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2007/03/31

万田坑・・止まった時間

フォトジャーナリストの片山通夫さんが、
閉山後10年の三井三池炭坑の万田坑を訪ね、
それを写真のスライドショーとして見せてくれています。

 「万田坑・・止まった時間」

三井三池炭坑での与論島移住者の苦労は、
史実としてしか知らないので、
歴史を語る写真のなかに、
与論や、中国、朝鮮の人々を幻視するように見ました。

与論を出でた民の苦労も、
いまのぼくたちの力にしたいという気持ちで。


与論の人に、みてほしいスライドショーです。

鎮魂と歴史の引き受けと。




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夢と与論

 人は人生を間違うものです。 あなただってそうです。
 だから、人のこと心配するより、自分のことを考えたほうがいい。
 「夢」があるから、それを断念するってことだってある。
 夢を断念することでも、夢は、その人の中に、
 「夢」という形で生き続けるんだと思います。
 だから、夢はあったほうがいい。
 夢に、振り回されるのが、人生なんだと思いますね。
 それが生きていることの意味、醍醐味だと思います。
 夢を実現することなんかじゃない。
 夢に、人生を棒にふられることが。それを含めて、ということかな。
 いや、今回は、だいぶ勝手なことをいっていますね。
 すみません。少し、夢が、いや、お酒が、入っているせいです。
 (『考える人生相談』加藤典洋、2007年)

 (「夢をあきらめずにがんばってください」というメッセージは、
 ときに残酷なことのように思うけれど、という相談者に答えて)


う~ん。ぼくと与論の関係そのものです。
「夢」を「与論」と置き換えて読むと。

うなります。



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2007/03/30

近代奄美最大の文学者の死

島尾ミホさんが亡くなった。
近代奄美最大の文学者の死だった。

島尾ミホさんの『海辺の生と死』を読んだ時、
与論出身者として、誤解を恐れずに言えば、
奄美に、このような教養と表現力が育ったことが
信じられない思いだった。

それは夫である島尾敏雄が育んだ面もあったとしても、
後押しほどのもので、
もともと資質の力が開花したものに思えた。

ここから見れば、島尾敏雄とミホさんの出会いに
運命的なものを見ないわけにいかない。

ミホさんの病態を前にして、敏雄は日記に、

 ミホは周囲の人々から大切にされ、
 成長期に競争、嫉妬ということを知らずに育ち、
 憎悪の訓練がなかった、珍しい性格で、今それを知り、
 許すか (?愛するか)憎むかどちらかに決めねばならぬ
 ジレンマと混乱に陥っている。
 (『「死の棘」日記』島尾敏雄)

と、書く。

一方、ミホさんは、その日記公開の機に、
「発病するまでストレスを感じたことはなく、
幼子のようでした」と、
敏雄に呼応するように述懐している。

無垢な魂が現世に落ちた時、
その「ジレンマと混乱」は、
二人だけの問題に止まらず、
世代をまたぐ重たい課題になったことを
ぼくたちは知っている。

けれどだからといって、
敏雄とミホさんの辿った恋路を
誰が責めることができよう。

ぼくたちは、ただただ、
その運命の行方を追うことだけが
できることのように思える。

島尾敏雄亡き後、
ミホさんは喪服を着る日々だったという。
ここで彼女は、やっと、
夫、敏雄のもとに旅立てたという思いだったかもしれない。


夫のもとに逝ったミホさんを自宅で最初に目にしたのは、
孫の島尾まほさんだった。

ぼくは、ミホさんの死の当日、
まほさんの『まほちゃんの家』を読んで、
島尾敏雄とミホさんの物語が、
孫によって救われているのを感じ、
翌日、それが「小さな手が受けとめる」という言葉になった。

個人的な思いを言えば、
ミホさんが逝った知らせを聞く前に、
まほさんを通じて、
「死の棘」の物語が、
ある救済を得ているのを感じることができて
よかったと思う。

間に合ってよかった。
そう思った。

まほさんは、
作品だけでなく、
実際にも「死の棘」の物語を、
その小さな手で引き取る役割を担うことになった。

願わくば、
逝った姿に最初に向かい合ったことで、
まほさんの魂が痛みませんように。

ミホさんにとっての救いが、
まほさんの力になりますように。

純粋なる関係を信じ続けたミホさん。
奄美に、これ以上にない表現を与えてくれたミホさん。

ミホさんの純粋を受け取ることが、
ミホさんと島尾敏雄の追悼になると信じます。



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2007/03/29

ドゥナンとユンヌ

いままで、折に触れて、
与那国島と与論島は、
近い地名なのではないかと言ってきましたが、

言うことがごにょごにょしてるので、
図に整理してみました。

意を尽くしきれてませんが、
どう近いのか、少し分かりやすくなると思います。

ドゥナン、ユノーン、ユンイ

これらは与那国島の呼称として存在している(した)もの。

ダンヌ

与那国島にある浜辺の名前。

ユンヌ

与論島の呼称。

実線は、同じ意味の関係。
点線は、近いと思われる関係。

根拠として3つのルールで考えています。

1) d音=y音
2) 5母音は3母音変換する
3) アイウエオの同一行内の音韻変化は訛りの範囲

__1















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2007/03/28

琉球弧は、砂浜諸島

従来、「砂(浜)」に由来を持つ琉球弧の地名には、
国頭村のユナ(与那)、豊見城市の字ユニ(与根)、
南風原町の字ユナファ(与那覇)、
ユナバル(与那原町)が挙げられますが、
ここには、与那国島と与論島も加わると思います。


1)与那国島

呼称:ドゥナン、ユノーン、
   ユンイ(15世紀の外国人の記録)

d音=y音なので、ドゥナンはユナンと同じ。
現に、与那国島で、与那原と書いて「ドナンハラ」
と読む姓があるといいます。

ドゥナンは、砂(浜)を意味するユナ系の名前であると思います。


2)与論島

呼称:ユンヌ

与論島も、ユナ系と考察しました。

ちなみに、与那国島にある「ダンヌ浜」と、
ユンヌは、同じ地名と言っていいと思います。


与論、与那、与根、与那覇、与那原町、与那国と、
ユナ(砂浜)系の地名は、琉球弧を縦断するひろがりを
持つのではないでしょうか?

南北一千キロにおよぶ白砂の流れ。
ここからみれば、琉球弧は、砂浜諸島です。




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島尾ミホ、逝く

島尾ミホさんが他界しました。

ミホさんは、『まほちゃんの家』を読んだでしょうか。
逝く前に、読んでいるといい。
そう願わずにいられません。

お疲れさまでした。
どうぞ安らかにお眠りください。

奄美にミホさんがいてくれて、
ほんとうによかった。

純粋なる関係を追究した、
ミホさんに敬意を表します。

さようなら。


「近代奄美最大の文学者の死」を書きました。



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石ころを蹴りながら

ああ、と懐かしい写真を見せてもらいました。

いつか歩いた道。
石灰岩の石ころを蹴りながら歩いた道。
ムヌが出ないかと、恐かった道。
道らしい道。

いくら与論がクルマ社会だからといって、
道という道が
全部、舗装道路になってしまったら寂しい。

緑の中に、石灰岩の白と土の赤が映える与論の道を、
いつまでも歩きたいものです。

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2007/03/27

砂の島、与論島。

与論言葉で与論島を指す、
ユンヌの語源について、
「砂の島」と仮説します。

もっと正確にいえば、ユンヌシマ=砂の島、です。

砂を意味する「ユナ」と、「の」と同じ意味の格助詞「ヌ」、
そして「シマ」がつながると、「ユナ・ヌ・シマ」になります。

ユナ(砂)ヌ(の)シマ(島)。

ここで、ユナヌの、ナがN音に縮退して、ユンヌシマ。
シマはわざわざ言わないことが多く、
省略されて、ユンヌ。

ということで、ユナヌシマから
ユンヌが生まれたと考えてみました。

ユンヌは砂の島。
与論島は「砂の島」と解します。

 ○ ○ ○

これは、15世紀に、与那国島を「ユンイシマ」と記述した
記録があることから連想しました。

そういえば、1996年の「与論の歴史の拓け方」という講演で、
外間守善はこう言っています。

 ユンヌのヌの部分はユンヌ島といってるわけですから、
 ここの人達もまたは、やっぱりユンとシマを結ぶ格助詞
 といわれるものであろうことは、昔パナシのなかに
 ユンヌ島といってユンヌとは言っていませんよ。
 ユンヌとだけ言うのであるとするならば、ユンヌという
 言葉でもってこの島を表す言語だといえるでしょうが、
 そうは言ってない。

この発言の流れを汲む仮説にもなるでしょうか。


いろいろ考えめぐらせますが、
こんどの仮説の正否はともかく、
与論は、「砂」との関連で地名を捉えると、
いちばん落ち着きがいいような気がします。

砂の島、与論島。

「砂の島」を語源において、
与論島コンセプトを膨らませると楽しそうです。


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2007/03/26

小さな手が受けとめる

しまおまほさんが、『まほちゃんの家』で、
マヤさんのことを書いてくれて、
なんとも救われる気持ちになりました。

ぼくは、2005年の『死の棘日記』で、
マヤさんの他界を知りました。
母のミホさんの言づてだったか、帯にあった解説からだったか、
すぐには思い出せないけれど。

島尾伸三さんの声は、
2004年の『東京~奄美 損なわれた時を求めて』
聞くことができました。

そこにも、マヤさんのことは触れられています。

ただ、ふたつとも事実をそっと書き添えておくような
言及にとどまっていました。

マヤさんはどのように生きたのだろう。

そのことは、いまは滅多に体験できなくなった、
喉にささる亜熱帯魚の小骨のように
気にかかってきました。

だから、まほさんの『まほちゃんの家』で、
マヤさんの素顔が描かれていて、
とても嬉しくなったのです。

 ○ ○ ○

 幼いわたしが抱いていた、彼女に対する
 たまらない愛情はいまでもハッキリと覚えています。
 当時のそれは積み重なる感情の下で
 時に見失ってしまうようなものとは遠い、
 まるで形があるかのように
 わたしの身体のなかに存在していました。
 マヤさんのことを考えると
 わけもなく嬉しくなる、
 いまどうしているか気になる、
 会うのが待ち遠しい。
 マヤさんが茅ヶ崎の家からひとりで我が家へ
 やってくる日は、お祭りよりも誕生日よりも
 特別な一日でした。

この、恋心のような、
まほさんのマヤさんへの愛情は、
大きなものです。

本当なら感想など書かずに、
そっと胸の中にしまっておくべきことかもしれません。
けれど、『まほちゃんの家』には、
伝えたい想いがあるのを感じるので、
それに添えるなら、
ぼくの感想も許されるのではないかと思えます。

マヤさんが幼いころ、手にやけどをおってしまう。
そのことで、祖母である島尾ミホさんは、
息子の伸三さんを咎めます。
やけどのことだけでなく他のことまで
叱責が及んだところで、
祖父であり伸三さんの父である島尾敏雄は、
「ミホ、もうおよしよ」とつぶやく。
そんな場面。

 父はいつものように目をつむって石になり、
 母は「ハイ」と話を聞く。
 マヤさんはそれを少し離れてみている。
 本当に本当にどうしようもなく途方もない時間に、
 わたしはやけどの痛みを忘れて泣きました。

こう、まほさんは書きます。

不謹慎な連想に違いないのですが、
ここに、約三十年後の「死の棘」の物語を
見てしまいます。

数十年経った場面では、
そこにいるのは、父母と息子娘の四人だけではない。
もうひとり、孫がいたのでした。
孫も「死の棘」の物語の流れのなかに
いやおうなく立ち会ってしまいそうです。

ところが、すぐ後に、
まほさんはこう書きます。

 廊下で祖父が祖母を抱きしめて、
 祖母が心の底から嬉しそうに笑います。
 わたしも真似てマヤさんを抱きしめて、
 マヤさんも嬉しそうに抱き返す。
 そんな時間は、父も母もいあにほうが
 なんとなくやりやすかった。

まほさんは、
やはり否応なく「死の棘」に続く場面に立ち会ってます。

けれど、そうには違いないのですが、
ただ巻き込まれるように立ち会うのではなく、
まほさんは彼女にしかできないやり方で事態に向き合い、
そして時満ちて今、書いてくれているのではないでしょうか。

