« 『LOVE』の入口と出口 | トップページ | いちばんきれいであったかいマラソン »

2007/03/06

『ザ・ビートルズ1』から『LOVE』へ

 アルバム『LOVE』は編集の妙と言うべきなのか、多様な入口
と出口の連想を許すように思える。
 もうひとつの入口と出口は、入口がアルバム『ザ・ビートルズ1』
で、『LOVE』はアルバム自体が出口に当ると見做すのだ。

 どういうことか。
 ビートルズ解散後のビートルズ作品として、ぼくたちは、アルバ
ム『LOVE』以外にも、2000年の暮れに『ザ・ビートルズ1』
というベスト・アルバムを持っている。これはナンバー1ヒットだ
けを納めるという贅沢なコンセプトに則って編集された作品だった。
 ここに収められた27曲を味わって気づくのは、これらが都市感
性に響くようにあるということだ。都市感性は、都市という生活環
境を条件に獲得した共通の感性だった。『ザ・ビートルズ1』は快
適な気分を残しながら、ひとときの感性体験をもたらしてくれる。
それがこのアルバムの効用だ。ここからいえば、身も蓋もない「1」
という記号は、感性基盤のうえにひとつになった世界の謂いである
と見なすこともできる。

 ところで、横断する都市感性の上に、ぼくたちは作品を楽しむの
だけれど、でもどこかで充足されないものも感じてきた。なんとい
うか、あまりに快適すぎることへの反動がうずくのだ。感性体験と
してもそうだが、ことビートルズというテーマに絞ってみても、
ビートルズはこれだけじゃないという気分が残っていた。言ってみ
れば、都市感性と対にある身体性の主張だ。ぼくたちが獲得した共
通性が都市感性とすれば、皮膚の色や言葉の違いなどの固有性、差
異は、身体性として表出される他なくなる。

 身体性に響くビートルズ・ソングがうずき出す。それが効用とは
別に産み出される『ザ・ビートルズ1』の反作用だった。それは、
ナンバー1に至らなかったビートルズ・ソングということではない。
ナンバー1ではないビートルズ・ソングは、そこに向かう途上の
習作としてあるということではなく、都市感性に響くというより、
それとは異なる系譜を構成するということだ。都市感性と身体性に
対応する典型的な曲に、1968年に発表された「ハロー・グッバ
イ」と「アイ・アム・ザ・ウォルラス」がある。これを例にとれば、
『ザ・ビートルズ1』には、「ハロー・グッバイ」はあるが、「ア
イ・アム・ザ・ウォルラス」はない。都市感性をすべるが身体性に
響かない。そして「アイ・アム・ザ・ウォルラス」のような内臓に
響く作品群を聞きたくなるのだった。

 さて、この度のアルバム『LOVE』はその反作用に応えるよう
に、「アイ・アム・ザ・ウォルラス」をはじめ、身体性に響く作品
に重心をかけられているのである。
 シルク・ドゥ・ソレイユが、全編ビートルズの編楽曲で上演する
とあって、彼らの幻想的な舞台展開にふさわしい選曲をした結果な
のか、『LOVE』は1967年の『サージェント・ペパーズ・ロ
ンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に多く依拠している。そうした
アルバムの制作背景も手伝って、『ザ・ビートルズ1』が都市感性
に対応していたのに対して、その反作用のように、身体性はこのア
ルバムのテーマになっている。

 その曲たちはといえば、「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィッ
ト・オブ・ミスター・カイト」、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・
ウィズ・ダイヤモンズ」、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、「ヘ
ルター・スケルター」、「レボリューション」などだ。
 こうして、都市感性の入口と身体性の出口のように、『ザ・ビー
トルズ1』に呼応して、『LOVE』を受け取ることもできる。

(超自然哲学35 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


|

« 『LOVE』の入口と出口 | トップページ | いちばんきれいであったかいマラソン »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『ザ・ビートルズ1』から『LOVE』へ:

» 『DRALION(ドラリオン)』 ドラリオンニュース [『DRALION(ドラリオン)』 ドラリオンニュース]
ドラリオンニュース [続きを読む]

受信: 2007/03/12 12:55

« 『LOVE』の入口と出口 | トップページ | いちばんきれいであったかいマラソン »