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2007/03/12

OFFの作法

 インターネットはつながりとやりとりの世界だ。そしてブロード
バンドは、常時接続と言われたように、今では「いつでも」つなが
ることができるようになっている。さらに、携帯電話などが徐々に
その領域を拡大しているように、「どこでも」つながることができ
るようになりつつある。「いつでもどこでも」つながることが、社
会基盤になってゆくのだ。「つながり」の普遍化である。

 そこで、インターネットの生活技術は、「いつでもどこでも」、
どのように知りたい情報を見つけるか、どのように会いたい人に出
会うか、逆に、どのように見つけてもらうかに、焦点が当っている。

 でも、本当に大事なのは、ぼくたちが第三次の世界に対するため
に必要なのは、つながりをオフにする技術なのではないだろうか。
 つながりをオフにするということは、そもそもつながらないとい
う意味ではない。インターネットの世界は、ぼくたちに新しい可能
性をもたらすという点で、つながることは不可避だと思える。オフ
は、そもそもつながらないということではなく、「つながり」が所
与の条件になっている世界から、どうやってつながらない状態を作
り出すかということだ。つながりを断つ、のとは少し違うから、切
断の技術とは言いたくない。つながりをオフする技術だ。

 まず、ぼくたちはインターネットにつながっていても、イメージ
的身体であるインターネットの内部に生息しているわけではないか
ら、寝ている時間を筆頭に、絶対的につながっていない状態が必要
なことは言うまでもない。
 オフにする技術が積極的に問われるのは、こういうことだ。たと
えばこれまでだと関係が消滅に向かう場合、去る者日々に疎しで、
会う機会がないことは、関係を消してゆく作法に自然になっていた。
けれど、インターネットの場合、意志や自然の成り行きとは別に、
eメールを送らなくても潜在的にはつながった状態のままになって
いる。メールアドレスを変えるとかURLを変えるなどの選択肢は
あるけれど、それが絶対的な決め手になるわけではない。

 関係をオフにしたい場合、どのようにすればいいのか。それは大
切な生活技術だ。たとえば、インターネットはストーカーが発生し
やすい空間だが、関係をオフにしたい場合、徹底的に返事をしない
ことが大切になる。レスポンスを栄養源に成長するのがストーカー
だからだ。
 また、第三次の世界は時間を重畳化する特徴がある。音楽を聞き
ながら勉強や料理をするのは、以前からある「ながら」の行為だけ
れど、それだけでなく、TVを見ながらインターネットをみるのは、
すこぶる一般的な生活行動になっている。また、電車に乗りながら
携帯電話の機能を使ってeメールを打ったり、インターネットで地
図を検索しながら、携帯電話で相手に場所を伝えたりする。時間は
単線では流れず複線化しているのだ。

 オフにするというのは、複線化された時間を単線に戻す行為のこ
とだ。それは、複線化した時間の中だけで生きることはできないか
ら必要だというだけではない。複線の行動が一般化するにつれ、た
とえば、会議中に携帯電話に出るとか、会議の最中にノートパソコ
ンでeメールをしたり別の操作をしたりするようなシーンが生まれ
るようになった。技術的に可能であることがそのまま、あれよあれ
よという間に、それまでになかった時間の割り込みを出現させてし
まっている。オフの作法が必要なのは、こうした行動が会議の時間
の流れを台無しにするからだ。たとえば、会議の場では携帯電話や
不要なオンラインをオフにすることが、生活技術として必要になる
のである。

 それは、人と人の関係としても言えるだろう。対面で話している
間、話題に関係なければ、携帯やパソコンをオンラインにしないと
いう行為は、相手との場を第一に考えるという態度を示すことにな
る。それは、信頼関係として大切であるに違いない。

 つながっりぱなしの世界だからこそ、それをどのようにオフする
か。それは、第三次の世界からいつでも降りられる道筋を確保する
ことを意味する。インターネットの世界が、仮に降りられない世界
の謂いになってしまったら、社会はさらに息苦しくなる他ないから
だ。

(超自然哲学41 「7.インターネット時代の生活技術」)


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