島尾隊長とミホを髣髴とさせる場面があり、
それを孫は見、そこからよきものを受けとり、
ミホさんを抱きしめ、ミホさんに抱きしめ返される。

まほさんは、ここでミホさんを癒すというだけではない。
それを読む、『死の棘』の読者をも癒すことでしょう。
ぼくたちは、物語がここまで進むのに、
世代をまたぐ必要があることに大きくうなずくでしょう。

そして物語を救うのが、
大人の大きな手ではなく、
弱々しいまだ未熟な、小さな手であることにも。

 ○ ○ ○

マヤさんのことだけが、
『まほちゃんの家』のモチーフではないのだけれど、
まほさん自身も、マヤさんのことが気がかりだったと
あとがきに書いています。

 マヤさんがいなくなって、
 目の前の景色が変わったような気がしていた。
 優しくて、綺麗で、宝物だったマヤさんへの
 気持ちや思い出を、自分の中だけにしまっておくのは
 息苦しいしもったいない気がしていました。

こう書くのなら、
ぼくたちはまほさんにお礼を言いたくなります。
よく書いてくれました、と。

おかげで、マヤさんのことを受けとめる
手がかりを持てました。
それは、ありがたく貴重なものです。

  まほちゃんの家

Photo_57


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2007/03/25

与那国島との縁(えにし)

学生の頃に買った『南島の風土と歴史』(1978年)を
めくっていたら、こんなくだりに出くわしました。

  一四七七年(文明九)二月、朝鮮済州島を都へ向けて
 出発した船が風難に逢い、漂流十四日目に一小島を発見
 してこぎつけたが、中途で船がこわれ、乗組員多数が溺
 死し、わずかに三人が島民に救助された。その小島は
 「閨伊是麼(ユンイシマ)」であった。その「ユンイシ
 マ」とは、方言でドゥナン、ユノーンとよばれる沖縄最
 南端の与那国島であったことは間違いない。

 (『南島の風土と歴史』上原兼善・大城立裕・仲地哲夫)

与那国島を「ユンイシマ」と呼ぶ記述があるということ。
やっぱり、与論島と与那国島に地名のつながりが
あると思えてならないです。

ユンイという呼称が島の人にとって一般的だったと
必ずしも思うわけではないけれど、
でも、ユンヌである与論島と、
近い音で、ユンイと与那国島が呼ばれた
瞬間があるということは、
尽きない関心をそそられます。

八重山諸島の終わりの与那国島と、
奄美諸島の終わりの与論島。
位相的にも近しい。

与論島は、与那国島とは浅からぬ縁が
あると思えて仕方がありません。


Nantouhudo_2













※関連記事

ユナ系としてのユンヌ
ノート:「な」
「ゆんぬ」の語源は?
漂流木としてのユンヌ


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2007/03/24

消え入りそうな島影

五色の与論島の発想は、
この美しい航空写真のような映像体験が
できるようになって得られたものだ。
ぼくたちが飛行機で与論に行き来するようになってから。

でも思い返してみると、
その前は、
外海の洋上で船から島を見てきたのだった。

ぼくは、島影を見ても、
胸が締め付けられる思いをしてきた。

いまにも海面に消え入りそうな島影が切なかった。

いま思えば、「消え入りそうな島影」ではなく、
海面に顔を出して、「今、生まれたばかりの島影」
と発想してもよさそうなのに、
そう感じることはなかった。

短い滞在や別離の場面と重なっていたから、
消えるほうに思いが傾いたんだろうと思う。

 ○ ○ ○

この、「消え入りそうな島影」は、
「五色の与論」とは別に、
島の特徴を示すだろう。

 横からの視線 「消え入りそうな島影」
 上からの視線 「生まれたばかりの島影」


実際に島を一周してみれば、
結構アップダウンはあるけれど、
それでも、いわゆる山はないというのは当たっている。

だから、島のどこにいても、
視界をさえぎられることがあまりない。
空と海の見える頻度が高い。

それが、島の広がりと大きさを生んでいる
もうひとつの要素であり、
島尾敏雄をして、「大陸のなかの高原」を
幻視させた理由のひとつだ。

 ○ ○ ○

それにしても、
「消え入りそうな島影」と、
「生まれたばかりの島影」
を繰り返すものが島にはある。

そう、百合が浜だ。

百合が浜は、やっぱり、与論のなかの与論。
シンボル的な場所だ。



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2007/03/23

与論は広いな大きいな

このところイノーづいてますが、
今日もイノー(礁湖)がらみです。

よく与論島の紹介には、
周囲24km、面積20km2といわれます。
狭い小さい、と。

でも、この美しい航空写真を眺めてみれば、
イノーを含めると、
与論島は1.5倍くらいの大きさになります。
面積30km2です。

これは、東京の山手線の半分くらいの大きさだけれど、
イノーがあるから、
実際より広く大きく感じるんじゃないでしょうか。

 ところで私の浅い与論体験が、その寂しさをかくすこと
 はできないとしても、島のなかを歩いてある景色の大き
 さを感じたのはどういうわけだったろう。大きさという
 よりあるいは広がりといったほうがよいがよいかもしれ
 ない。どこか大陸のなかの高原をさまよい歩いているよ
 うな、あるいは大陸の果てが海に没する広漠たる海岸の
 砂丘をとぼとぼ歩いているような錯覚におちいらせるも
 のがあった。これはどういうわけだったろう。

こんな風に、島尾敏雄は与論の印象を書いたのだけれど、
この与論の不思議な広がり、大きさの理由のひとつに、
イノーの存在があるような気がします。

 ○ ○ ○

与論島は、狭い小さい、ではなく、

与論島はイノー(礁湖)を含めると、
面積30km2。

不思議な広がり、大きさのある島です、
と紹介したいですね。



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ビジット沖縄、ステイ与論

沖縄県が、観光客1000万人を目指して
「ビジットおきなわ計画」を発表しています。

1000万人というのは、
日本の人口の10分の1に当たる数ですから
すごいことです。

もちろん、日本人の10人に1人を沖縄に呼ぼう
というのではなく、外国人観光客が視野に入れられています。

重点項目は5つ。

1.シニアマーケットの拡大
2.外国人観光客の誘客促進
3.コンベンションの誘致促進
4.リゾートウェディングの推進
5.幅広いマーケットへの取り組み

これによって、沖縄の経済が活性化していくといいですね。


ただ、気になることもあります。

リピーター率は、昨年で69%とあるのですが、
これは驚異的な値です。
沖縄好き、沖縄病が多いということです。

それなのに施策は、
トライアー獲得策に力点が置かれているような気がします。

「国民の約6割はまだ沖縄を訪れていない」

このコメントも気になります。
来ていない6割より来てくれた4割を重視して、
その人たちが6割の人へのクチコミを期待するのが
筋のような気がします。

だから、ビジット沖縄ではなく、
ステイ沖縄、が推進すべき方向性ではないかとも思えました。

トライアー獲得への進路が、
沖縄の地霊的な自然の力を損なうことがないよう願います。




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2007/03/22

『まほちゃんの家』、届く

アマゾンから、しまおまほの『まほちゃんの家』が届きました。

しまおまほは、島尾伸三の娘さん。
島尾敏雄と島尾ミホのお孫さんです。
このブログでも何回か作品を取り上げてきました。

親子三代にわたって作品を追うことになります。
考えてみれば、そんな経験はしたことがないですね。

これを読むのは少し先になりそうですが、
装丁がぽかぽか暖かいのが嬉しい。

読む前から、切なかったりほっとしたりしてきます。
楽しみです。

Mahochan_1










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イノーは海、イノーは島

イノーは海。

優しい海。

イノーは、珊瑚の都市。
色鮮やかに着飾った亜熱帯魚たちが、
珊瑚の街をしゃなりしゃなりと歩きます。

人さまも、
ただぷかぷか浮いていることができます。

そしてカラフルな恵みを
島の生活にもたらしてくれるのです。


イノーは島。

海の畑。

盛窪さんの「春分の日のサンゴ礁の畑」にあるとおり、
イノーはときに島としてあらわれます。

そして海の作物をもたらしてくれます。

白砂の島となって時に姿をあらわす百合が浜は、
イノーの詩です。


イノーは海、イノーは島。

ふたつの顔を持つイノーが広々と島を囲んでいるのは、
与論ならではの魅力です。



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2007/03/21

五色の与論

宇宙からみた与論島の色は、
5つの層からできています。

というか、そうみなしてみました。

1_1















中心は、島自体。森が色の主役で、緑が広がります。
ほんとうは、今は森が主役ではなくなっていますが、
そうあってほしい願望を込めて、森の緑とします。

そして島は、海に移る前に、汀の砂が、
まばゆいほどの白を主張しています。
それは、波とともにイノー(礁湖)の蒼に連なっていきます。
イノーの蒼は、陽射しや深浅や珊瑚によって、
ブルーの表情を変えながら、やがて、ピシバナ(干瀬)に至るでしょう。

ピシバナ(干瀬)では、波が立ち、
それが白をふたたび主張します。
この白を境に、色は太平洋と東シナ海の蒼に変わります。

陸から海へという道のりは、
与論島の場合、5つの色の変遷のことです。
陸から海へという場所の変化を、
5つもの色の層で応えているのが与論島の
特徴だと言ってもいいでしょう。


ぬーしらんちが、とは言わないでくださいね。(笑)
それは、ぼくもこれから考えるところです。

でも、5層の与論色は、
与論島の豊かさのあらわれだという気がするのです。
そう、思いませんか?



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2007/03/20

イノー・ブルー

与論島はイノー・ブルー。

雲に隠れたティダ(太陽)が顔を出すや、
瞬時に輝き、透明感をたたえた薄い蒼がきらめきます。


イノー・ブルー。
礁湖の蒼、です。

エメラルド・グリーン、
コバルト・ブルー、セルリアン・ブルーと、
呼び方もさまざまに揺れるほどに、
表情を変える、あの蒼。

与論島に訪れた人のブログを読んでいると、
蒼のひろがりに惹かれたものが多いのに気づきます。

いにしえに与論島の地を最初に踏んだ人類も、
イノー・ブルーに目を奪われたに違いありません。

またイノーは海の畑。
彼らにとって、イノー・ブルーは鑑賞するばかりでなく、
生きる糧を得る場でもありました。

与論の人にとって、
陸が尽きるところまでが島ではなく、
イノーまでが身体化されています。

そこには地名があり、
だから、島は狭い土地ではありませんでした。


生活から美まで、
イノーは、与論島の魅力を湛えてきたのです。


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2007/03/19

いちゃしゅりぼー

ぱーぱー、わなーいちゃしゅりぼー、
なゆんげーらやー。

ぱーぱー、わなー、うれーねーし、
ゆったーしゃしーならじちょー。

うれーや、どぅーしーちゃさるふとぅや、
ぬっちんいゃんがねーしてぃから、
ぴちゅぬむぬがったいや、
えーぬんえーぬんちち、
にゃあとおち、ゆーんたーな、
まっちえーたんやー。

わなー、うれーねーし、
しーちゃさい。

わなー、うくりとぅるなてぃ、
ならじえーしがよー。


ぱーぱー、とーとぅどぉ。
わなー、うれーぬうかげし、
みんぎぬんちゃー、
ゆかむぬち、
むーらりゅいだー。

ぱーぱー、わーちゃんちゃー、
みーまぶーてぃたばーりよー。



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与論力

与論力は、行政区域や所得や人口や、
そんなプロフィールを取ったあとでも残る力のことだ。
与論島の魅力を底の底で支えている与論の底力だ。

与論力は、

与論ブルーのイノー(礁湖)に、
時を選んで姿をあらわす砂浜のなかに、
海、空、陸と幾重にも重なる青の豊かさに、
こぼれおちそうな満点の銀河に、
ガジュマルが湛える森の気配に、
オオゴマダラのスローモーションの舞いのなかに、
ハイビスカスの赤の豊かさに、
リーフで波打って届く潮風に、
島の人のはにかみに、
きむぢゅらさる島の人の心に、
酒と唄でほぐれる間柄に、
島の言葉の時間のなかに、
イノーに戯れる魚たちに、
漂流物を優しく迎える白砂に、
祖霊を迎えるウガンに、
先住民たるアマン(やどかり)のなかに、
全てを溶かす陽射しのなかに、
揺れる砂糖きびの葉のささやきに、
古老に刻み込まれた皺のなかに、
生きる時間の長さのなかに、
踊る手の優雅さのなかに、

