« 地域ブランドフォーラム、全国大会 | トップページ | マルクスの自然哲学から »

2007/02/02

グーグルアースは地球の分身

 言ってみればグーグルアースは地球の分身だ。

 地球とうりふたつの分身像ができたようなものだ。もちろん今の
ところ、分身はある瞬間の地球の姿を、かなりおおざっぱに切り取
ったものに過ぎない。そうだけれど、分身はイメージになった分だ
け、くるくる回転させたり、遠近を宇宙の遠点から地上百メートル
上空まで接近したり、どこに視点を置くのも自在だ。
 しかも、分身だからといってもあなどれるわけではない。グーグ
ルアースを使う時、それが本物の地球ではなく、地球をシミュレー
ションしているに過ぎないことは誰もが了解している。けれど、だ
からといって子どもの遊具と軽んじられるものではなく、誰もが旅
行気分を味わうことができる。それはひとえに画像のリアリティと、
この道をまっすぐに行けばいつかはロンドンにも南極にも地球の裏
側にも辿りつくということが信じられるように、いままで体感でき
なかった事実が、迫真性をもって迫ってくるからだ。グーグルアー
スのシミュレーションは、現実をなぞるものだけれど、現実には実
行できないハイパーな体験をもたらしてくれる。この超現実のリア
リティにぼくたちは夢中になってしまう。イメージに転化しただけ
扱うぼくたちの自由度が増した分身なのだ。

 地球を分身化することでグーグルアースは作られた。
 ところでぼくたちは、グーグルアースに衝撃を受けたから、それ
をサンプルに、感動の中身と由来を探ってきたのだけれど、考えて
みれば、分身化という行為は、ことグーグルアースだけではなく、
ぼくたちの世界や環境への関わる時のキーワードになっていないだ
ろうか。

 たとえば携帯電話からeメールを送るとき、まるで自分の分身を
飛ばすような感覚で、言葉を打って送っている。机でパソコンを打
つのではなく、公衆電話から電話するのでもなく、まさに歩きなが
らでもできるから、なおさら分身感覚を持つのだと思う。
 また、ブログは自分のパーソナリティや考えが表明されて、まる
で自分の分身をネット上に解き放っているようなものだ。それは分
身だから、そこに中傷が書かれていたら、本体の心も痛む。分身だ
から、自分が寝ている間でも、読み手にメッセージを伝えてくれる。
ブログも自分の分身なのだ。またゲームなどは、まさに自分の分身
を映像のなかに参加させて冒険の世界に入っていく。
 グーグルアースは地球の分身であり、携帯メールやブログ、ゲー
ムは自分のパーソナリティや思考の分身なのだ。
 ぼくたちは、分身化するように世界や環境に関わっているのだ。

 グーグルアースは、地球を分身化したもの。
 これが、ことグーグルアースだけに限らないぼくたちの環境や世
界への関わり方だとして、この関係を次のように言ってみたい。

 人間は、環境を人間の像(イメージ)的身体とする。

 像(イメージ)的身体のひとつの現われが、分身だ。

(超自然哲学3 「1.グーグルアースは世界視線」)

|

« 地域ブランドフォーラム、全国大会 | トップページ | マルクスの自然哲学から »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: グーグルアースは地球の分身:

« 地域ブランドフォーラム、全国大会 | トップページ | マルクスの自然哲学から »