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2007/02/20

第三次と第零次の同在

 こうなるには、南島が都市化するステップと南島の深層が第零次
であることが意識化される必要があった。ぼくたちは、80年代に、
人工的自然としての都市の普遍化に対応する作品を、たとえば、新
城和博の『おきなわキーワードコラムブック』をはじめ、照屋林賢
の音楽、高嶺剛監督の映画『ウンタマギルー』に見てきた。

 新城の作品は、都市の普遍化によりそれまで身体と切り離すこと
のできなかった方言などの固有の言葉が、取り出し可能な像(イメー
ジ)的身体としてキーワード化されて、本の中に散りばめられてい
た。自分たちの身体性を取り出して遊んだのである。
 『おきなわキーワードコラムブック』の中に、平和通りを「しぇ
んえんなー(千円均一)」とワゴンに衣類を積み上げて歩く初老の
男性が紹介されている。

 センエンナーのおじさん(人)

 那覇市の中心街、平和通り。色々な店が立ち並ぶ。休みになると
 通りは、ショッピングを楽しむ人でかなりの混雑になる。その人
 波をかき分けるように、ワゴンを押したおじさんが通る。ワゴン
 には、トレーニングパンツやトレーナーが山の様に積んであり、
 おじさんが「シェンエンナー、シェンエンナー(千円だよー)」
 と大声で呼びかけている。さらに「優子、まち子、弘美、美智子、
 恵子、明美、香織、純子、愛子、由美子、加代子・・・」と、女
 の子の名前を連発するのである。偶然でも、自分の名前がおじさ
 んの口から出たら、恥ずかしい。おじさんは私の事を知っている
 のだろうかと思ったり。名前が呼ばれないようにとビクビクもの
 である。シェンエンナーおじさんは、一日中、ワゴンを押しなが
 ら、平和通りをぐるぐる、ぐるぐる回っている。買っているのは、
 大体がおばさんであるが、もし、自分の名前が呼ばれる事があれ
 ば、記念に買ってみてもいいな。(鳥)

 ぼくも80年代のどこかでこのいかにも憎めないおじさんに偶然、
遭遇したことがあった。その時、「シェンエンナー(=千円均一)」
の言葉が妙に腑に落ちるように響いてきたのを鮮明に覚えている。

 おじさんのワゴンには、日用の衣類が山と積まれている。そのひ
とつひとつは違うものなのだが、「シェンエンナー(=千円均一)」
で等価である。また連呼される人(女性の名前)もひとりひとりは
顔も出自も個性も違うのだけれど、「シェンエンナー」の前には同
じなのである。いかにも南島の人らしい訛りの声は、そんな風に言
っているように聞こえた。

 新城たちの『おきなわキーワードコラムブック』は、標準語と方
言とを「シェンエンナー(=千円均一)」、等価に扱った世界だっ
た。何より彼らには、標準語と方言とが同等に見えたのだった。そ
れは、観光イメージとしてのオキナワと方言世界の生きた沖縄と、
自分たちが生きているおきなわとが同等に見えたのと同じである。
だから、「方言、食べ物、風物、レトロ、自然、伝統、考察、カル
チャー」などの雑多な事象を取り込んで、コラムとして成立させる
ことができたのだ。コラムとは等価に現れる世界を表現するために
必要な様式だったのだ。

 この「おじさん」は「シェンエンナー」の世界を携えながら、迷
路的な街筋を「ぐるぐる、ぐるぐる」と、くまなく網目のような軌
跡を残しながら通過するのだが、それがまるで那覇に「シェンエン
ナー(=千円均一)」の世界が訪れたことを告げ知らせているよう
に聞こえたのだった。

 加藤典洋は、『日本風景論』(1990年、講談社)の中で、
1970年に国鉄が展開したディスカバー・ジャパンのキャンペー
ンについて、「都市の生活のなかで知らず知らず変わってしまった
『自分』を、地方に出かけることで確認する”差異”の戯れである」
と喝破した。そしてディスカバー・ジャパンは都市生活者が地方に
出かける図式のなかにあるが、この後、80年代には、都市生活者
にとって都市が新鮮に見える「東京の発見」がやってくると指摘し
ている。ぼくが80年代の那覇で感じたのも別のことではないと思
える。

 八百屋の平台に五十円のトマトと三百円のリンゴと八千円の松茸
 が並んでいる。それが、そこに何の実体としての改変も伴わない
 まま、一気に「百円均一」の世界になる。彼は、その世界から立
 ち去らないのだから、これは世界が無意味な、バカバカしい世界
 となることではない。トマトやリンゴや松茸がふいに只になるの
 ではない。それは百円均一になる。ぼくとしては、この品物の百
 円均一化、それによって現れる「百円均一」の景観を「風景」と
 呼びたい。                   (同前掲)

 この、「百円均一」として言われているものは、あの「シェンエ
ンナー(=千円均一)」の世界と同じだと思える。

 「風景」とは、ここで何より、単なる未知のものでなければ単な
 る既知のものでもない、未知と化した既知の「現れ」なのである。
                         (同前掲)

 そう、この「未知と化した既知」としての沖縄を収めたのが『お
きなわキーワードコラムブック』に他ならない。民族、民俗、戦争、
アメリカ、観光などの手垢にまみれた沖縄像が、気づいてみたらと
ても新鮮なものにみえた。そのとき、すべては「シェンエンナー
(=千円均一)」、等価に映ったのである。

 これが、南島も人工的自然として都市化されたことの現われだっ
た。「シェンンナー(千円均一)」のおじさんは、平和通りを均質
な空間にならして都市の実感を伝えたが、その後、那覇にモノレー
ルが走るに及んで、ぼくたちは、均質な空間になったことを都市景
観として体験するだろう。
 そして、それまで方言は、南島の人が他者(大和の人)になれな
い理由でもあれば、他者を排除する理由でもあれば、他者を受け容
れる障害の象徴でもあった。新城たちがオリジナルな言葉を、愛着
を持って遊んだとき、方言札に象徴される言葉の苦難の歴史は終わ
ったのだ。

 80年代は新城らの試みの他にも、琉球音階の身体性を保ちなが
ら、それを地方性ではなく都市の普遍的なポップ・ソングとして作
り上げた照屋林賢の作品が登場した。彼らりんけんバンドの音楽は、
那覇を離れ東京でも共鳴することができたのだ。これをその逆から、
つまり、都市の感性に立脚しながら琉球の身体性の音楽を捉えた坂
本龍一の試みもあった。それらはともにワールド・ミュージックと
呼ばれたが、ここでの文脈に添えば、ワールド・ミュージックを最
深度で捉えれば、それは都市の感性に流通可能になったアフリカ的
身体を指していた。

 さらに、高嶺剛監督の1989年の映画『ウンタマギルー』は、
「聖なるけだるさ」を沖縄の本質として描いたが、それは南島の身
体性の本質を捉えたものだった。植物や動物と交感できる関係性が
描かれることで、第零次こそが沖縄の本質なのだと映画が伝えてい
た。そしてそれは、ぼくたちの母型的な身体に強く訴えることによ
って、響いてきたのである。

 一方で、那覇を軸に南島が都市化され、一方で南島の本質が第零
次であることが手にされたこと。そしてこの第三次と第零次とが、
どちらも世界との関係の仕方として、世界を像(イメージ)的身体
とする点で同位相にあること。そのことで、旅人は住人となる契機
を得たのだ。
 南島で、第三次と第零次が出会ったのである。第三次と第零次の
同在。それが、二十一世紀初頭の南島の現在形であり、旅人が住人
となることを可能ならしめたものである。

(超自然哲学21 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)

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