宿っている。

そしてまだまだ、まだまだあるはず。

与論島を元気にし、琉球弧を元気にする。
未来の与論島が生きる力になる。

そんな与論力を言葉にしたい。
形にしていきたい。



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2007/03/17

イノー感覚

二年前の話だけれど、
小学生の次男が、水泳で背浮きができると
級があがるといいうので、
さっそくやってみました。

場所はもちろん、与論のイノー(礁湖)。
まず、やってみせるのですが、
そういう機会でもなければ、
背浮きなんて長いことやってなかったのに気づきました。

海に浮いて顔だけ出して空を見上げると、
なんとも気持ちいい。
ぷかぷか浮いて、
外の音は遠のき、
空の青と行き交う雲の白が視界の全部。

海と一体になったようで、
なんとも言えず安らぎました。

 ○ ○ ○

こうやるんだよ、
と子どもに言ってさせてみると、
最初、足が自然に下がって足をついてしまうのだけど、
だんだん力を抜くことを覚えて、
腰がまがらなくなると、
仰向けで浮くようになるのでした。

不思議なことに
東京のプールでは悪戦苦闘してるのに、
イノー(礁湖)だとあっという間です。

そういえば、上の子も、
そこで平泳ぎやクロールの練習をして、
なんとなくできる感じを掴んでました。

 ○ ○ ○

海だからプールより浮きやすいからと
ぼくは思ってきましたが、
どうもそれだけではないのかもしれません。

イノーだから。
あれだけ静かな海、湖のような海だから、
安心して浮いていられる。

海に抱かれるように、
遊んでいられるから、
泳ぎもすぐに覚えてしまう。

そうなのかもしれない。

イノーは不思議な場所です。
イノーでは時が経つのも忘れて、
海と一体になれるのですから。

ひょっとして浦島太郎の物語が、
美しい竜宮の話としてだけでなく、
時の忘却という時間の話にもなっているのは、
その背景に、この、
イノー感覚があるのかもしれないですね。


【追記】

おとついで「超自然哲学」は終わりました。
関心があちこちに行くので、
超自然哲学のテーマは、「超・自然哲学」に。
マーケティングのテーマは、「歩くマーケティング」
書くことにしました。
「ビートルズ」も準備中です。

「与論島クオリア」では、
イノーに浮かぶときのように、
与論感覚に浸りたいですね。

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2007/03/16

与那国2000のインパクト

与那国島の滑走路が2000メートルになりました。
石垣島の1500メートルを越えて、
八重山一になったそうです。

琉球弧にとってインパクトあるニュースですね。

 □ □ □

うるまぐのメルマガの記事によると、
1500メートル滑走路では、
天候が悪いと引き返すことも多かったようです。

ライフラインと観光と、
二重のインパクトがあるのでしょう。

 □ □ □

日本最西端の力を感じるニュース。
知らなかったので、びっくりしました。

与那国島のみなさんに福をもたらしますように。

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雪と白砂

雪はふわふわしているだろうな。
触ってみたいな。

小さい頃はそう思っていました。
ふわふわしてそうなのに、
テレビでみるなだれはどうして危険なんだろうな。
それが疑問でした。

 ※ ※ ※

あるお正月。
浜に降りて、バケツに砂を入れて
庭にまいたことがありました。

いくら海が近いとはいえ、
砂を抱えて持ってくるのはひと苦労でしたが、
赤土の上に白砂をまくと、
それはきれいで、
庭が清められた感じがするのでした。

雪はこんな感じだろうな、
とわくわくしたものです。

 ※ ※ ※

実際の雪は、
もっと白く、
想像していたのと違って、
硬くもあって、
それから、溶けるときには
汚れもするものだと知りました。

与論の白砂は、
コールタールに汚れることはあったけれど、
いまもきれいに輝いています。

白砂よ、永遠なれ。

 ※ ※ ※

東京は今日、初雪。
瞬間的な雪で、線香花火のように、
はかなげでした。

そんな雪を見て思い出すのは、
与論の、島を抱くような白砂です。

Migiwa

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2007/03/15

「ONE PIECE」のNP変換

 子どもから借りて、海賊冒険譚の漫画『ONE PIECE』を
読んできた。とてもいい作品だと思う。

 いまでも特に忘れがたいのは、第16巻のトニー・トニー・チョ
ッパーの話だ。
 鼻がどういうわけか青いため、生まれた直後に親に見離されたト
ナカイがいた。トナカイは親だけでなく仲間からも嫌われ苛められ
て、いつも群れの後ろについて歩いていた。けれどある日、トナカ
イは「ヒトヒトの実」という「悪魔の実」を食べて人間に近い身体
に変化する能力を身につける。そこで、仲間外れを嫌って人間に受
け容れてもらおうと、人間身体になって人里に下りてゆくのだけれ
ど、人間身体としてはふつうの人には見えず、今度は「雪男」と見
なされ銃で追われてしまう。

 作中、そんなトナカイの面倒をみてきた人物ドクター・クレハは、
トナカイと知り合った海賊達にこう語る。「何が悪いのかわからな
い。何を恨めばいいのかもわからない。ただ仲間が欲しかっただけ
なのにバケモノと呼ばれる。もうトナカイでもない…人間でもない…
あいつはね。そうやって…たった一人で生きてきたんだ…。お前達
に…あいつの心を癒せるかい?」(尾田栄一郎『ONE PIEC
E 巻16』ジャンプ・コミックス、2000年)。

 こんなテーマは、必需的支出が消費支出の大半を占めていた「穴」
型の生活段階の頃に、精神の「穴」(=欠如)の物語としてよく取
り上げられていた。
 ところが、この問いを差し向けられた海賊達は別の場面で、トナ
カイが人間に変化する様を見て、「バケモンだ!!!!」(同上)と驚
いた後、「いい奴だ!!!おもしれェっ!!」(同上)と、目を輝かせ
ながら仲間に入れようとするのだ。かつて、精神の「穴」の物語は、
その「穴」(=欠如)をどのように埋めるかという道筋を辿った。
でも、ここで提示されているのは、「穴」をそのまま「山」(=過
剰)と見なすような視線だ。鮮やかなNP変換である。

 この視線変更の場面にぼくたちは新鮮な驚きを覚えながら、物語
を追ってゆく。そこにある新しいリアリティに惹かれるのだ。こん
なNP変換なら、やりたくなる。

 漫画『ONE PIECE』は、海賊たちが、悪魔の実を食べる
ことで、それぞれに超人的な力を手に入れる。主人公は、ゴムゴム
の実を食べて、身体をゴムのように伸ばすことができるゴム人間だ。
トナカイのトニー・トニー・チョッパーは、トナカイなのにヒトヒ
トの実を食べて、人間の力を得てしまう。バラバラの実を食べると、
身体をいつでもバラバラにしたり戻したりすることができる。ウシ
ウシの実を食べると、人間でありながら闘牛のようになることがで
きる。こんな超人間たちの破天荒な物語なのだ。

 ところで、ここでの文脈でいえば、悪魔の実を食べた超人間とは、
自分自身をイメージ的身体化していることが分る。ゴム人間は、ゴ
ムとしてイメージ的身体化した人間なのだ。だから、この作品の実
感は、すこぶる第三次的なのだと言える。
 これは漫画だから空想産物として当然なのではない。非現実なの
だけれどリアルなのは、単にゴムの身体になるというだけではなく、
主人公は、ゴム人間としての能力を強く発揮しようとすると、身体
にそれが負担として跳ね返ってくる。身体全体をゴムのように流動
させると、その反動としてしばらく動けなくなったり、小さくなっ
たりしている。これは、ゴムとしてのイメージ的自然に身体が従っ
ている状態で、この反作用を捉えた点に、すこぶる第三次的なリア
リティがあるのだ。

 この作品がイメージ的身体の世界の中で遊ぶだけになっていない
のは、この反作用によっていつでも生身の身体を思い出すようにあ
るということと、欠如をそのまま過剰とみなすようなNP変換の視
点があるからだ。
 それが物語を、ゴムよろしくのびやいだ世界にしている。ぼくた
ちはこの作品に触れながら、心身が解放されるのを感じるだろう。
 ぼくたちは、この身体と視点ののびやぎを現実世界の中で活かし
たいと願っている。

(超自然哲学44 「7.インターネット時代の生活技術」)

「超自然哲学」了

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2007/03/14

異段階との接点

 異段階との接点は、神秘的なことを言っているのではない。第三
次以前の世界(自然)との交流を持つということだ。
 ぼくたちの世界が、第三次にあるということは、第三次の関係し
かないという意味ではなかった。第二次、第一次、第零次の世界を
層として持っていることを意味していた。ただし、第三次が層とし
て厚いということは、日常的な関係が、第三次的であることを示し
ている。

 ここでも言えることは、ぼくたちは第三次の世界で自足する存在
ではないということだ。ぼくたちが人間としての力を生き生きと保
つためには、第三次以外の異段階との接点を持つことが必要だ。

 それは簡単なことだ。ぼくたちは前に、第二次は「モノをつくる」、
第一次は「植物を育てる」、第零次は「動物を捕る、植物を採る」
と言い換えてみた。これらのことを生活行動の中に組み込むのであ
る。
 モノを作る行為は、モノの手触りから隔たるようにある第三次の
関係の仕方からすれば、自然を非有機的身体にする手応えを感じさ
せてくれる。自分を有機的自然にして、道具としての肉体を実感す
ることができる。モノをつくりながら、見たり触れたりする過程で、
実感らしい実感が得られるのだ。
 植物を育てるのもいい。植物はその場に止まりつづけるけれど、
芽を出し日差しの方へ葉を茂らせて、植物が太陽を生命源にした生
き物であることを教えてくれる。そして、それを育てるということ
が、有機物としての自分へ跳ね返り、自分自身の身体への配慮に注
意を向けてくれる。

 動物を捕る、植物を採るのも同じだ。狩猟には制限があるけれど、
現在的な形態としてペットを飼うことも挙げられるだろう。ペット
は人間のエゴには違いないのだが、それだけではなく、生き物と関
わるということは、絶え間ない手入れが必要なことを教えてくれる。
単に慰安を与える存在だというだけでなく、生老病死を凝縮して伝
えてくれるのだ。
 植物を採る行為には、その延長に、自然に触れる、自然を見る行
為を含めてもいい。ぼくたちは、人工的自然をイメージ的身体化す
るだけでなく、天然自然をもそうしてきた成り立ちの深層に触れる
ことができる。それは、人間としての力を保つのにとても大切に違
いない。

 OFFの作法、リアルへの出口、異段階との接点。これらは、デ
ジタル・イン、アナログ・アウトを具体的にする生活技術なのだ。

(超自然哲学43 「7.インターネット時代の生活技術」)


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2007/03/13

リアルへの出口

 二つ目の生活技術は、リアルへの出口を持つことだ。これは、デ
ジタル・イン、アナログ・アウトの、「アナログ・アウト」にアク
セントを打っている。
 まず、何より第三次のインターネットの世界は、イメージ的身体
の世界であり、自分をインターネットのイメージ的自然にして、つ
まり、観念の分身にして参加している。このとき捨象されるのは、
他でもないぼくたちの生身の身体だ。生身の身体を捨象して参加で
きるのが、インターネットであると言ってもいい。この、生身の身
体に戻ることを忘れてはいけない。

 インターネット外の世界でも、たとえば、本を読むこと物を書く
ことに夢中になると、夢中になっている世界がリアルで、現実の世
界は後景に退くものだ。そして夢中になった後、現実世界に戻ると、
自分の反応が鈍くなっていたり、周囲からは無表情に見えたりする
ことが起きていた。インターネットもその延長にあると言えるが、
夢中になれる道具が、文章と想像以外にもふんだんに用意されてい
るので、やれることも多いけれど、浸りこむ毒も多く持っているよ
うに思える。

