« いちばんきれいであったかいマラソン | トップページ | カウンター・カルチャーの行方2 »

2007/03/07

カウンター・カルチャーの行方1

 もう少し『LOVE』に止まろう。『LOVE』をビートルズの
新作として受け止めると、もうひとつ問いたくなることがある。
 1970年のビートルズの解散は、カウンター・カルチャーの共
同性の消滅を担っていた。ビートルズという存在は、時代性を刻印
されたバンドだったのだ。だから、問いたくなってしまう。ビート
ルズ無き後のビートルズのニュー・アルバムが、現役当時と同じよ
うに、時代に応えることがありうるとしたら、カウンター・カル
チャーの共同性の消滅に対して、どのように対しているのだろう。
そういう問いだ。

 この問いかけへの回答には先行者がいる。他でもないジョン・レ
ノンとポール・マッカートニーだ。
 まず、ジョンは1970年のアルバム『ジョン・レノン』で、そ
の名の通り、カウンター・カルチャーを個として担うことを宣言し、
ついで1971年のアルバム『イマジン』の表題曲「イマジン」で、
カウンター・カルチャーの理想を詩として昇華させた。曲「イマジ
ン」は、その夢幻的な詩と旋律によって永遠性を獲取するのに成功
している。けれど、作品の永遠性の代償のように、現実の個人とし
てのジョンは、ポリティカルには挫折せざるを得ないというように、
70年代の前半、次第に下降曲線を辿っていった。

 ポールはといえば、もともとカウンター・カルチャーの行方など
柄ではなく、彼が対するには不似合いな問いにみえる。けれどポー
ルは、不得手なはずの問いに、いかにも彼らしいやり方で向き合い、
本人の意図とは別に見事な回答をしている。ビートルズ解散から三
年後の1973年、彼は“バンドは逃走中”と回答したのだった。
よく知られたアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』である。

 ポールは、「逃走中のバンド」というタイトルに格別のコンセプ
トを含ませているわけではなく、コンサートツアー中のバンドをイ
メージしたものだと語っている。けれどそれこそは、ビートルズの
次のステップとして構想したにも関わらずジョンに拒否された望み
だった。メディア内に架空の共同性を構築してプレイするという後
期ビートルズのやり方からの脱出口として、ポールは小ステージへ
突然参加するようなコンサートツアーを計画していたのだった。だ
から「バンド・オン・ザ・ラン」は、ビートルズではないやり方と
いう意味を持ちえたのである。そしてもっと大切なことは、この曲
が現実的な場所に共同性の足場を持ちえなくなったカウンター・カ
ルチャーの可能性、あるいは行方のひとつのあり方を言い当ててい
たことだ。彼は、カウンター・カルチャーの共同性は「逃亡中」と
回答したのだ。これは、カウンター・カルチャーの共同性は不可視
の領域に移行したと言っても、ザブ・カルチャーとして生き永らえ
ていると言っても同じことだった。

 ポールはこの曲によって、確かにビートルズ以後の意味を明示し
てくれたのだ。この問いの重さを思えば、このことは特筆されてよ
いことだ。
 ポール・マッカートニーは、軽快さと快美さを活かした美事な作
品で音楽機械としてのマッカートニーを、レノン―マッカートニー
に引けをとらない確たるものにした。それと同時に、ビートルズ解
散としてのカウンター・カルチャーの共同性の消滅を、無害にみえ
るサブ・カルチャーとして遍在させ、不可視の領域で生き永らえさ
せたのだ。「逃走中のバンド」というコンセプトは、図らずもその
メタファーを担うことになった。

(超自然哲学36 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


|

« いちばんきれいであったかいマラソン | トップページ | カウンター・カルチャーの行方2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: カウンター・カルチャーの行方1:

« いちばんきれいであったかいマラソン | トップページ | カウンター・カルチャーの行方2 »