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2007/03/30

近代奄美最大の文学者の死

島尾ミホさんが亡くなった。
近代奄美最大の文学者の死だった。

島尾ミホさんの『海辺の生と死』を読んだ時、
与論出身者として、誤解を恐れずに言えば、
奄美に、このような教養と表現力が育ったことが
信じられない思いだった。

それは夫である島尾敏雄が育んだ面もあったとしても、
後押しほどのもので、
もともと資質の力が開花したものに思えた。

ここから見れば、島尾敏雄とミホさんの出会いに
運命的なものを見ないわけにいかない。

ミホさんの病態を前にして、敏雄は日記に、

 ミホは周囲の人々から大切にされ、
 成長期に競争、嫉妬ということを知らずに育ち、
 憎悪の訓練がなかった、珍しい性格で、今それを知り、
 許すか (?愛するか)憎むかどちらかに決めねばならぬ
 ジレンマと混乱に陥っている。
 (『「死の棘」日記』島尾敏雄)

と、書く。

一方、ミホさんは、その日記公開の機に、
「発病するまでストレスを感じたことはなく、
幼子のようでした」と、
敏雄に呼応するように述懐している。

無垢な魂が現世に落ちた時、
その「ジレンマと混乱」は、
二人だけの問題に止まらず、
世代をまたぐ重たい課題になったことを
ぼくたちは知っている。

けれどだからといって、
敏雄とミホさんの辿った恋路を
誰が責めることができよう。

ぼくたちは、ただただ、
その運命の行方を追うことだけが
できることのように思える。

島尾敏雄亡き後、
ミホさんは喪服を着る日々だったという。
ここで彼女は、やっと、
夫、敏雄のもとに旅立てたという思いだったかもしれない。


夫のもとに逝ったミホさんを自宅で最初に目にしたのは、
孫の島尾まほさんだった。

ぼくは、ミホさんの死の当日、
まほさんの『まほちゃんの家』を読んで、
島尾敏雄とミホさんの物語が、
孫によって救われているのを感じ、
翌日、それが「小さな手が受けとめる」という言葉になった。

個人的な思いを言えば、
ミホさんが逝った知らせを聞く前に、
まほさんを通じて、
「死の棘」の物語が、
ある救済を得ているのを感じることができて
よかったと思う。

間に合ってよかった。
そう思った。

まほさんは、
作品だけでなく、
実際にも「死の棘」の物語を、
その小さな手で引き取る役割を担うことになった。

願わくば、
逝った姿に最初に向かい合ったことで、
まほさんの魂が痛みませんように。

ミホさんにとっての救いが、
まほさんの力になりますように。

純粋なる関係を信じ続けたミホさん。
奄美に、これ以上にない表現を与えてくれたミホさん。

ミホさんの純粋を受け取ることが、
ミホさんと島尾敏雄の追悼になると信じます。



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