« 小さな手が受けとめる | トップページ | 石ころを蹴りながら »

2007/03/27

砂の島、与論島。

与論言葉で与論島を指す、
ユンヌの語源について、
「砂の島」と仮説します。

もっと正確にいえば、ユンヌシマ=砂の島、です。

砂を意味する「ユナ」と、「の」と同じ意味の格助詞「ヌ」、
そして「シマ」がつながると、「ユナ・ヌ・シマ」になります。

ユナ(砂)ヌ(の)シマ(島)。

ここで、ユナヌの、ナがN音に縮退して、ユンヌシマ。
シマはわざわざ言わないことが多く、
省略されて、ユンヌ。

ということで、ユナヌシマから
ユンヌが生まれたと考えてみました。

ユンヌは砂の島。
与論島は「砂の島」と解します。

 ○ ○ ○

これは、15世紀に、与那国島を「ユンイシマ」と記述した
記録があることから連想しました。

そういえば、1996年の「与論の歴史の拓け方」という講演で、
外間守善はこう言っています。

 ユンヌのヌの部分はユンヌ島といってるわけですから、
 ここの人達もまたは、やっぱりユンとシマを結ぶ格助詞
 といわれるものであろうことは、昔パナシのなかに
 ユンヌ島といってユンヌとは言っていませんよ。
 ユンヌとだけ言うのであるとするならば、ユンヌという
 言葉でもってこの島を表す言語だといえるでしょうが、
 そうは言ってない。

この発言の流れを汲む仮説にもなるでしょうか。


いろいろ考えめぐらせますが、
こんどの仮説の正否はともかく、
与論は、「砂」との関連で地名を捉えると、
いちばん落ち着きがいいような気がします。

砂の島、与論島。

「砂の島」を語源において、
与論島コンセプトを膨らませると楽しそうです。


|

« 小さな手が受けとめる | トップページ | 石ころを蹴りながら »

コメント

 クオリアさん
お久しぶりです

ユンヌの語源のこと、楽しいですね
幾つも云われていますが・・・
砂の島、私もそれが確かな気がします

 それと いつか云われていた
澪のことがありました

 与論の島を目指して来て
近づいて目に映るのは 海岸の白い砂浜
でしょう・・・ね

 環礁に打ちかえす波浪と
それを越えた中にある礁湖(イノウ)
初めての船長はどこを通って、どの浜を
目指すのでしょうか

 クオリアさんだったら、どうしますか
ずっと ずっと昔の話です
今も変わらないほどだとも云えそうです
他の島にはないユンヌの孤立性というか
アイデンティティーの特異性・・・

 そこにユンヌの言葉や島唄のゆかしさ、
雅な奥の深さがあるように思えます
日本祖語の源流は「ユンヌ」かも・・・

 原点が定まると、もっといろんなことが
目の前に展開しそうに思えます

投稿: サッちゃん | 2007/03/28 00:18

サッちゃんさん。

ぼくは育ちの好みからいえば、
アガサの沖から入って、ゆったりした礁湖に浮いて、
ウドゥヌスーに着くというルートを想定しそうになりますが、
実際にはそんな悠長な航路は選ばないでしょうね。(苦笑)

神話に従えば、赤碕、ついで寺崎、黒花に来たという順番です。
南から北上してきた人。次に南下してきた人。

でももしかしたら、
これは、神話の存在を知った人たちが入った順番で、
もっと以前に来ていた人たちもいたかもしれないと
想像したりします。


与論は、海上からみれば今にも沈みそうな、
それこそ木の葉のような島です。

それに、南には大きな沖縄本島、
北には、沖永良部、徳之島、奄美大島と、
いずれも大きな島が控えているので、
与論は、通り過ぎるだけのことも
多かったのではないかと思います。

それで、小さな場所でひっそりと静かにと思う人や、
白砂や礁湖の美しさに魅入られた人が、
少しずつ足を踏み入れるようになったのではないでしょうか。


「原点が定まると」。そうですね。
もっと色んなことをほぐしていきたいです。

投稿: 喜山 | 2007/03/28 09:21

 クオリアさん
「砂の島」のこと。話がかみ合うようにですけど
 
 海人(うみんちゅ)にはよく分かるそうです
ユンヌのイノウに入ることは、難しいことなので、
島のことを知らない海人は入れない、入らないだろうと

 昔ならば、もっとそうだったのでしょうね
今は、海洋少年が案内してくれてヨットも入るように
なっているとお聞きしてはいます

 今でも、知らない人は容易には近づけなさそうです
コースタルリゾートで変わってしまった今の赤佐の新
しい港は入りやすくなっているみたいですけど

 外海とを隔てている環礁の波間の入り口を見つけて
イノウに入ったとしても林立する珊瑚林間の澪流れを
見つけたり、東大口(うふぐち)にその時々で場所を
変えて現れる幾つもの砂州(百合ヶ浜など)をさけて
砂浜に到達するには、とても容易ではないようです

 麦屋の漁港への澪の流れを見ても、標識はあります
が経験なしでは怖いようですし・・・

 ユンヌが小さい島だから無視されたかのように通り
過ぎたのではなくて
 神秘的な自然の美しさに囲まれ超然と屹立している
その気品に満ちた姿が近寄りがたく・・・などと褒め
過ぎると現実の暮らしの厳しさが、だからこそユンヌ
の文化の奥の深さがなどと、夢か現かを彷徨いはじめ
て、いつのまにか、かっての「泡盛窪」の世界にいる
みたいになってしまったようです。(退散します)

 クオリアさんのユンヌが、あちらこちらと飛び跳ねる
のも、興味深い未知のことばかりで面白いですよ


 

投稿: サッちゃん | 2007/03/28 13:13

サッちゃんさん。

夢か現か。

最近、与論にはそういう力があるのを
改めて思います。

田舎であれば、どこでもあるものではないうこと。
与論には与論にしかないものがあるのではないか。

たとえば、ぼくも与論が出身地じゃなければ、
ある意味、これほどこだわる必要はなかったろうと思うのです。

辿りつくのが困難であればあるほど輝きを増す美のように、
ここには人を誘う力があるのでしょうか。

それは時に、人を狂わせもする。
そういう力すら持っているのではないかと、
思うのです。

奥深いコメント、ありがとうございます。


投稿: 喜山 | 2007/03/28 19:40

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 砂の島、与論島。:

« 小さな手が受けとめる | トップページ | 石ころを蹴りながら »