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2007/02/16

新・相互扶助

 自分の分身が参加することで、イメージ的身体世界であるインター
ネットはいままでになかった出会いを生んでいる。
 そしてその出会いの共同性は、新しい相互扶助を実現しているのだ。

それがどのようなものかは、消費者の相互扶助を企業の側からの視線
に映すと、よく分かるかもしれない。

 ネットワークの展開に伴って顧客が入手する情報が増大、多様化す
 る中で、注目に値するのが顧客間インタラクションである。単純に
 言うと、ネットワーク上で「お客さん同士」がコミュニケーション
 を行い、それが商品の売れ行きや顧客満足に影響を与える現象のこ
 とだ。伝統的にはパソコン通信のいわゆるフォーラムなどが顧客間
 インタラクションの場を提供してきた。ソフトウェアやプリンタな
 どを買ってうまく動かないとき、メーカーに問い合わせするより、
 フォーラムに載せてユーザー仲間に聞いたほうがはるかに早く、的
 確な答えが返ってくる場合が多い。まったく見知らぬ人が無報酬で
 自分の疑問に親切に応えてくれるのに、驚かされることが多い世界
 である。
   (『オープン・アーキテクチャ戦略』國領二郎、1999年)

 國領の考察にあるように、企業がコミュニティに着目するのは、消
費者が無償で教えあうことに、その根拠を求めることができる。本来
なら企業が負担すべきかもしれないコストを、消費者は無償で担って
くれる。それなら、顧客対応をはじめとして、クチコミや消費者調査
をコミュニティは担ってくれるのではないか。その期待を込めて、コ
ミュニティに熱い視線は注がれてきたのだ。

 だが、ここで追究したいのは、企業にとっての意味ではなく消費者
にとっての意味だ。消費者にとっては、インターネットが相互扶助の
場を提供してくれていることになるのだ。
 ある意味でこれは不思議なことかもしれない。
 ぼくたちは、かつての農村の厚い相互扶助の世界に支えられながら、
その出口のない息苦しさから逃げるように都市に流入したはずだった。
都市で、お互いが無関係でいられることがこの上ない慰安になってい
るはずだった。相互扶助しなくていい、無関係でいられる自由が、逆
に都市の優しさになってきたのである。

 しかし、都市が普遍化するに及んで、ぼくたちは、助け合いたい気
持ちの行き場を無くして、彷徨っていたのかもしれない。だから都市
生活者の目に、インターネットこそは相互扶助の気持ちを満たすべき
場に映ったのかもしれなかった。
 核家族化と生活様式の激変の結果、子育ての知恵の拠り所を失った
若い母は、妊娠期の過ごし方を、少し前に出産を済ませた先輩ママた
ちから教わる。また、口に出しにくい身体症状の悩み相談などもイン
ターネットのコミュニティなら、個人を特定せずにできるから、安心
して相談しあうだろう。だから、この新しい相互扶助は、かつての共
同体が担っていた役割を復活させたものでもあれば、今までにはあり
えなかった相互扶助を実現したものでもあるのだ。この意義と可能性
はとても大きいと思える。

 オークションも同じことが言える。たとえば、幼児の服は、子ども
が成長すればすぐに要らなくなってしまう。昔のように、子沢山の状
況なら、次の弟妹に譲ったり近所の子におすそ分けすればよかったの
だが、いまやどちらもままならない。すると、その服は無駄になって
しまうわけだが、オークションを使えば、それを必要としている人と
出会うことができる。しかも、そこにはいくばくかの金銭のやりとり
が発生するから、渡す方の喜びも大きい。ここでは、相互扶助に加え
て、モノが循環する経済を生み出している。
 この相互扶助の側面は、都市で個人として分断された人々が、オン
ラインのコミュニティに夢中になる背景になっている。このコミュニ
ティは、開放的な共同性という語義矛盾のような性格のなかに、未来
的な可能性を秘めている。

(超自然哲学17 「3.インターネットの新・相互扶助」)

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