イノー感覚
二年前の話だけれど、
小学生の次男が、水泳で背浮きができると
級があがるといいうので、
さっそくやってみました。
場所はもちろん、与論のイノー(礁湖)。
まず、やってみせるのですが、
そういう機会でもなければ、
背浮きなんて長いことやってなかったのに気づきました。
海に浮いて顔だけ出して空を見上げると、
なんとも気持ちいい。
ぷかぷか浮いて、
外の音は遠のき、
空の青と行き交う雲の白が視界の全部。
海と一体になったようで、
なんとも言えず安らぎました。
○ ○ ○
こうやるんだよ、
と子どもに言ってさせてみると、
最初、足が自然に下がって足をついてしまうのだけど、
だんだん力を抜くことを覚えて、
腰がまがらなくなると、
仰向けで浮くようになるのでした。
不思議なことに
東京のプールでは悪戦苦闘してるのに、
イノー(礁湖)だとあっという間です。
そういえば、上の子も、
そこで平泳ぎやクロールの練習をして、
なんとなくできる感じを掴んでました。
○ ○ ○
海だからプールより浮きやすいからと
ぼくは思ってきましたが、
どうもそれだけではないのかもしれません。
イノーだから。
あれだけ静かな海、湖のような海だから、
安心して浮いていられる。
海に抱かれるように、
遊んでいられるから、
泳ぎもすぐに覚えてしまう。
そうなのかもしれない。
イノーは不思議な場所です。
イノーでは時が経つのも忘れて、
海と一体になれるのですから。
ひょっとして浦島太郎の物語が、
美しい竜宮の話としてだけでなく、
時の忘却という時間の話にもなっているのは、
その背景に、この、
イノー感覚があるのかもしれないですね。
【追記】
おとついで「超自然哲学」は終わりました。
関心があちこちに行くので、
超自然哲学のテーマは、「超・自然哲学」に。
マーケティングのテーマは、「歩くマーケティング」に
書くことにしました。
「ビートルズ」も準備中です。
「与論島クオリア」では、
イノーに浮かぶときのように、
与論感覚に浸りたいですね。
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