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2007/03/25

与那国島との縁(えにし)

学生の頃に買った『南島の風土と歴史』(1978年)を
めくっていたら、こんなくだりに出くわしました。

  一四七七年(文明九)二月、朝鮮済州島を都へ向けて
 出発した船が風難に逢い、漂流十四日目に一小島を発見
 してこぎつけたが、中途で船がこわれ、乗組員多数が溺
 死し、わずかに三人が島民に救助された。その小島は
 「閨伊是麼(ユンイシマ)」であった。その「ユンイシ
 マ」とは、方言でドゥナン、ユノーンとよばれる沖縄最
 南端の与那国島であったことは間違いない。

 (『南島の風土と歴史』上原兼善・大城立裕・仲地哲夫)

与那国島を「ユンイシマ」と呼ぶ記述があるということ。
やっぱり、与論島と与那国島に地名のつながりが
あると思えてならないです。

ユンイという呼称が島の人にとって一般的だったと
必ずしも思うわけではないけれど、
でも、ユンヌである与論島と、
近い音で、ユンイと与那国島が呼ばれた
瞬間があるということは、
尽きない関心をそそられます。

八重山諸島の終わりの与那国島と、
奄美諸島の終わりの与論島。
位相的にも近しい。

与論島は、与那国島とは浅からぬ縁が
あると思えて仕方がありません。


Nantouhudo_2













※関連記事

ユナ系としてのユンヌ
ノート:「な」
「ゆんぬ」の語源は?
漂流木としてのユンヌ


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