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2007/02/23

波照間島地名考

 起源への遡行と現在の進行の振幅で考えるというのは、どんな知
見をもたらすだろう。
 たとえば、谷川健一の『日本の地名』(岩波新書、1997年)
に、波照間島の語源をめぐる金関丈夫(かねせきたけお)と宮良当
壮(みやながまさもり)の論争が紹介されている。
 金関は、1954年、朝日新聞に「波照間」と題して考察を起こ
す。

  「ハテルマ」という島の名の起りについては、明治の中ごろ、
 首里市長の西常氏が言い出して以来「果ての宇留間」と言う説が
 ひろく行われてきた。宇留間とは琉球を言う、という紹巴の狭衣
 の注釈の誤りにわざわいされた誤説であるが、近ごろは八重山出
 身の宮良当壮博士が、ウルマはサンゴ礁のことで、ハテルマはこ
 の意味でやはり「果てのウルマ」だと説いて、それに従う人々も
 多いようだ。

 しかし、と置いて、金関は別の考えを置く。

  波照間はもとパトロー島と呼ばれていたことが、文書に残って
 いる。ところが、台湾の東海岸の住民のアミ族は、沖の島のこと
 をボトルとかボトローとか言っている。紅頭嶼をいまボテルトバ
 コ島といっているのは、このボトルと、日本名のタバコシマとが
 合併した名であることは、既に明かにされているが、波照間のパ
 トローもこのボトルに関係があるであろう、というのが私の考え
 である。

 この金関の考察に対し、「果ての珊瑚礁」という解釈を打ち出し
ていた宮良は、激しく反論する。ただ、谷川の紹介を頼りに追って
ゆくと、反論を激しているのは、仮説に対してというより、金関が、
八重山の人々の話が外国語のように聞え、なかでも台湾の高砂族な
どが話すインドネシア系のイントネーションにそっくりで、このイ
ントネーションを棄てかねた人が、「異系の日本語を採用した」な
どと言及した個所があったからだと思える。八重山の人にとって、
日本語が異系であるという書き方だ。

 この時の沖縄は日本復帰前で、アメリカの占領統治下にあった。
宮良にとっては、金関の考察は、沖縄は異民族であるという見なし
を与えかねない、そうなれば復帰も危ぶまれる。そんな繊細で過敏
な心理的状況が、激しい反発を呼んだのだ。

 いまから見ると、この論争は痛ましい。本来、少し筋の違う下敷
き同士が、不幸にも対立という構図で表面化したように見えるから
だ。多民族としての日本を言うのに、八重山を台湾と同じと見なす
必要もないし、沖縄人が日本人であることを言うのに、台湾、イン
ドネシア語との類縁を否定する必要もない。もともと八重山にいた
人と、台湾の人と交流があったとみなせば済むことだ。

 もちろんこれは第三次の段階にいて、言語学や遺伝子学の見地が
あるから、簡単に言えることにすぎない。
 ここから見るとどうなるだろう。ぼくも谷川が言うように、仮説
としてみたら、宮良より金関の仮説に説得力を感じる。
 ぼくの考えを言えば、「波照間」を「果ての琉球」や「果ての珊
瑚礁」と解するのは、ロマンティックではあるけれど、現在に視点
を置いて過去に遡行する倒錯ではないかと思える。

 それは、与那国島の「どなん」に「渡難」の字を当てた途端、
「渡り難い所」として与那国を解釈するのに似ている。与論島でも、
「ありがとうございます」を意味する「とうとぅがなし」に、「尊
々我無」と漢字を当てた途端、「私を無くして」と解釈しがちにな
るように。

 「波照間」を「果て」の「琉球」「珊瑚礁」として解するのは、
これに近い倒錯にならないだろうか。果ての琉球と言うためには、
「琉球」の範囲が概念化されている必要があるが、人が地名を名づ
けるのが圧倒的に先で、琉球の概念化はずっと後に来るものだ。ま
た、「果ての珊瑚礁」も、日本や琉球の範囲という背景を置かない
と、「果て」という必要はない。それは、国家的な枠組みが出来て
以降の場所に視点を置いて、過去を理解しようとしているようなも
のだ。言い換えれば、「果ての琉球」は明治、「果ての珊瑚礁」は
戦後間もない頃に生まれた考えだとすれば、この仮説自体が、自然
を非有機的身体とするという第二次的なものに思える。

 それよりは、「沖の島」という名称のほうが、地勢を地名とする
自然さがあると思える。起源にそのまま遡行すれば、波照間島を
「沖の島」と受け止めることができる。少なくとも現在までの理解
では。

 では、「果ての琉球」や「果ての珊瑚礁」という理解は、ただの
誤りとして葬るべきものだろうか。ぼくは、そうではなく、これは
それこそ、第二次以降の沖縄自身によって生み出された波照間島理
解だから、これを第三次以降の世界の波照間表現の多様性のなかに
位置づければいいと思う。「果ての琉球」も「果ての珊瑚礁」も、
とても素敵な解釈で、地域ブランドとしての波照間づくりには、ソ
フト資産として活かせると思うからだ。波照間のイメージ的身体と
みなすのだ。

(超自然哲学24 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)

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