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2007/03/04

新 「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は優遊幻想曲

 アルバム『LOVE』のなかでも、特に関心をそそられるのは、
曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」だ。
 ジョン・レノンの手になるこの作品はもともと不思議な成り立ち
をしている。
 ぼくたちは90年代にリリースされたビートルズ・アンソロジー
のおかげで曲が完成する前の主要なバージョンを知ることができた
のだけれど、それを聞いてまず驚いたのは、それぞれのバージョン
の完成度の高さだった。まず、磨かれるのをまった原石があり、そ
れが次第に輝いていくというのではなく、最初から完成した作品があ
り、その後つくられたいくつかのバージョンはその表情を変えたに
過ぎないように聞こえるのだ。

 現に、ビートルズのプロデューサーとして名高いジョージ・マー
ティンは、ジョンが初めてアコースティック・ギターを弾きながら
この曲を披露して、「これをどうすればいい?」と彼に聞いたとき、
そのまま発表しようと言わなかったことを後悔している、と言うの
だ。
 その割に、この曲をビートルズとして録音した最初のバージョン
のことは「魔法のレコーディング」と賞賛している。

 さらに曲はその後、アレンジの工夫を経て完成するが、しばらく
すると、ジョン自身が満足していないといって、オーケストラのア
レンジを要請し、それも完成する。この二つの完成版は、オーケス
トラを加えたものが「重いバージョン」と呼ばれ、早くできたほう
はそれに呼応するように「軽いバージョン」と呼ばれたのだった。

 しかし話はこれで終らない。ジョンは、しばらくすると二つのバー
ジョンをどちらも捨てがたいと言い、両者をつなぐよう要請する。
だいたいジョン・レノンは、技術的なこともそうだけれど、作品を
どうしたいのか、たとえば、「おがくずの匂いがするように」とか、
比喩的な表現はお手の物だけれど、どの楽器でどのようにアレンジ
するかを具体的に言うことができなかった。それが、この手の無理
難題を呼ぶわけだが、エンジニアたちはよくそれに応え、キーも速
さも違う二つのバージョンをつなげることに成功し、ぼくたちの耳
慣れた「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は完成した
のだ。

 こうしてみると、この作品は、はじめから高度な編集を経た作品
だったのである。
 ところでアルバム『LOVE』のなかでこの作品に特に関心をそ
そられるいきさつはこれからだ。
 ビートルズとしては、初めて無制限の時間を使い数多くの試行錯
誤を経て仕上げた誇るべき作品のはずなのだが、当のジョン・レノ
ンは、70年代のどこかで、ジョージ・マーティンに、「ストロベ
リー・フィールズ・フォーエヴァー」はやり直したいと告げて彼を
驚かす。また他界する直前のインタビューでも、この曲のレコーデ
ィングへの不満を漏らしているのだ。満足していない、と。

 このことをどう受け止めればいいのだろう。
 アンソロジーでそれぞれに完成度の高い作品に触れて、ぼくが思
ったのは、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」を元歌
にして、さらに幻想性を高めたカバーのバージョンを作り続けるこ
と、または、この曲をモチーフにした別の作品をつくること。そう
やって、この曲の持つ幻想性をさらに開花させるのが、ジョン・レ
ノンのいない世界で、この曲を受け止めることだと考えてきた。

 そう受け止めてきたので、アルバム『LOVE』の「ストロベリー
・フィールズ・フォーエヴァー」も、ジョン・レノンの問いにどの
ように応えているかに俄然、関心が向くというものだ。幻滅してい
ると言われた当のジョージ・マーティンも、「ジョンは許してくる
だろうか」とコメントし、この曲を取り上げる意味を自覚している。

 さて、そんな思いから耳を澄ますと、この曲はオリジナルより優
しい。もともと、優しく切ない曲調だったものを重く幻想的に仕上
げていったのだが、そういう意味では、初期の優しさを生かしてい
る。そのはずで、冒頭の部分は、オノ・ヨーコから提供された初期
録音を素材にしているという。
 そしてこの曲は、オリジナルより幻想性に遊んでいる。もともと、
ワイルド・リズム・トラックと彼らが呼んでいたリンゴの荒々しい
ドラムを軸にした演奏を曲の終盤に使っているけれど、そこにビー
トルズの他の曲を放り込んで、遊んでいるのである。遊びはこの個
所の本分だから、それは本意にかなったことだった。

 新「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は、優遊幻想
曲とも言うべき仕上がりなのだ。ジョージ・マーティンのコメント、
「ジョンは許してくるだろうか」について言えば、許すも何もとぼ
くは思う。ジョン・レノンなら、この試みを歓迎しただろう。ジョ
ンの願いでもあったはずなのだ。でもこうも付け加えるだろう。
「で、次は?」と。不満が残るというのではない。そうではなく、
幻想はどこまでも膨らむことができるからである。もっと幻想性に
あふれた「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」を聞きた
いと思うはずなのだ。ジョンならずとも、ぼくたち自身がそう思っ
てしまうのだから。

 それはアルバム全体についても言える。選曲に関し、ビートルズ
とその遺族はヒット曲に限定しないと、プロデューサーに選択肢を
与えたようにコメントしているけれど、それでもやはり、四人それ
ぞれのグレイト・ソングを外すわけにいかない、それらについては
作品の全体性を壊す編集を加えるわけにいかないという配慮を随所
に感じる。もっと、「聞いたことがある」と「聞いたことがない」
の振幅の大きい編集ができるはずだ。そんな作品を期待したい。

 さて、ビートルズのニューアルバム『LOVE』は、現在の社会
における世界との関わり方が、「人工的自然を像(イメージ)的身
体とする」というテーマであることをよく教えてくれる。そしてそ
れと同時に、像(イメージ)的身体化の行為が「編集」に他ならな
いことを如実に物語っている。

(超自然哲学33 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


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コメント

lave
isu
fui-rinngu
しか思い出せない。
      今日は  ひさしぶりに酔いました。

     ビートルズ  をここまでは語れないが
              ベートーベンの次に
                 好きな音楽(時代を変えた)  
       と思っています。
                 いつか、おもいを語りたい。

投稿: 泡 盛窪 | 2007/03/04 22:47

盛窪さん、マラソンおつかれさまです。

ジョ・レノンの「love」ですね。
盛窪さんのビートルズ談義、楽しみにしています。

投稿: 喜山 | 2007/03/05 09:05

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