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2007/02/01

グーグルアースは世界視線

 グーグルアースの出現は、ぼくたちが世界視線を手にしたことを
意味すると思う。
 世界視線というのは、グーグルアースのように宇宙から地表を垂
直に見る視線のことだ。

 ほんとは、わたしたちのいう世界視線は、無限遠点の宇宙空間か
 ら地表に垂直におりる視線をさしている。しかもこの視線は、雲
 や気層の汚れでさえぎられない。また遠方だからといって、細部
 がぼんやりすることもない。そんな想像上のイデアルな視線を意
 味している。遠近法にも自然の条件にも左右されない、いわば像
 (イメージ)としての視線なのだ。(中略)現実にわたしたちが
 手にできる近似的な世界視線は、航空写真によるものと、人工衛
 星ランドサットによるものとにかぎられる。
             (吉本隆明『ハイ・イメージ論1』)

 吉本隆明がこう書いたのは、1986年。今から21年も前のこ
とになる。このとき、世界視線から地球を見ようとすれば、「航空
写真によるものと、人工衛星ランドサットによるもの」とに限られ
ていた。グーグルアースは、航空写真やランドサット映像としてだ
けではなく、地球上どこも途切れない世界として、そしてどこをど
んな上空から見るのも自在にしてくれている。もちろんリアルタイ
ムではないしイデアルな視線でもないけれど、いまぼくたちが持て
世界視線としては最高のものだというのは疑問の余地がない。

 吉本は、ランドサット映像の地図を眺めていると、地質学的な過
去に、平野が水面下にあって山脈だけが地上に顔を出してといった
ような空想をしたくなるが、それは等高線の書いてる地図を見るだ
けでは生まれない空想だとして、こう書いている。

 ここには宇宙空間からの世界視線がもつおおきな未知の特性があ
 るようにみえる。それをひと口で要約してみれば、人間ははじめ
 て、じぶんの存在とその営みをまったく無化してしまいながら、
 しかも自己存在の空間を視る視線を獲得したといえることだ。こ
 れは感性の歴史にとってはじめてのことで、大きな意味を持って
 いる。(同前掲)

 ランドサット映像を前に、吉本の直観はこう書く。そしてこれを
20年以上前に読んだぼくは、この意味をよく理解できないまま置
いてきた。けれど、ぼくもグーグルアースを前にすると、たとえば、
好みのエリアでいえば、奄美諸島から八重山諸島までの琉球弧を眺
めれば、与那国島の西を過ぎって北上し、七等灘を東に折れる黒潮
の流れを見るような気がしたり、南から陸続きになっていた過去を
空想したり、そこを歩く人類を幻視したりする。住居を上空から見
ても、生活の悲喜こもごもを思い出すよりは、そこから仕事場まで
の流れを追ったり、故郷までひとっ飛びしてみたりと、自分たちの
いる空間を楽しんで見ている。生活感情を離れて自在に空間移動で
きる点が、グーグルアースを使う時に、旅行気分に浸れる理由だ。
グーグルアースを前にして、ぼくたちは吉本の言葉に実感的に追い
ついているのである。

 ジョン・レノンは、「国境なんてないと想像してごらん」と歌っ
たけれど、グーグルアースを見ていると、国境を飛び越えるように
どの地域とどの地域もつながっていることを映像として理解できる。
これはグーグルアース効果で、世界視線をぼくたちが手にしたこと
の大きな意義だと思う。

(超自然哲学2 「1.グーグルアースは世界視線」)

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