 生身の身体を忘れてはいけない。インターネットの後は、頬をつ
ねったり、足を叩いたり、自分が生身の身体を持つ人間であること
を思い出そう。身体を動かすのだ。
 また、eメールに象徴されるように、インターネットは、知り合
うことがそれのない世界とは比較にならない規模で起きやすいし、
親しくなるのも速いだろう。けれど、インターネットだけでは、関
係はリアルにはならない。会うという出口を持つ必要がある。少な
くとも、会うという契機が必要なのだ。このことはポジティブな関
係の場合、まだいい。つまり、会わなくても、関心の共通性が関係
の下地になってくれるから、コミュニケーションを持続させること
ができる。しかし、重たい話題などのネガティブなテーマの場合は、
会うことを前提にしないと、ことをまっとうに終らせることができ
なくなる。eメールの鉄則だが、面と向かって言えないネガティブ
なことは書いてはいけない。これと同じで、会う契機のないネガテ
ィブなコミュニケーションは不要な精神の殺傷を生み、かつ出口が
見出せなくなる。だからリアルへの出口が必要なのである。

 ここには匿名という現象も関わってくる。インターネットは匿名
で遊ぶことを可能にした。徹頭徹尾、匿名で遊ぶ場と見なす観点も
あるだろう。それは、ある意味でぼくたちにとって光明だった。直
接民主主義に言う無記名投票に技術的な道を拓くものだし、また、
繊細なテーマで面と向かっては相談しにくいことに、コミュニケー
ションの糸口を提示してくれたのだ。
 あるいは、インターネットへの匿名参加は、無名の誰でもない者
でいたいという欲求の受け皿になっているのかもしれない。この欲
求にとってインターネットは、社会的、個人的な拘束を解かれた誰
でもないただの人として振る舞える空間である。ここには、無名の
一介の市民として生きたいという生活心情や、シモーヌ・ヴェイユ
のいう「無名性の領域」も顔を出しているように思える。

 しかしだからこそ、匿名でも、現実世界と切断してはいけない。
匿名のネガティブ・コミュニケーションは、人間を壊す作用を持っ
ている。批判する場合は名乗る。あるいは匿名であっても、考え方
の背景を伝えたり、eメールで話せるようにしたり、最終的には会
う用意のあることを見せるのだ。

 現実世界への契機を欠いた「分身」間コミュニケーションには出
口がない。迷宮化すれば、分身は糸の切れた凧のように制御が効か
なくなり、リアルとの緊張関係を欠いた自己増殖を開始して、果て
は身体を喰らってしまう。宮崎駿の映画『千と千尋の神隠し』では、
顔なしが欲にくらんだ人を喰らうけれど、あのように、分身に喰わ
れてしまうのだ。けれど、ぼくたちは分身に喰われてはいけないの
である。人間の力として。
 リアルへの出口を確保することが、生活技術として必要なのだ。

(超自然哲学42 「7.インターネット時代の生活技術」)


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2007/03/12

OFFの作法

 インターネットはつながりとやりとりの世界だ。そしてブロード
バンドは、常時接続と言われたように、今では「いつでも」つなが
ることができるようになっている。さらに、携帯電話などが徐々に
その領域を拡大しているように、「どこでも」つながることができ
るようになりつつある。「いつでもどこでも」つながることが、社
会基盤になってゆくのだ。「つながり」の普遍化である。

 そこで、インターネットの生活技術は、「いつでもどこでも」、
どのように知りたい情報を見つけるか、どのように会いたい人に出
会うか、逆に、どのように見つけてもらうかに、焦点が当っている。

 でも、本当に大事なのは、ぼくたちが第三次の世界に対するため
に必要なのは、つながりをオフにする技術なのではないだろうか。
 つながりをオフにするということは、そもそもつながらないとい
う意味ではない。インターネットの世界は、ぼくたちに新しい可能
性をもたらすという点で、つながることは不可避だと思える。オフ
は、そもそもつながらないということではなく、「つながり」が所
与の条件になっている世界から、どうやってつながらない状態を作
り出すかということだ。つながりを断つ、のとは少し違うから、切
断の技術とは言いたくない。つながりをオフする技術だ。

 まず、ぼくたちはインターネットにつながっていても、イメージ
的身体であるインターネットの内部に生息しているわけではないか
ら、寝ている時間を筆頭に、絶対的につながっていない状態が必要
なことは言うまでもない。
 オフにする技術が積極的に問われるのは、こういうことだ。たと
えばこれまでだと関係が消滅に向かう場合、去る者日々に疎しで、
会う機会がないことは、関係を消してゆく作法に自然になっていた。
けれど、インターネットの場合、意志や自然の成り行きとは別に、
eメールを送らなくても潜在的にはつながった状態のままになって
いる。メールアドレスを変えるとかURLを変えるなどの選択肢は
あるけれど、それが絶対的な決め手になるわけではない。

 関係をオフにしたい場合、どのようにすればいいのか。それは大
切な生活技術だ。たとえば、インターネットはストーカーが発生し
やすい空間だが、関係をオフにしたい場合、徹底的に返事をしない
ことが大切になる。レスポンスを栄養源に成長するのがストーカー
だからだ。
 また、第三次の世界は時間を重畳化する特徴がある。音楽を聞き
ながら勉強や料理をするのは、以前からある「ながら」の行為だけ
れど、それだけでなく、TVを見ながらインターネットをみるのは、
すこぶる一般的な生活行動になっている。また、電車に乗りながら
携帯電話の機能を使ってeメールを打ったり、インターネットで地
図を検索しながら、携帯電話で相手に場所を伝えたりする。時間は
単線では流れず複線化しているのだ。

 オフにするというのは、複線化された時間を単線に戻す行為のこ
とだ。それは、複線化した時間の中だけで生きることはできないか
ら必要だというだけではない。複線の行動が一般化するにつれ、た
とえば、会議中に携帯電話に出るとか、会議の最中にノートパソコ
ンでeメールをしたり別の操作をしたりするようなシーンが生まれ
るようになった。技術的に可能であることがそのまま、あれよあれ
よという間に、それまでになかった時間の割り込みを出現させてし
まっている。オフの作法が必要なのは、こうした行動が会議の時間
の流れを台無しにするからだ。たとえば、会議の場では携帯電話や
不要なオンラインをオフにすることが、生活技術として必要になる
のである。

 それは、人と人の関係としても言えるだろう。対面で話している
間、話題に関係なければ、携帯やパソコンをオンラインにしないと
いう行為は、相手との場を第一に考えるという態度を示すことにな
る。それは、信頼関係として大切であるに違いない。

 つながっりぱなしの世界だからこそ、それをどのようにオフする
か。それは、第三次の世界からいつでも降りられる道筋を確保する
ことを意味する。インターネットの世界が、仮に降りられない世界
の謂いになってしまったら、社会はさらに息苦しくなる他ないから
だ。

(超自然哲学41 「7.インターネット時代の生活技術」)


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2007/03/11

デジタル・イン、アナログ・アウト

 第三次の世界、とくにインターネットに向き合う時、デジタル・
イン、アナログ・アウトが、生活の技術になる。
「デジタル・イン、アナログ・アウト」で言いたいのは、インター
ネットから入り、生身の世界に出口をつくるということだ。いくつ
かシーンを挙げてみよう。

 ・アマゾンで本を注文し、宅配便で受け取る。
 ・ネットで地図検索をして、実際に出かける。
 ・eメールで情報のやりとりをした上で、ミーティングに臨む。
 ・ネットで見込み客の質問を受け取り、商談で回答する。
 ・コミュニティで共通の趣味の人と知り合い、オフ会で会う。

 どれも、インターネットで済ませられることは済ませて実際の行
動に活かす点が共通している。実際の行動につなぐためにインター
ネットを使う、と言い換えてもいい。これは、インターネットとい
うコミュニケーション回路の向き不向きを踏まえたものだ。

 それはひと言で言うことができる。
 インターネットはきっかけづくりに向いているが、決めには向い
ていない。
 これはeメールの特性だと言ってもいい。eメールを介すると、
縁の無いところに縁が生まれる。それは利用者なら誰もがその初期
に不思議な出来事のように経験しているに違いない。最初から顔を
合わせていたら、すぐに親しくなるのは難しいのにeメールだと自
然と親しいやりとりが生まれやすい。だから、親しくなるきっかけ
を作るのにeメールは向いている。

 逆に、声や表情などの身体的な情報は限定されるから、仲良き友
人になるには、会うのが一番だ。言い換えれば、eメールのやりと
りだけで深い信頼関係を持つのは難しい。決め、には向いていない
のだ。
 これはもともと、インターネットで行うマーケティングの経験か
ら得られたコミュニケーション技術だ。インターネットを使うと、
見込み客は得やすい。ただし、取引を成立させるには会う必要があ
る、あるいは会う方が話は早くなる。そんな経験則から生まれた。
 けれど、これはことインターネット・マーケティングだけではな
く、インターネットとの付き合い方の技術として普遍的だと思う。

 eメールは、直接顔を合わせなくてもメッセージを伝えることが
できる。だから、遠隔地にいる場合や、電話するのに時間がはばか
られる場合などは、とても重宝する。外国にいてもまるでそばにい
るように、距離感をぐっと縮めてくれる。それはこの上なくよいと
ころだ。
 しかし逆に、顔を合わせなくてもメッセージできるので、言いに
くいことをeメールに託す誘惑も起きやすい。でもそれは、ポジテ
ィブな事柄ならいざ知らずネガティブな事柄なら、負けてはいけな
い誘惑なのだ。たとえば、叱責、批判などはeメールに向いていな
い。それは面と向かってすべきことだ。会う前提がなければ、少な
くとも会う覚悟、覚悟と言わないまでも心づもりがなければしては
いけない。

 インターネットは、身体性の欠如を代償に、関係の発生や対話の
促進、取引の実現に、それまでにない力を発揮してくれる。ぼくた
ちはその良さを、現実の世界を生かすように、台無しにしないよう
に取り扱っていきたい。こうしたインターネットとの付き合い方は、
生活技術としてぼくたちが身につけていくより仕方がない。

 生活思想としてのデジタル・イン、アナログ・アウトは、デジタ
ルとアナログを等価と見なさない。デジタルとアナログは等しい価
値ではなく、デジタルよりアナログに重きを置く。たとえば、デジ
タルとアナログが矛盾したときは、アナログを採る、と主張するの
だ。

(超自然哲学40 「7.インターネット時代の生活技術」)


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2007/03/10

カウンター・カルチャーの行方4

 時代のテーマの変遷を背景に置いて、ビートルズと解散後のジョ
ンとポールが担ったカウンター・カルチャーの行方という重たい課
題を前にすると、アルバム『LOVE』はどんな表情をするだろう。
 まず、現在が声にならない声で「セックス&ピース」をテーマに
しているとするなら、「LOVE」自体は、そのままでは時代には
応えられない。

 ぼくたちは「セックス」というテーマが屹立することを、関係性
の喪失として捉えてきた。
 この、対他的な関係をどのように築くかという課題に、たとえば
インターネットは、コミュニティによる新しい相互扶助や、直接民
主主義の可能性や、発信する消費者の台頭によって、新しいつなが
りを生み出しつつある。これが、何かをもたらすことは信じられて
よいことだ。

 けれど、「セックス」が「ラブ」と切り離されてあるということ
は、心と身体がバラバラに感じられていることを意味している。
「ラブ」と言うためには、心と身体がバラバラに感じられることに、
どのように向き合えばいいか、応えなければならない。しかし、イ
ンターネットはむしろ、分身として参加することによって、心と身
体の他に、頭も別になる契機として存在している。いまや、心と身
体がバラバラなだけではない。ぼくたちは、頭と心と身体をバラバ
ラにして生きなければならなくなっているのである。ここでも「ラ
ブ」それ自体は正論に過ぎて、問いの前に立ち尽くすしかないよう
に見える。

 「ピース」の課題ははっきりしている。
 「ピース」は、アメリカ一国の覇権主義に対する否定としてだけ
ではなく、戦争自体への否定として言うのでなければ、声にする理
念にはならない。それははっきりしている。

 さて、ぼくたちにカウンター・カルチャーの可能性があるとした
ら、それは、世界に「否」を言うことから始めることではありえず、
しかも、世界を変える可能性を手にすることだ。
 それをアルバム・タイトルの『LOVE』では担いきれないとし
たら、他に何があるだろう。それは、頭と身体と心を分離させなけ
れば生きていけないことに対し、それでもそれらをひとつに取り戻
す力を持っていなければならないはずだ。

