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2007/02/18

癒しの本質

 「癒し」によって、ぼくたちは何を味わっているのだろう。
 時間の遅延と空間の溶解。そう書いたけれど、実はそれは「癒し」
の入り口に過ぎない。重畳し加速する時間の流れからの解放だけが
テーマではないと思えるのだ。複線で走る時間を単線につなぎ直し、
そのうえ単線になった時間を引き延ばすように味わうというだけで
は。時間の遅延と空間の溶解、そこから入って、癒しの核心に触れ
たいとぼくたちは願っているのだ。

 「癒し」の本質は何か。
 それは人類の原型的身体に触れることではないだろうか。
 原型的身体。ぼくがそう呼びたいものを、吉本隆明はアフリカ的
段階として捉えている。

  ヘーゲルはいわば絶対的な近代主義といえるところから、世界
 史を人類の文明の発展と進化の過程とみなした。そこからは野蛮、
 未開、原始のアフリカ的なものは、まだ迷蒙から醒めない状態と
 しかかんがえられるはずがない。たしかに自然史(自然も対象と
 する歴史)としては妥当な視方だという考えも成り立つ。だが人
 間の内在史(精神関係の歴史)からみれば、近代は外在的な文明
 の形の大きさに圧倒され、精神のすがたはぼろぼろになって、穴
 ぼこがいたるところにあけられた時期とみることもできる。外在
 的な文明に侵されて追いつめられ、わずかに文化(芸術や文学)
 の領域だけを保ってきた。そして文明史はこの内在的な文化(芸
 術や文学)の部分を分離して削りおとすために、理性を理念にま
 で拡げる過程だったとみなすこともできる。精神の内在的な世界
 は複雑さと変形を増したが、輪郭を失って文明の外観からは隠れ
 て見えなくなる過程だったともいっていい。現在が、ヘーゲルの
 同時代の精神よりも、認識力を進化させたとは到底いえないとし
 ても、内攻して深化してゆく認識を加えたとはいえよう。

  ヘーゲルの同時代は絶対の近代主義が成立した稀な時期といっ
 てよかった。時代が歴史を野蛮、未開、原始と段階をすすめるも
 のとみなしたのは、内在の精神史を分離し捨象しえたためはじめ
 て成り立った概念だった。現在のわたしたちならヘーゲルが旧世
 界として文明史的に無視した世界は、内在の精神史からは人類の
 原型にゆきつく特性を象徴していると、かんがえることができる。
 そこでは天然は自生物の音響によって語り、植物や動物も言葉を
 もっていて、人語に響いてくる。そういう認知は迷信や錯覚では
 ない仕方で、人間が天然や自然の本性のところまで下りてゆくこ
 とができる深層をしめしている。わたしたちは現在それを理解で
 きるようになった。これはアフリカ的(プレ・アジア的)な段階
 をうしろから支えている背景の認識にあたっている。
  わたしたちは現在、内在の精神世界としての人類の母型を、ど
 こまで深層へ掘り下げられるのかを問われている。それが世界史
 の未来を考察するのと同じ方法でありうるとき、はじめて歴史と
 いう概念が現在でも哲学として成り立ちうると言える。
      (『アフリカ的段階について』1998年、春秋社)

 長いけれど反芻したくて引用した。原型的身体のことを考える前
に、「外在的な文明の形の大きさに圧倒され、精神のすがたはぼろ
ぼろになって、穴ぼこがいたるところにあけられた時期とみること
もできる」という近代認識が痛切に迫ってくる。だから、南島に人
は行くのだ、とすぐに言いたくなってくる。

 さて、吉本が「アフリカ的段階」と呼んでいるものは、人類の始
まりの時間と空間の枠組みのことだ。それを内側から、「人類が無
機的な自然や植物や生物や動物を内在的に了解している精神の段階」
(同前掲)と捉えている。
 この世界。自然や植物や動物と自由に交感する世界。そんな知覚
の世界に触れること。それが「癒し」の本質だと思う。

 時間の遅延と空間の溶解の向こうに、ぼくたちは人類の原型的身
体に触れて、自分が何かを取り戻すような気分になる。それは、疲
れを取り除いて元気になり日常の再生産活動への復帰を促すものに
は違いないが、本当はそれ以上に、自分の身体が深化しているのを
感じるのではないだろうか。あるいはそれを感じた旅人が、再び訪
れたい動機を手にするのだ。
 だから、はじめの問いへの答えはこうなる。日本のある人々が南
島に惹かれるのは、日本の身体性を通じて人類の母型的な身体に触
れることができるからだ、と。

(超自然哲学19 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)

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