半数を超えるために、183日
を目安にしてみると達成率は57%。道半ばと呼ぶのがふさわしい
だろう。

 ちなみに一日単位でみると、「自由行動」の時間は、平日、土曜
において、2005年までの十年間で微増している。そして土曜の
「自由行動」時間が、「拘束時間」を上回ろうとする趨勢にある(※3)。

Photo_48

















 (二)は、定量化の意味をまだ持っていないが、貯蓄現在高は、
1989年に1092万と、1000万を越えて以来、成長を続け、
2005年現在、1728万に至っている。(※4)。
 (三)のエンゲル係数は、1990年に25.4%だったのが、
2004現在、23.0%まで減少している(※5)。過半数を下
回り、食うために働くという段階を過ぎているのはもちろん、半分
の半分以下にまでになっている。「食うために働く」というくびき
は抜けないが、比重としては部分的課題になっているのだ。

 経済人として、ぼくたちがどれだけの力を持っているのか、もう
少し確かめておこう。消費社会はどれだけ進展しているかと言い換
えてもいい。

 (前略)生産にたいする消費の時間的な、また空間的な遅延の割
 合が50%をこえた社会が消費社会ということになる。ちがう言
 い方もできる。必需的な支出(または必需的な生産)が50%以
 下になったのが消費社会だ。必需的な支出(または生産)という
 のは、(中略)食料、光熱、水道、通勤、通学の交通費など、日
 常生活として繰りかえし生産するのにかかる支出(または生産)
 のことになる。
       (「消費論」『ハイ・イメージ論3』1994年)

 必需的なものより選択的な支出を、より多くできるようになった
社会を消費社会と呼ぶという定義はわかりやすい。

 (消費社会度)=(選択的支出)/(必需的支出)

 これに則って確認してみたいのだが、総務省の家計調査は、現在
、基礎的支出と選択的支出という呼称で結果を出している。基礎的
支出は、「支出弾力性(消費支出総額の変化率に対する費目支出の
変化率の比)が1.00未満の費目」と定義されている。これは支
出額の全体が変わっても、個別の費目で変わらないものを指してい
る。つまり、費目別に指定するのではなく、全体の変動に影響され
ていないものという視点から導き出しているのだ。その分、呼称を
「必需的」から「基礎的」へ変えたのだと思える。

 ちなみに例示されているものを挙げてみる。

 基礎的支出 食品、家賃、光熱費、保健医療サービスなど
 選択的支出 教育費、教養娯楽用耐久財(パーソナルコンピュー
       タなど)、月謝など

 これを見ると、基礎的支出が、従来の必需的支出とほぼ変わらな
いと思えるので、基礎的支出を代替させてみてみよう。もともと、
ピックアップする費目を精緻にするのは、ここでの最優先の課題で
はない。厳密に見ていけば、どの費目もその中に必需と選択の要素
を持っていると言えるが、そこまでは踏み込まない。ここでは、概
ね消費社会の姿とその推移が分ればいい。

 すると、消費社会度は、2006年で46.2%であり、まだ消
費社会に至っていないと言える。これは2001年には、42.7
%なので、二十一世紀に入って停滞感を持ったままになっているよ
うに見える(※6)。消費社会の手前で足踏みしている状況だ。

 吉本が雑誌「海燕」に「消費論」を発表したのは1990年6月。
先の「エコノミー論」は半年ほど遡って1990年1月。これは今
から振り返れば、バブル景気と呼ばれる時期に書かれたものだ。ぼ
くたちは確かにこの時期、選択的支出が必需的支出を上回る消費社
会を目撃した気がする。しかしその後、80年代後半から90年代
初頭の時期は、バブルという名のもとに汚名を着せられたままにな
っている。しかし、バブル景気はよきものを垣間見せてもくれたの
だ。

 ぼくも経済的にはちっともその恩恵に浴したことはなく、ネアカ
がもてはやされ、ネクラな自分は気後れすることばかりだったが、
それでもわくわくするような期待感を抱く瞬間があった。それが消
費社会の可能性だ。経済と時間の自由が増すことは福音のように思
えたからだ。それは現在も基本的には変わらない。

 そしてそうなら、ぼくたちは、格差という言葉に萎縮せずに、消
費社会の進展を追いながら経済と時間の自由を増すように社会を進
める視点を保持したいと思うのだ。

 ここにはもう少し注釈が要るかもしれない。確かに、自分や近所
を見渡した実感から言っても、消費社会の中にいるとは思いにくい。
けれど、バブル崩壊から、ぼくたちは消費社会の実現という尺度か
らみれば、停滞著しいといっても、インターネットの出現で新しい
感性を獲得したり、貯蓄を高めたり、週休を増加させたり、大きな
構造の変化を体験してもいる。そして、消費社会の進展が遅々とし
ていても、単純に、時間と経済が増えることがそのままよいことな
のか、問いたくなる場面にも出くわす。それは、経済と時間の保証
が、逆に生きる意欲を削ぐように作用する現象を見たりするからだ。

 だから、経済と時間の自由増大は、それだけが条件になるわけで
はないと言わなければならない。少なくとも、自由時間の増大の
テーマと同時に、労働時間の内部が、遊ぶように働くという内実を
持つことを考えなければならない。

※1.「2005年国民生活時間調査報告書」(NHK放送文化研究所)
※2.「産業・企業規模、年間休日総数階級別企業数割合及び1企業
   平均年間休日総数」(厚生労働省)
※3.「2005年国民生活時間調査報告書」(NHK放送文化研究所)
※4.「全国消費実態調査」(総務省統計局)
※5.「家計調査」(総務省統計局)
※6.「基礎的・選択的支出の推移(全国・全世帯)」(総務省統計局)

(超自然哲学31 「5.都市感性・ウェブ感性と身体性」)


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