 それはやはり、どんなに非力にみえても、言葉による自分と世界
の編み変えの可能性、ではないだろうか。
 曲「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ/ウィズイン・ユー、ウィズ
アウト・ユー」の意外な新鮮さのように、もう既知のことだと思わ
れることも、編集が加わることで、全く違う響きを持ちうる。ぼく
たちは、言葉によって世界は変わる、世界は私の像的身体、それを
手がかりに言葉を探っていくこと。それは、『LOVE』がよく応
えているかどうかはともかく、『LOVE』から受け取ることがで
きる世界への態度なのではないだろうか。

 ビートルズは新しくなれたのである。自分と世界だって編みかえ
ることができるはずだ。そう受け取りたい。

(超自然哲学39 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


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2007/03/09

カウンター・カルチャーの行方3

 ビートルズが象徴したカウンター・カルチャーを、いま、「ラブ
&ピース」という言葉で象徴させてみよう。そして、「ラブ&ピー
ス」は現在、どのように生きられているかを考えてみたい。ビート
ルズを起点に、言い換えれば60年代から現在を見れば、どんな眺
望が得られるだろう。

 60年代は、時代のテーマをひとつの言葉で表わす結晶性を持っ
ていたと思える。それがあの、「ラブ&ピース」だ。そしてビート
ルズの作品「愛こそはすべて」は、曲のムードが「ラブ&ピース」
という思想を美事に体現していたのだった。
 「ラブ&ピース」が普遍的な響きを持っているのは、このフレー
ズが対幻想と共同幻想を両方とも盛り込んだメッセージだったから
だと思う。そして、その同居を可能にしたのが60年代という時代
だった。ゴールデン・シックスティーズと言われる所以だ。ぼくた
ちは、「ラブ&ピース」を手がかりにすれば、60年代をはさむ時
代と、60年代以降と、そして今をどのように言うことができるだ
ろう。

 ぼくはそれを次のように置いてきた。

 40年代 ウォー&ピース
 50年代 ピース
 60年代 ラブ&ピース
 70年代 ラブ
 80年代 ラブ&セックス
 90年代 セックス
 00年代 セックス&ピース

 40年代は、第二次世界大戦とのその戦後処理としての「戦争」
と「平和」。日本でいえば敗戦後の日々。50年代は占領統治後の
「平和」。60年代、高度経済成長とともに、「平和」だけでなく
日常性の核にある「愛」がテーマに浮上した。「ラブ&ピース」の
意義は大文字の共同幻想のテーマ以外に、それと同列に、小文字の
対幻想のテーマを同居させた点にある。日常性が大事であることを
意識化したのだ。ただ、「平和」というテーマは40年代から続い
てきた、戦争の反対概念としてのそれというより、米ソ対立による
代理戦争としてある戦争への否定だった。

 70年代には、日常性が社会を覆いつくす。そこには、必需的支
出以外の選択的支出の増加による生活の安定化が背景にあった。も
はや共同幻想のテーマを扱うより、日常性をテーマにすることが切
実になったのだ。「愛」は日常性の象徴だった。
 80年代、消費が高度化するともに「愛」の中から「性」が独立
性を強め、「愛」から分離するように動いた。ある意味で「性」そ
のものを歌った1980年のオノ・ヨーコの曲「キス・キス・キス」
は分離そのものを体現していたのだ。しかしこれは対幻想の強化で
はなく、むしろその弱体化を意味していた。関係について、「愛」
と「性」とがセットで無くなったのだ。

 さらに進んで90年代には、「性」は「愛」を蹴落としたように
見える。「性」それ自体が屹立したのだ。女性のヘアヌードはその
象徴だった。宮沢りえの写真集が91年、そして92年のマドンナ
の写真集は、その名も『SEX』だった。対幻想の核にあるものが、
関係性の要とならずにそれから切り離されて時代のテーマになった
のだ。
 2000年代になり、ぼくは確信の持てないまま「セックス&
ピース」と言葉を置いてきた。「性」それ自体の屹立は依然として
テーマであり続ける一方で、「平和」という共同幻想に関わるテー
マも再浮上してきた。ただ、この「平和」は、40年代のそれとも
60年代のそれとも意味を異にしている。現在では、「平和」は、
アメリカ一国の覇権主義に対する否定である。

 この言葉は、一見「ラブ&ピース」と似ているし、その進化形の
ようにすら見えるかもしれないが、まるで様相を異にしている。
「ラブ&ピース」の時代、対他的関係は信じられており、また、共
同幻想の世界においても、米ソは加担すべきどちらかという現れ方
をしていた。ところが現在、テーマとしての「セックス」は、とも
すると心を失った対他的関係のことであり、「ピース」が対抗とし
て見据えるのもアメリカという単一項だ。
 ぼくたちは「ラブ&ピース」のように、「セックス&ピース」と
言うことはできない。前者は連帯やつながりの言葉たりえるが、後
者はその喪失としてあるからだ。
 これが、60年代から眺望したときに見えてくる現在の姿だ。

(超自然哲学38 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


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2007/03/08

「ウランバーナの森」を抜けて

読書家の同僚が強引に貸してくれて、
奥田英朗の「ウランバーナの森」を読む機会をもらいました。

 ○ ○ ○

ぼくはビートルズ解散後のジョン・レノンの生を
6つの段階で見てきました。

 1.自己発見 (1970年)
 2.自己表現 (1971年)
 3.挫折   (1972年~1973年)
 4.自己解体 (1974年)
 5.自己治癒 (1975年~1979年)
 6.自己相対化(1980年)

ジョンは、30歳から40歳までのたった10年の間に、
もっと若いうちに済ませているはずの自己発見から、
もっと老いてから辿りつくだろう自己治癒、自己相対化までの
プロセスをきちんと辿っているのに驚きます。

なかでも、自己治癒と自己相対化は、
彼の他界が完結してみえる大事な要点になっています。

この過程をみると、彼は特に1975年以降において、
“偉大”だと思うのです。

よく言われるハウスハズバンドが偉大なのではありません。
そうではなく、この期間に、
自己治癒と自己相対化をやってのけているのが
偉大だと思うのです。

なぜなら、

 愛されなかった人は、
 愛することはできないのか。

その、難しい問いに、
「できる」と答えているからです。

どうしてジョン・レノンにはそれができたのだろう。
その鍵に、ヨーコとそれ以上にショーンの存在がある
ということは分かっても、
なぜ、それができたかはわからない。

それをぼくは、偉大と言うしかないと考えてきました。

 ○ ○ ○

長い前置きになってしまったけれど、
だからこの小説のあとがきで、

  彼は三十代半ばまで、あきらかにハリネズミの
 ような人物だった。何かに苛つき、触れるものすべてを
 傷つけてきた。それが四十にしてその針を収め、
 争うことをやめたのだ。
  空白の四年間に何があったのか。彼の心を癒すような
 出来事が何かあったのではないだろうか-。

と、著者が書くのには、とても共感します。

そして、その謎を小説の力で解いたのが、
「ウランバーナの森」です。

著者のように、ジョン・レノンの生に関心を持っていたので、
この小説の流れはいちいち腑に落ちました。

そして、なぜ自己治癒できたのかということについて、
ジョンの母も、傷ついた少女だったこと、
そしてその母をジョン自身が包み込むことで、
ジョン・レノン自身の治癒を果たすということ。

たしかに、自己治癒はこういう形でしかありえないだろう、
ということを、小説の力で実現していました。


「ウランバーナの森」を抜けて、ジョンは癒されました。
そして、それを読むぼくたちも、
ある癒しを受け取っているはずです。

読んでよかったと思いました。
これは、今のぼくにとっても必要な本でした。

同僚には感謝です。

Ulanbana









  ウランバーナの森



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カウンター・カルチャーの行方2

 しかし、逃走劇も終わりを迎える時が来る。1980年だった。
 その年の一月、ポールは、公演のために来日した成田空港で、大
麻保持のため逮捕されてしまう。公演は否応なくキャンセルされる
が、それだけでなく、この事件を契機にポールは、ビートルズ解散
以降、活動の拠点としてきたバンド、ウィングスを解散するのだ。
 この逮捕のことを、ポールは、「僕の人生のなかで最悪の出来事」
と振り返っている。本人の弁を聞いてみよう。

 今になっても、なぜあんなことをしたのか自分でもわからないん
 だ。ただの傲慢だったのかさえね。税関でスーツケースを開けら
 れるとは思っていなかったのかもしれない・・・。今、当時の気
 持ちに戻ることはできないよ。
 (中略)
 あれは僕の人生のなかで最悪の出来事だった。麻薬不法所持の刑
 罰が懲役7年という厳しい日本へ、あんなに気楽に行ったなんて。
 僕は、ブツの入ったすごく大きな袋をスーツケースのいちばん上
 に置いてたんだよ。どうして、せめてセーターのなかに隠さなか
 ったんだろう? 今あのニュースを見ると、「あれは僕じゃなか
 った」としか思えない。

 もうひとつ不思議なことがあるんだ。僕らは、ほとんどリハーサ
 ルをやっていなかった。それまでのウイングスのツアーでは、僕
 らはかなりのリハーサルをしていた。まるで僕は、すべてを台無
 しにしてしまいたかったようだ―そんなつもりはまったくなかっ
 たんだけど。
          (『ウイングスパン 日本語版』2002年)

 ポールの逮捕劇は何だったのか。
 ポールはウィングスというバンドに対して、この時モチーフを喪
っていたのだ。何のためにバンド・ライフを続けるのか、その根拠
を無くしていたのだ。
 そこでぼくたちに言えるのは、ポールにとってこの逮捕劇は、バ
ンドとしての無意識の自殺ではなかったのか、ということだ。「不
思議なこと」として彼が挙げているウィングスがリハーサルをして
いなかったことは、その傍証になる。彼自身も、「まるで僕は、す
べてを台無しにしてしまいたかったようだ」というように。
 ポールの内燃機関は、ことウィングスに関する限り、燃焼を止め
てしまったのだ。ポールは続ける。

 僕は、ウイングスに望んでいたことがある。いいプレイヤーたち
 と安定した関係を維持し、もう十分だと思えるまで一緒にやって
 いくことだ。でも、そうはならなかった。人生、そううまくはい
 かないよね。夢を見ることはできるけど、ものごとが計画どおり
 に運ぶことはめったにない。最終的に、僕は度重なるメンバー・
 チェンジにうんざりしてしまったんだと思う。そして、最初に証
 明してみせると思ったことを証明してみせたという事実も大きい。
 つまり、ビートルズのあとにも人生はあるんだってことをね。

 僕はウイングスでやってきたことをまったく後悔していない。そ
 れなりに常にいいメンバーがそろっていたし、その誰ともいい音
 楽を作ってきた。今、その成功、ツアー、チャート成績を振り返
 ってみると、そして―特に事実上、不可能だと言われていたビー
 トルズのあとを追ってきたことを考えると―本当によくやったと
 思うんだ。

 ウイングスが解散するときには、「翼をたたもう!」ってジョー
 クを使おうと思ってた。でも、実際にはウイングスは翼をたたん
 だんじゃなくて、次第に消滅していったんだ。紅茶に入れた砂糖
 のようにね・・・。
         (『ウイングスパン 日本語版』2002年)
 
 ウィングスというバンドが、バンド・ライフを楽しむという以上
に、アフター・ザ・ビートルズの有無をその原動力にしていたこと
がよく分かる。
 ウィングスをアフター・ザ・ビートルズの土俵に乗せたことで、
ポールの内燃機関は燃焼を止める。ろうをなくしたろうそくの炎の
ように。あるいは「紅茶に入れた砂糖のように」、それは溶けてい
ったのだ。

 ポールは、1973年の「バンド・オン・ザ・ラン」の「バンド
は逃走中」というコンセプトで、カウンター・カルチャーの共同性
は不可視の領域に移行した、あるいはサブ・カルチャーの領域で生
き永らえていると回答していた。
 ところでポールは、別のルートから日常性の視点を推し進め、そ
れは美事に時代と共鳴してきたが、不可視の領域に仮の住まいを見
出したカウンター・カルチャーの共同性の行方について、その後、
明示してきたわけではなかった。

