« 「ウランバーナの森」を抜けて | トップページ | カウンター・カルチャーの行方4 »

2007/03/09

カウンター・カルチャーの行方3

 ビートルズが象徴したカウンター・カルチャーを、いま、「ラブ
&ピース」という言葉で象徴させてみよう。そして、「ラブ&ピー
ス」は現在、どのように生きられているかを考えてみたい。ビート
ルズを起点に、言い換えれば60年代から現在を見れば、どんな眺
望が得られるだろう。

 60年代は、時代のテーマをひとつの言葉で表わす結晶性を持っ
ていたと思える。それがあの、「ラブ&ピース」だ。そしてビート
ルズの作品「愛こそはすべて」は、曲のムードが「ラブ&ピース」
という思想を美事に体現していたのだった。
 「ラブ&ピース」が普遍的な響きを持っているのは、このフレー
ズが対幻想と共同幻想を両方とも盛り込んだメッセージだったから
だと思う。そして、その同居を可能にしたのが60年代という時代
だった。ゴールデン・シックスティーズと言われる所以だ。ぼくた
ちは、「ラブ&ピース」を手がかりにすれば、60年代をはさむ時
代と、60年代以降と、そして今をどのように言うことができるだ
ろう。

 ぼくはそれを次のように置いてきた。

 40年代 ウォー&ピース
 50年代 ピース
 60年代 ラブ&ピース
 70年代 ラブ
 80年代 ラブ&セックス
 90年代 セックス
 00年代 セックス&ピース

 40年代は、第二次世界大戦とのその戦後処理としての「戦争」
と「平和」。日本でいえば敗戦後の日々。50年代は占領統治後の
「平和」。60年代、高度経済成長とともに、「平和」だけでなく
日常性の核にある「愛」がテーマに浮上した。「ラブ&ピース」の
意義は大文字の共同幻想のテーマ以外に、それと同列に、小文字の
対幻想のテーマを同居させた点にある。日常性が大事であることを
意識化したのだ。ただ、「平和」というテーマは40年代から続い
てきた、戦争の反対概念としてのそれというより、米ソ対立による
代理戦争としてある戦争への否定だった。

 70年代には、日常性が社会を覆いつくす。そこには、必需的支
出以外の選択的支出の増加による生活の安定化が背景にあった。も
はや共同幻想のテーマを扱うより、日常性をテーマにすることが切
実になったのだ。「愛」は日常性の象徴だった。
 80年代、消費が高度化するともに「愛」の中から「性」が独立
性を強め、「愛」から分離するように動いた。ある意味で「性」そ
のものを歌った1980年のオノ・ヨーコの曲「キス・キス・キス」
は分離そのものを体現していたのだ。しかしこれは対幻想の強化で
はなく、むしろその弱体化を意味していた。関係について、「愛」
と「性」とがセットで無くなったのだ。

 さらに進んで90年代には、「性」は「愛」を蹴落としたように
見える。「性」それ自体が屹立したのだ。女性のヘアヌードはその
象徴だった。宮沢りえの写真集が91年、そして92年のマドンナ
の写真集は、その名も『SEX』だった。対幻想の核にあるものが、
関係性の要とならずにそれから切り離されて時代のテーマになった
のだ。
 2000年代になり、ぼくは確信の持てないまま「セックス&
ピース」と言葉を置いてきた。「性」それ自体の屹立は依然として
テーマであり続ける一方で、「平和」という共同幻想に関わるテー
マも再浮上してきた。ただ、この「平和」は、40年代のそれとも
60年代のそれとも意味を異にしている。現在では、「平和」は、
アメリカ一国の覇権主義に対する否定である。

 この言葉は、一見「ラブ&ピース」と似ているし、その進化形の
ようにすら見えるかもしれないが、まるで様相を異にしている。
「ラブ&ピース」の時代、対他的関係は信じられており、また、共
同幻想の世界においても、米ソは加担すべきどちらかという現れ方
をしていた。ところが現在、テーマとしての「セックス」は、とも
すると心を失った対他的関係のことであり、「ピース」が対抗とし
て見据えるのもアメリカという単一項だ。
 ぼくたちは「ラブ&ピース」のように、「セックス&ピース」と
言うことはできない。前者は連帯やつながりの言葉たりえるが、後
者はその喪失としてあるからだ。
 これが、60年代から眺望したときに見えてくる現在の姿だ。

(超自然哲学38 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


|

« 「ウランバーナの森」を抜けて | トップページ | カウンター・カルチャーの行方4 »

コメント

喜山さん おはようございます。
超自然哲学について
今日の年代別推移の捉え方で
少し中にはいることができました。
この類の意見を交換することは与論島での日常生活では
とてもありえないことなので
読んでいてあれこれ考える楽しみがあります。
自分でない他人が
どういうもの(クオリア)に動かされているかには大変興味があります。自分が年を重ねることによって求める楽しみや
考え方、もろもろの概念について何か目標があればと思っています。
孔子の言う年代べつの生き方と照らし合わせたり
ここで述べてる
ラブ
セックス
セックスアンド・ピース

私も同じたどる道のように思います。
深く考えず、感じたままに書きました。

投稿: 泡 盛窪 | 2007/03/10 04:58

盛窪さん、喜山です。

この種の意見交換、東京でもそうあるものではありません。
なので、とても嬉しいです。

与論島の日常を感じたいです。

お気遣い、ありがとうございました。

投稿: 喜山 | 2007/03/10 17:24

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: カウンター・カルチャーの行方3:

» 宮沢りえさんのプロフィール [宮沢りえ]
宮沢りえさんの基本的なプロフィールです。 [続きを読む]

受信: 2007/03/10 00:16

« 「ウランバーナの森」を抜けて | トップページ | カウンター・カルチャーの行方4 »