 実は、ポールはこのとき個人として逮捕されたというより、バン
ドとして逮捕されたのだ。捕まったのは逃走中のバンドだった。
「バンド・オン・ザ・ラン」の終点。この逮捕劇は、カウンター・
カルチャーの共同性はその根拠を喪失し、不可視の領域ですら生き
る場所を無くしたことを象徴している。
 カウンター・カルチャーとは、世界への「否」、世界への否定か
ら始める思想や理念と言える。その思考法が行き詰まったのは、高
度経済成長を経て育まれた日常性が、圧倒的に社会を覆いつくし否
定性の根拠を消していったからだ。ポールはカウンター・カルチャー
の共同性について、その根拠の消滅を担ったのである。ロックンロー
ル・バンドは、もはやそのままではカウンター性を意味しない。だ
から、ポールは逮捕劇をロックンロール・バンドの必然として言及
せずに深刻に受け止めた。逃走は終ったのだ。

 思えば1980年は不思議な年だ。ポールの逮捕劇に続いて、今
度はジョン・レノンが、このテーマについて身をもって担うことに
なる。
 ジョン・レノンの死は、カウンター・カルチャーの消滅を象徴し
ていた。そう言うのがいちばん正鵠を射ている気がする。
 ジョンの死により、世界を否定することから始める思考方法は、
ひとたびは終焉したのだ。ここから89年のベルリンの壁崩壊はす
ぐのところにあったと言ってもいい。もちろんこう言ったからとい
って、ジョンが社会主義者だったと言いたいわけでも、ソ連邦がカ
ウンター・カルチャーの正当性を担っていたと言うわけでもない。
ただ、世界史の展開において、ソ連邦の成立と存在がカウンター・
カルチャーの拠点たりえていた限りにおいて、その崩壊は、ひとつ
の運動の終焉を物語っていた。

 ビートルズの解散は、カウンター・カルチャーの共同性の消滅を
象徴していたが、その十年後、こんどはジョンが単独で身をもって、
カウンター・カルチャーそのものの消滅を担ったのである。
 1980年の年のはじめ、ポールの逮捕により、カウンター・カ
ルチャーの共同性の可能性が潰え、ついでその年の暮れ、ジョンの
他界により、カウンター・カルチャーそのものが消滅するという、
不思議な、そして生きた形としては最後のレノン―マッカートニー
の共演が生まれたのだ。

 ジョンは身体的には折り返し地点を迎えたに過ぎないのに他界し
てしまった。四十才という年齢だけれど、現在の生命曲線の長さを
考えると、早すぎると言っていい。むしろジョン・レノンの死は、
超高齢化社会における夭折なのではないだろうか。ひょっとしたら
彼の死はその先駆けであったかもしれない。
 そして多くの夭折者がそうであるように、彼の生も生ききった完
結感を湛えている。嬰児の叫びをその音楽の本質として抱え、飢え
た嬰児から孤独な狼へと成長した彼が、その後の道行きで他者と自
己を治癒するまでの大団円を描けたことを思うとき、やり残したこ
ととして零れ落ちるものは何もないと思える。

 あとはぼくたちが、ジョンからバトンをきちんと受け取るかどう
かだ。彼が時代と社会に対して問いかけたことの意味を、ぼくたち
がどのように自分のものにしていくか。その問いが、ここに残る。

(超自然哲学37 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


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2007/03/07

カウンター・カルチャーの行方1

 もう少し『LOVE』に止まろう。『LOVE』をビートルズの
新作として受け止めると、もうひとつ問いたくなることがある。
 1970年のビートルズの解散は、カウンター・カルチャーの共
同性の消滅を担っていた。ビートルズという存在は、時代性を刻印
されたバンドだったのだ。だから、問いたくなってしまう。ビート
ルズ無き後のビートルズのニュー・アルバムが、現役当時と同じよ
うに、時代に応えることがありうるとしたら、カウンター・カル
チャーの共同性の消滅に対して、どのように対しているのだろう。
そういう問いだ。

 この問いかけへの回答には先行者がいる。他でもないジョン・レ
ノンとポール・マッカートニーだ。
 まず、ジョンは1970年のアルバム『ジョン・レノン』で、そ
の名の通り、カウンター・カルチャーを個として担うことを宣言し、
ついで1971年のアルバム『イマジン』の表題曲「イマジン」で、
カウンター・カルチャーの理想を詩として昇華させた。曲「イマジ
ン」は、その夢幻的な詩と旋律によって永遠性を獲取するのに成功
している。けれど、作品の永遠性の代償のように、現実の個人とし
てのジョンは、ポリティカルには挫折せざるを得ないというように、
70年代の前半、次第に下降曲線を辿っていった。

 ポールはといえば、もともとカウンター・カルチャーの行方など
柄ではなく、彼が対するには不似合いな問いにみえる。けれどポー
ルは、不得手なはずの問いに、いかにも彼らしいやり方で向き合い、
本人の意図とは別に見事な回答をしている。ビートルズ解散から三
年後の1973年、彼は“バンドは逃走中”と回答したのだった。
よく知られたアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』である。

 ポールは、「逃走中のバンド」というタイトルに格別のコンセプ
トを含ませているわけではなく、コンサートツアー中のバンドをイ
メージしたものだと語っている。けれどそれこそは、ビートルズの
次のステップとして構想したにも関わらずジョンに拒否された望み
だった。メディア内に架空の共同性を構築してプレイするという後
期ビートルズのやり方からの脱出口として、ポールは小ステージへ
突然参加するようなコンサートツアーを計画していたのだった。だ
から「バンド・オン・ザ・ラン」は、ビートルズではないやり方と
いう意味を持ちえたのである。そしてもっと大切なことは、この曲
が現実的な場所に共同性の足場を持ちえなくなったカウンター・カ
ルチャーの可能性、あるいは行方のひとつのあり方を言い当ててい
たことだ。彼は、カウンター・カルチャーの共同性は「逃亡中」と
回答したのだ。これは、カウンター・カルチャーの共同性は不可視
の領域に移行したと言っても、ザブ・カルチャーとして生き永らえ
ていると言っても同じことだった。

 ポールはこの曲によって、確かにビートルズ以後の意味を明示し
てくれたのだ。この問いの重さを思えば、このことは特筆されてよ
いことだ。
 ポール・マッカートニーは、軽快さと快美さを活かした美事な作
品で音楽機械としてのマッカートニーを、レノン―マッカートニー
に引けをとらない確たるものにした。それと同時に、ビートルズ解
散としてのカウンター・カルチャーの共同性の消滅を、無害にみえ
るサブ・カルチャーとして遍在させ、不可視の領域で生き永らえさ
せたのだ。「逃走中のバンド」というコンセプトは、図らずもその
メタファーを担うことになった。

(超自然哲学36 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


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2007/03/06

いちばんきれいであったかいマラソン

南日本新聞にヨロンマラソンが紹介されていました。

ぼくは、与論でも観戦できず、
東京でブログ観戦でした。

いつもは少なめの「ヨロン」コンテンツですが、
数ヶ月前から、「ヨロン」の文字が躍りだしました。

あと一ヶ月、あと2週間、あと1週間、
遠足を待ちわびる子どものように、
ヨロンマラソンが近づくの楽しみにしている
ブログが目立ってました。


盛窪さんは、前準備のことも伝えてくれるし、


吉澤さんのレポートは、
リアルタイムっぽかったので、
当日も飽きることがありませんでした。


沖縄司会屋さんの日記は好印象を伝えていて。


走る目の端には、
いつも(というわけではないでしょうが)
与論ブルーの海があって、

沿道は歓声だけじゃなく、
踊りやご馳走のもてなしがあって、

ヨロンマラソンは、
いちばんきれいであったかいマラソン
かもしれない、と思いました。


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『ザ・ビートルズ1』から『LOVE』へ

 アルバム『LOVE』は編集の妙と言うべきなのか、多様な入口
と出口の連想を許すように思える。
 もうひとつの入口と出口は、入口がアルバム『ザ・ビートルズ1』
で、『LOVE』はアルバム自体が出口に当ると見做すのだ。

 どういうことか。
 ビートルズ解散後のビートルズ作品として、ぼくたちは、アルバ
ム『LOVE』以外にも、2000年の暮れに『ザ・ビートルズ1』
というベスト・アルバムを持っている。これはナンバー1ヒットだ
けを納めるという贅沢なコンセプトに則って編集された作品だった。
 ここに収められた27曲を味わって気づくのは、これらが都市感
性に響くようにあるということだ。都市感性は、都市という生活環
境を条件に獲得した共通の感性だった。『ザ・ビートルズ1』は快
適な気分を残しながら、ひとときの感性体験をもたらしてくれる。
それがこのアルバムの効用だ。ここからいえば、身も蓋もない「1」
という記号は、感性基盤のうえにひとつになった世界の謂いである
と見なすこともできる。

 ところで、横断する都市感性の上に、ぼくたちは作品を楽しむの
だけれど、でもどこかで充足されないものも感じてきた。なんとい
うか、あまりに快適すぎることへの反動がうずくのだ。感性体験と
してもそうだが、ことビートルズというテーマに絞ってみても、
ビートルズはこれだけじゃないという気分が残っていた。言ってみ
れば、都市感性と対にある身体性の主張だ。ぼくたちが獲得した共
通性が都市感性とすれば、皮膚の色や言葉の違いなどの固有性、差
異は、身体性として表出される他なくなる。

 身体性に響くビートルズ・ソングがうずき出す。それが効用とは
別に産み出される『ザ・ビートルズ1』の反作用だった。それは、
ナンバー1に至らなかったビートルズ・ソングということではない。
ナンバー1ではないビートルズ・ソングは、そこに向かう途上の
習作としてあるということではなく、都市感性に響くというより、
それとは異なる系譜を構成するということだ。都市感性と身体性に
対応する典型的な曲に、1968年に発表された「ハロー・グッバ
イ」と「アイ・アム・ザ・ウォルラス」がある。これを例にとれば、
『ザ・ビートルズ1』には、「ハロー・グッバイ」はあるが、「ア
イ・アム・ザ・ウォルラス」はない。都市感性をすべるが身体性に
響かない。そして「アイ・アム・ザ・ウォルラス」のような内臓に
響く作品群を聞きたくなるのだった。

 さて、この度のアルバム『LOVE』はその反作用に応えるよう
に、「アイ・アム・ザ・ウォルラス」をはじめ、身体性に響く作品
に重心をかけられているのである。
 シルク・ドゥ・ソレイユが、全編ビートルズの編楽曲で上演する
とあって、彼らの幻想的な舞台展開にふさわしい選曲をした結果な
のか、『LOVE』は1967年の『サージェント・ペパーズ・ロ
ンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に多く依拠している。そうした
アルバムの制作背景も手伝って、『ザ・ビートルズ1』が都市感性
に対応していたのに対して、その反作用のように、身体性はこのア
ルバムのテーマになっている。

 その曲たちはといえば、「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィッ
ト・オブ・ミスター・カイト」、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・
ウィズ・ダイヤモンズ」、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、「ヘ
ルター・スケルター」、「レボリューション」などだ。
 こうして、都市感性の入口と身体性の出口のように、『ザ・ビー
トルズ1』に呼応して、『LOVE』を受け取ることもできる。

(超自然哲学35 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


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2007/03/05

『LOVE』の入口と出口

 ビートルズの新作『LOVE』は、どこから入り、どこへ抜けて
行けばいいだろう。この作品のモチーフが顔を出す入口と、これを
こそ言いたかったと伝える出口と。

 それはアルバム構成の自然な流れからいえば、入口は冒頭の曲
「ビコーズ」で、楽器音を排したビートルズのコーラスのみの編集
に、これから始まる「聞いたことがある」と「聞いたことがない」
が同在したビートルズ鑑賞の期待に捉えられる。
 そして出口は、最後の曲「愛こそはすべて」で、アルバムタイト
ルのテーマ「LOVE」が反復され、終わりのコーラスでは、ジョ
ンの「シー・ラブズ・ユー」の他の曲も放り込まれた新しい響きを
聞いて終えるだろう。「ビコーズ」から入り「愛こそはすべて」を
出れば、ビートルズ、編集ことはじめの旅を堪能できる。

 また別の入口と出口もある。
 このアルバムは、ビートルズの曲のなかでも、ジョンが得意とし
た幻想的なバラードを、全体のトーンとしてもそれぞれの曲として
もイメージ・コンセプトに持っているのだけれど、そう捉えればジ
ョン・レノンの幻想的なバラードの真骨頂である「ストロベリー・
フィールズ・フォーエヴァー」の物語として聞くこともできる。つ
まり、『LOVE』の入口は、アルバムの外に、1967年の曲
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」にある。そうやっ
て聞けば、自ずと出口は今回の新「ストロベリー・フィールズ・フ
ォーエヴァー」になる。ジョンの試行錯誤の続きとして受け止める
のだ。

 でも、『LOVE』をビートルズから切り離して、今回の編集者
であるプロデューサー、ジャイルズ・マーティンの作品として見る
のが最も自然かもしれない。
 すると、この作品の入口は出口と一致していると思える。
 それは、東洋風音楽とサイケデリックを合体させた「トゥモロー・
ネヴァー・ノウズ/ウィズイン・ユー、ウィズアウト・ユー」だ。
成り立ちからいっても、ジャイルズはアルバム制作に取り組むに当
って、この誰も思いつきもしなかった二曲合体のアイデアに着手し
て、ビートルズのメンバーから信頼を得ている。
 アルバム『LOVE』は、ジョンとジョージの共作とも言える
「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ/ウィズイン・ユー、ウィズアウ
ト・ユー」を入口と出口の核心に持っている。思い浮かべようとす
れば、ジョンとジョージのびっくりした顔だって浮かんでくる。

(超自然哲学34 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


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2007/03/04

新 「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は優遊幻想曲

 アルバム『LOVE』のなかでも、特に関心をそそられるのは、
曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」だ。
 ジョン・レノンの手になるこの作品はもともと不思議な成り立ち
をしている。
 ぼくたちは90年代にリリースされたビートルズ・アンソロジー
のおかげで曲が完成する前の主要なバージョンを知ることができた
のだけれど、それを聞いてまず驚いたのは、それぞれのバージョン
の完成度の高さだった。まず、磨かれるのをまった原石があり、そ
れが次第に輝いていくというのではなく、最初から完成した作品があ
り、その後つくられたいくつかのバージョンはその表情を変えたに
過ぎないように聞こえるのだ。

 現に、ビートルズのプロデューサーとして名高いジョージ・マー
ティンは、ジョンが初めてアコースティック・ギターを弾きながら
この曲を披露して、「これをどうすればいい?」と彼に聞いたとき、
そのまま発表しようと言わなかったことを後悔している、と言うの
だ。
 その割に、この曲をビートルズとして録音した最初のバージョン
のことは「魔法のレコーディング」と賞賛している。

 さらに曲はその後、アレンジの工夫を経て完成するが、しばらく
すると、ジョン自身が満足していないといって、オーケストラのア
レンジを要請し、それも完成する。この二つの完成版は、オーケス
トラを加えたものが「重いバージョン」と呼ばれ、早くできたほう
はそれに呼応するように「軽いバージョン」と呼ばれたのだった。

 しかし話はこれで終らない。ジョンは、しばらくすると二つのバー
ジョンをどちらも捨てがたいと言い、両者をつなぐよう要請する。
だいたいジョン・レノンは、技術的なこともそうだけれど、作品を
どうしたいのか、たとえば、「おがくずの匂いがするように」とか、
比喩的な表現はお手の物だけれど、どの楽器でどのようにアレンジ
するかを具体的に言うことができなかった。それが、この手の無理
難題を呼ぶわけだが、エンジニアたちはよくそれに応え、キーも速
さも違う二つのバージョンをつなげることに成功し、ぼくたちの耳
慣れた「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は完成した
のだ。

 こうしてみると、この作品は、はじめから高度な編集を経た作品
だったのである。
 ところでアルバム『LOVE』のなかでこの作品に特に関心をそ
そられるいきさつはこれからだ。
 ビートルズとしては、初めて無制限の時間を使い数多くの試行錯
誤を経て仕上げた誇るべき作品のはずなのだが、当のジョン・レノ
ンは、70年代のどこかで、ジョージ・マーティンに、「ストロベ
リー・フィールズ・フォーエヴァー」はやり直したいと告げて彼を
驚かす。また他界する直前のインタビューでも、この曲のレコーデ
ィングへの不満を漏らしているのだ。満足していない、と。

 このことをどう受け止めればいいのだろう。
 アンソロジーでそれぞれに完成度の高い作品に触れて、ぼくが思
ったのは、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」を元歌
にして、さらに幻想性を高めたカバーのバージョンを作り続けるこ
と、または、この曲をモチーフにした別の作品をつくること。そう
やって、この曲の持つ幻想性をさらに開花させるのが、ジョン・レ
ノンのいない世界で、この曲を受け止めることだと考えてきた。

 そう受け止めてきたので、アルバム『LOVE』の「ストロベリー
・フィールズ・フォーエヴァー」も、ジョン・レノンの問いにどの
ように応えているかに俄然、関心が向くというものだ。幻滅してい
ると言われた当のジョージ・マーティンも、「ジョンは許してくる
だろうか」とコメントし、この曲を取り上げる意味を自覚している。

 さて、そんな思いから耳を澄ますと、この曲はオリジナルより優
しい。もともと、優しく切ない曲調だったものを重く幻想的に仕上
げていったのだが、そういう意味では、初期の優しさを生かしてい
る。そのはずで、冒頭の部分は、オノ・ヨーコから提供された初期
録音を素材にしているという。
 そしてこの曲は、オリジナルより幻想性に遊んでいる。もともと、
ワイルド・リズム・トラックと彼らが呼んでいたリンゴの荒々しい
ドラムを軸にした演奏を曲の終盤に使っているけれど、そこにビー
トルズの他の曲を放り込んで、遊んでいるのである。遊びはこの個
所の本分だから、それは本意にかなったことだった。

 新「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は、優遊幻想
曲とも言うべき仕上がりなのだ。ジョージ・マーティンのコメント、
「ジョンは許してくるだろうか」について言えば、許すも何もとぼ
くは思う。ジョン・レノンなら、この試みを歓迎しただろう。ジョ
ンの願いでもあったはずなのだ。でもこうも付け加えるだろう。
「で、次は?」と。不満が残るというのではない。そうではなく、
幻想はどこまでも膨らむことができるからである。もっと幻想性に
あふれた「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」を聞きた
いと思うはずなのだ。ジョンならずとも、ぼくたち自身がそう思っ
てしまうのだから。

 それはアルバム全体についても言える。選曲に関し、ビートルズ
とその遺族はヒット曲に限定しないと、プロデューサーに選択肢を
与えたようにコメントしているけれど、それでもやはり、四人それ
ぞれのグレイト・ソングを外すわけにいかない、それらについては
作品の全体性を壊す編集を加えるわけにいかないという配慮を随所
に感じる。もっと、「聞いたことがある」と「聞いたことがない」
の振幅の大きい編集ができるはずだ。そんな作品を期待したい。

 さて、ビートルズのニューアルバム『LOVE』は、現在の社会
における世界との関わり方が、「人工的自然を像(イメージ)的身
体とする」というテーマであることをよく教えてくれる。そしてそ
れと同時に、像(イメージ)的身体化の行為が「編集」に他ならな
いことを如実に物語っている。

(超自然哲学33 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


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ゆるやかに奄美、やわらかに奄美

近代の奄美は、二重の疎外を生きてきたと思っています。

自然と文化の親和感から沖縄を向けば、
政治的共同性が異なり、
政治的共同性の同一性から鹿児島を向けば、
自然と文化により差別される。

こんな二重の疎外がありました。
ぼくには、奄美大島の島唄のあの裏声が、
二重の疎外を背負った哀切を湛えているように
聞こえてなりません。

   ○ ○ ○

ときは流れ、
けれど面白いのは、
近代奄美は、この二重の疎外を突き詰めるほどに、
奄美自体の輪郭をはっきりさせてこなかったのではないでしょうか。

あるいはこれは誤解を与える言い方かもしれません。
確かに、昭和28年の日本復帰の際には、
奄美として運動を起こしたのですから。

しかしそれは、
奄美としての輪郭を明確にするというより、
日本という更に大きな政治的共同性に同一化することで、
二重の疎外を一挙に解消したい希求が
あったのではないかと思えてくるのです。

だから、不思議なことも起こります。
沖縄の復帰運動の際、
わが与論島が日本の象徴になる瞬間がありました。

与論が日本の象徴?
いくらなんでも無理のあるサンプリングと思うのだけれど、
切実にそうだった瞬間があります。

それは復帰前に、沖縄の辺戸岬から与論を見たときです。
「祖国が見える」と言うのですから。

「あの島には憲法がある」と、
この方は当時を思い出して書いています。
ぼくは最初、「与論捧奉」のことかと思いましたが、
さに非ず。

与論は日本であり、そこには日本国憲法があるということです。

二重の疎外の中にあって、
自己確立もままならないのに、
それがいきなり日本の象徴を演じたのです。
ぼくは何とも言えない気持ちになります。

与論島も、いきなり日本に自己同一視する前に、
与論としての与論。
奄美としての与論。
琉球としての与論。
それらをもっと鍛えるべきだと思います。

   ○ ○ ○

そんなにこだわるものでもない。
そんな声も聞こえてきます。
それはそう。ぼくもそう思います。

父が奄美大島出身で、母は鹿児島出身。
母が奄美大島出身で、父は鹿児島出身。
鹿児島に住む友人たちの顔を思い出します。
友人たちにとっては、
鹿児島弁が話す言葉であり生きる地域です。
人が生きていくというのは大なり小なりそういうこと。
こだわっても仕方ない。

けれどもそれでも、
奄美は奄美、
それ自体の魅力はあるわけで、
二重の疎外を克服したと、
まだ言えないと思いもします。

それだから、

 でも、本書がきっかけにはなるんじゃないか、
 これがとっかかりになって「眉間にシワを寄
 せないで、あっけらかんとシマを考える」こ
 とができるようになるといいなあと思ってい
 ます。奄美のみなさんであれ、沖縄のみなさ
 んであれ、ほかのいろいろな島のみなさんで
 あれ、共感していただけるあれこれや、発見
 していただけるあれこれが、そこここにある
 はずです。
 (奄美の島々の楽しみ方

こんな視線はとても励みになります。

しゃちこばって「二重の疎外」というより、
ゆるやかな奄美の島々のつながりを生かして、
やわらかに奄美の島々を表現していけたらいいですね。

(追記)

ときに、「祖国が見える」の記事の方もこう書いています。

 僕のふるさと沖縄には万人を癒す不思議な力があります。
 決して宗教ではありません。

文句なく頷けるメッセージです。
奄美と沖縄、つながっていますね。

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2007/03/03

『LOVE』はビートルズ編集ことはじめ

 2006年の十一月に発売されたビートルズのニューアルバム
『LOVE』は、第三次的段階での世界とぼくたちの関係を如実に
伝えてくれた。

 『LOVE』は、ビートルズを人工的自然として受け取めてでき
た作品である。ビートルズの作品をイメージ的身体化したのだ。
 まず、この作品では、ひとつの曲を作品の構成単位と見なさず、
曲を構成するボーカルや音が個別分解されて、その要素の一個一個
を作品自体から切り離して、編集の対象にすることで曲を再構成し
ているのだ。これは、ビートルズを天然自然としてみたのではなく、
人工的な自然とみなした視点から生まれている。人工物と見なした
から、それぞれのパーツを切り離してくっつける編み直しが可能に
なったのだ。

 要素に分解されたビートルズを、イメージ的身体化するというの
は、個別要素を再編集して、ビートルズの分身をつくりあげるよう
に構成したということだ。解体と再構築である。『LOVE』はそ
うやって、いままで全く聞いたことのないビートルズ・ソングを実
現している。

 たとえば、「カム・トゥゲザー」のエンディングに、「ディア・
プルーデンス」が挿入されたり、「レディ・マドンナ」の間奏に
「ヘイ・ブルドッグ」の演奏が挿入されたりと、はっとする作品が
多い。なかでも、亡きジョージ・ハリスンの、奥さんオリビアが
「すごいグルーヴ感」と表現した、「トゥモロー・ネヴァー・ノウ
ズ」の演奏をバックに歌われる「ウィズイン・ユー、ウィズアウト・
ユー」は想像以上に驚かせてくれた。

 1967年にアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハー
ツ・クラブ・バンド』が発売された時、多くの西洋人がインド風の
音色に困惑したに違いない地味な、「ウィズイン・ユー、ウィズア
ウト・ユー」が、サイケデリックの真骨頂の「トゥモロー・ネヴァー
・ノウズ」の演奏に支えられると、なんともいけてる曲に聞こえて
くる。そして最初からこうなることが決まっていたように聞こえる
から不思議だ。

 ビートルズの『LOVE』は、人工的自然のイメージ的身体化が、
「編集」というプロセスであることを教えてくれる。いまは、「編
集」の時代なのである。

 ところで、「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ/ウィズイン・ユー、
ウィズアウト・ユー」は、知らない人にはどうでもいいことだけれ
ど、ビートルズ好きは別の感興も呼び起こさずにいない。それは、
この曲の成り立ちが、ジョージの作品をジョンの作品が支える構成
になっていることだ。ジョンとジョージがタグを組んだことは、初
期を除いてほとんどない。その表面化しなかった共作がここで実現
しているということ。そしてさらに、ジョンはジョージと関係改善
する前に他界してしまっていたことだ。ジョージも他界してしまっ
た今、そのことを考えると、ひとつの作品を通じてとはいえ、関係
の和解が、残された人たちの手によってなされたことに、優しい気
持ちになれる。これは優しい編集、イメージ的身体化なのだ。

Love









『LOVE』

(超自然哲学32 「6.『LOVE』はビートルズを編みかえる」)


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2007/03/02

消費社会の現在

 都市が自然を内包するテーマが、都市生活の中に自然生活を内包
するという時間軸を持つようになった。都市居住者が、農村で自然
とともに生活する時間を持つということだ。
 では、ぼくたちの生活は時間と経済として、どれだけの力を現在、
持っているのだろうか。
 この主題を、吉本隆明が理想の経済人について考察したエコノミー
論の指標をもとに考えてみたい。

  ところで万人が(ということは一般大衆が)経済人の理想とし
 ての貨幣資本の所有者にちかづいているかどうかを量る指標はど
 こにもとめればいいだろうか? かれが居ながらにして貨幣量G
 からGプラスΔGを生みだす存在だというところからすれば、手
 易くいくつかの指標が見つけられる。
  (一)「居ながらにして」という条件を充たすためには、週休
    が三日を超えなくてはならない。(後略)
  (二)その貯蓄の年間利子額が年間生活(家計)費用を超えな
    くてはならない。(後略)
  (三)家計支出のなかの食料費の割合(エンゲル係数)が、所
    定の水準を下廻らなくてはならない、言ってみれば食費支
    出が五〇%以下であれば、「食うために働いている」ので
    はいなことを意味する。(後略)
     (「エコノミー論」『ハイ・イメージ論3』1994年)

 まず、(一)の週休についてみると、2005年現在、毎週週休
二日を実現している「勤め人」は47%に増加している。週休三日
は、まだ定量化できる数になっていないが、完全週休二日が過半数
に達しつつある段階だと言える(※1)。

 週休三日の意味は、週休三日制になれば、年間365日のうち、
休日数が労働日数を越えることを意味していると思える。
 そこで、年間の休日取得数を見てみると、2006年で105.1
日になっている。2001年からの五年間の推移でいえば、1.4
日増と微増に止まっている(※2)。これは完全週休二日制は拡大
しているものの、全体の休日増には直結していない状況のように見
える。

休日が労働日を上回るためには、年間あと77.4日、休日が増え
る必要があるわけだ。365日の過半数を超えるために、183日
を目安にしてみると達成率は57%。道半ばと呼ぶのがふさわしい
だろう。

 ちなみに一日単位でみると、「自由行動」の時間は、平日、土曜
において、2005年までの十年間で微増している。そして土曜の
「自由行動」時間が、「拘束時間」を上回ろうとする趨勢にある(※3)。

Photo_48

















 (二)は、定量化の意味をまだ持っていないが、貯蓄現在高は、
1989年に1092万と、1000万を越えて以来、成長を続け、
2005年現在、1728万に至っている。(※4)。
 (三)のエンゲル係数は、1990年に25.4%だったのが、
2004現在、23.0%まで減少している(※5)。過半数を下
回り、食うために働くという段階を過ぎているのはもちろん、半分
の半分以下にまでになっている。「食うために働く」というくびき
は抜けないが、比重としては部分的課題になっているのだ。

 経済人として、ぼくたちがどれだけの力を持っているのか、もう
少し確かめておこう。消費社会はどれだけ進展しているかと言い換
えてもいい。

 (前略)生産にたいする消費の時間的な、また空間的な遅延の割
 合が50%をこえた社会が消費社会ということになる。ちがう言
 い方もできる。必需的な支出(または必需的な生産)が50%以
 下になったのが消費社会だ。必需的な支出(または生産)という
 のは、(中略)食料、光熱、水道、通勤、通学の交通費など、日
 常生活として繰りかえし生産するのにかかる支出(または生産)
 のことになる。
       (「消費論」『ハイ・イメージ論3』1994年)

 必需的なものより選択的な支出を、より多くできるようになった
社会を消費社会と呼ぶという定義はわかりやすい。

 (消費社会度)=(選択的支出)/(必需的支出)

 これに則って確認してみたいのだが、総務省の家計調査は、現在
、基礎的支出と選択的支出という呼称で結果を出している。基礎的
支出は、「支出弾力性(消費支出総額の変化率に対する費目支出の
変化率の比)が1.00未満の費目」と定義されている。これは支
出額の全体が変わっても、個別の費目で変わらないものを指してい
る。つまり、費目別に指定するのではなく、全体の変動に影響され
ていないものという視点から導き出しているのだ。その分、呼称を
「必需的」から「基礎的」へ変えたのだと思える。

 ちなみに例示されているものを挙げてみる。

 基礎的支出 食品、家賃、光熱費、保健医療サービスなど
 選択的支出 教育費、教養娯楽用耐久財(パーソナルコンピュー
       タなど)、月謝など

 これを見ると、基礎的支出が、従来の必需的支出とほぼ変わらな
いと思えるので、基礎的支出を代替させてみてみよう。もともと、
ピックアップする費目を精緻にするのは、ここでの最優先の課題で
はない。厳密に見ていけば、どの費目もその中に必需と選択の要素
を持っていると言えるが、そこまでは踏み込まない。ここでは、概
ね消費社会の姿とその推移が分ればいい。

 すると、消費社会度は、2006年で46.2%であり、まだ消
費社会に至っていないと言える。これは2001年には、42.7
%なので、二十一世紀に入って停滞感を持ったままになっているよ
うに見える(※6)。消費社会の手前で足踏みしている状況だ。

 吉本が雑誌「海燕」に「消費論」を発表したのは1990年6月。
先の「エコノミー論」は半年ほど遡って1990年1月。これは今
から振り返れば、バブル景気と呼ばれる時期に書かれたものだ。ぼ
くたちは確かにこの時期、選択的支出が必需的支出を上回る消費社
会を目撃した気がする。しかしその後、80年代後半から90年代
初頭の時期は、バブルという名のもとに汚名を着せられたままにな
っている。しかし、バブル景気はよきものを垣間見せてもくれたの
だ。

 ぼくも経済的にはちっともその恩恵に浴したことはなく、ネアカ
がもてはやされ、ネクラな自分は気後れすることばかりだったが、
それでもわくわくするような期待感を抱く瞬間があった。それが消
費社会の可能性だ。経済と時間の自由が増すことは福音のように思
えたからだ。それは現在も基本的には変わらない。

 そしてそうなら、ぼくたちは、格差という言葉に萎縮せずに、消
費社会の進展を追いながら経済と時間の自由を増すように社会を進
める視点を保持したいと思うのだ。

 ここにはもう少し注釈が要るかもしれない。確かに、自分や近所
を見渡した実感から言っても、消費社会の中にいるとは思いにくい。
けれど、バブル崩壊から、ぼくたちは消費社会の実現という尺度か
らみれば、停滞著しいといっても、インターネットの出現で新しい
感性を獲得したり、貯蓄を高めたり、週休を増加させたり、大きな
構造の変化を体験してもいる。そして、消費社会の進展が遅々とし
ていても、単純に、時間と経済が増えることがそのままよいことな
のか、問いたくなる場面にも出くわす。それは、経済と時間の保証
が、逆に生きる意欲を削ぐように作用する現象を見たりするからだ。

 だから、経済と時間の自由増大は、それだけが条件になるわけで
はないと言わなければならない。少なくとも、自由時間の増大の
テーマと同時に、労働時間の内部が、遊ぶように働くという内実を
持つことを考えなければならない。

※1.「2005年国民生活時間調査報告書」(NHK放送文化研究所)
※2.「産業・企業規模、年間休日総数階級別企業数割合及び1企業
   平均年間休日総数」(厚生労働省)
※3.「2005年国民生活時間調査報告書」(NHK放送文化研究所)
※4.「全国消費実態調査」(総務省統計局)
※5.「家計調査」(総務省統計局)
※6.「基礎的・選択的支出の推移(全国・全世帯)」(総務省統計局)

(超自然哲学31 「5.都市感性・ウェブ感性と身体性」)


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2007/03/01

伸びよ

子どもが高校受験、合格。

よかった、
でかした、
ほっとした。

高校を待たずにわが背丈を
追い抜いた息子へ。

おめでとう、与詩。


Hana_september

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自然時間の内包化

 80年代以降も、都市は高次映像化を進めてきた。不況などどこ
吹く風とばかりに、超高層ビルは林立を続けてきたように思う。現
在は、品川、汐留、丸の内、新宿西口など、いくつもの超高層ブロ
ックが誕生している。以前の超高層ビルに比べて、空の色とつなが
る瑞々しい色使いや曲面を利用したビル外装で、より軽くより環境
に調和的にしているのが特徴だろうか。

 超高層ビルが特別な存在ではなくなる過程で、都市と農村の構図
は現在、どこにたどり着いているだろうか。
 そんな視点に立つと、グリーンツーリズム構想が目に入ってくる。
グリーンツーリズムは、「農山漁村地域において自然、文化、人々
との交流を楽しむ滞在型の余暇活動」(農林水産省)とある。つま
り、宿泊というより、農村地域に滞在して余暇を過ごすことを指し
ている。

 たとえば、2006年のグリーンツーリズム優秀賞を受賞した山
形県の「暮らし考房」を見みてみる。

 私の主張!!
 山村に暮らす自信と誇りと希望の創造を目的に

 私の農業経営
 農林業
 小農複合家族経営、自創自給の暮らし

 みなさんに体験して欲しいメニュー
 本藍染 (7~10月)1,500円~、森の楽器作づくり(通年) 800円
 杉染(11~4月)1,500円~、チェンソークラフト(5~12月)3,500円
 草木染(通年)1,500円~、 森づくり(5~11月)1,000円
 石釜ピザ焼(5~11月)1,000円、メープルサップ採取(3月)1,000円

 こういう方々をお待ちしています。
 農山林が好き、手づくり好きの方
 自分の作品にこだわる方

 泊まるなら
 ログハウス(宿泊棟)有り ベットと朝食のみ
 1泊朝食付3,500円

 ぜひ見て!
 杉と街並の金山町。
 その奥座敷という人もある13戸の山里、自然と暮らす村人、和風
 のログハウスと200余年の母屋。
 山里の暮らしの体験と静かな余暇をすごして下さい。

 暮らし考房の栗田和則によれば、考房は農山村での豊かな暮らし
を考える拠点として構想されている。時は1993年、バブルの余
韻残る空気の中でだ。ということは、時勢に対するアンチテーゼの
意図も充分、含まれていたと思える。「暮らし考房」は、「メープ
ルと哲学の山里」と銘打たれている。甘いものと深いことの同居が、
味わい深いネーミングだ。栗田は、暮らし考房はまだ「体験」で訪
れる人が多くなかなか「滞在」にはなっていないという。経済的に
成功させるのはこれからの課題だとも。

 グリーンツーリズムが伝えるものは何だろう。それは、都市によ
る自然の内包が、空間だけでなく時間としても展開を持ち始めたと
いうことだ。都市空間が自然を内包するというだけでなく、都市住
民が、自然に触れる時間を持つということ。自然時間の内包である。

(超自然哲学30 「5.都市感性・ウェブ感性と身体性」)


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