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2007/02/24

波照間=加計呂麻

 脱線になるかもしれないけれど、言葉を遡行することで、得られ
る仮説をひとつ提示したい。

 加計呂麻の地名は、波照間と同源である。

 波照間島は八重山諸島にあり、日本の最南端の島だ。加計呂麻島
は、奄美大島の南に奄美大島と対のように寄り添っている島だ。波
照間島と加計呂麻島は、五百キロ以上離れているけれど、二つとも
南島・琉球弧に属している。
 この二島の地名が、同源ではないかと考える根拠を挙げてみたい。

  第一に本土日本語の五つの母音と与那国方言の三つの母音の対
 応関係。
  本土日本語 aiueo
        アイウエオ
  与那国方言 aiuiu
  このふたつのあいだには一方の与那国方言の三母音が日本語か
 ら分化して母音縮退をきたしたという関係はないことにする。強
 いてふたつを関係づけたばあいは三母音の与那国方言のうえに、
 それとは系譜の異なった言語が覆いをかけられた結果、本土日本
 語の五母音がつくられていったとみなす。
        (「語母論」『母型論』吉本隆明、1995年)

 共感する考え方だ。たとえば、ぼくの故郷は南島与論島だが、
1970年代、ぼくたちは先生のことを「しぇんしぇい」と発音し
ていた。子どもだけでなく親もそうだった。これは、五母音で「先
生」という言葉を持ったいにしえの日本人が、本土から南島に入っ
た後に、「しぇんしぇい」と訛って発音するようになったというこ
とではないと思える。そうではなく、三母音の言語を持った世界に、
「先生」という言葉が入った時、三母音が強いので、「せ」の音が
まっすぐに発音されずに、三母音にある「i」の母音を使った同じ
サ行の「し」の音を頼りに、「せ」へ向かって発声すると「しぇ」
となるため、「しぇんしぇい」と発音された。そう理解するのが自
然だと思える。

 出会うなら「語母論」のような言葉と出会いたい。というのも、
南島・琉球弧に関しては、無意識に本土南下組として自分たちの
歴史をつむぎたがる語りの磁場があるのだ。もちろん、本土南下
組も与論島を構成する人の一部である。ただ、それ以外に南から
北上して漂着した人も間違いなくいる。そして南下北上どちらの
ルートにしても時期はさまざまであるに違いない。南島の歴史の
語り口は、今でもこうした時期とベクトルの広がりのない窮屈な
言説になりがちなのだ。

 そこには、日本人を自称するための切迫した情念の名残りが感じ
られる。それは近代南島の悲劇で、痛ましさを感じるけれど、現在、
そこに留まる必要はない。そろそろ、自分たちの言葉は、第零次に
遡行する手がかりをふんだんに持っていると、豊かさに解放する時
なのだ。

 わたしたちの言語の像からいえば三母音の与那国方言(やそれと
 類似した東北方言)はマラヨ・ポリネシア語族のひとつである古
 層の日本語であり、そのうえに北方大陸のアルタイ語の要素が降
 りつもって、古層の日本語の地肌がみえるほど薄くつもった部分
 が与那国方言(やそれと類似した東北方言)となり、古層が覆い
 隠されるほど厚くつもったのが本土日本語だったというほうが実
 体に近いことになる。
             (「語母論」『母型論』1995年)

 この日本語観は、科学として妥当だと思えるのにこれが励ましに
も聞こえるのが現状だ。励ましが不要になるまで、ぼくたちも言葉
の解明を進めていかなければならない。

 話しを戻そう。五母音としてある言語の古層を探る手がかりとし
て、三母音に戻す操作、つまり、(aiueo)を(aiuiu)
にする変換を、三母音変換と言ってみる。
 それに従い、カケロマ(加計呂麻)を三母音変換すると、カキル
マになる。また、ハテルマ(波照間)は、ハチルマになる。
 次に、南島では、「風」は「はでぃ」となる。与論島でも、代名
詞の「これ」は「ふり」になる。このように、k音はh音に訛って
いる。また、「清ら」は「ちゅら」と言い、与那国島では、「雪」
が「どぅち」になる。このように、k音とt音が交換されることが
ある。
 すると、こうなる。カキルマの、「カ」と「キ」について、「カ」
を「ハ」とし、「キ」を「チ」と置き換えてみると、カキルマは、
ハチルマになる。これは波照間の三母音変換と同じ音である。

 カケロマ
 →カキルマ(三母音変換)
 →ハチルマ(k音→h音、k音→t音)

 ハテルマ
 →ハチルマ(三母音変換)

 カケロマ=ハチルマ
 ハテルマ=ハチルマ
 ∴ カケロマ=ハテルマ

 楽しい発見だと思う。でも同時にこんなことをすると、素人の言
葉遊びに過ぎないのではないかという後ろめたさも過ぎる。けれど、
金関・宮良論争で、金関の仮説にあった、波照間がパトローと呼ば
れていた時代があり、それはインドネシア系の「沖の島」を意味す
るボトローを元にしていることを思い起こすと、加計呂麻島が、奄
美大島の「沖の島」であることが符号している。

 また、加計呂麻島出身者が、島外に出てはじめて、島の自称を知
ったという話を聞いたことがある。これは、加計呂麻島という自称
が、定住者にとって熟した言葉に成長していないことを意味するよ
うに思える。加計呂麻島出身の島尾ミホの『海辺の生と死』(19
87年、中公文庫)をみると、加計呂麻島から見て奄美大島のこと
を「向かい島」と書いているのに出会う。加計呂麻島は奄美大島か
らみれば沖の島だが、加計呂麻島からみれば、奄美大島または大島
という全体を包む言葉があって、その部分のような意識のなかにあ
ったのではないだろうか。

 さらに付け加えると、南島の最果ての波照間島がh音の地名で、
奄美諸島の加計呂麻島がk音の地名であるのも、不自然でなくてい
い。

  もともと琉球語や東北語のような旧日本語の因子が数多く残っ
 ている言葉では、カ行音のようなめりはりの利いた語音は、その
 前の語音によっては不可能にちかく、摩擦音で表出したり、濁音
 でつぶしてしまったりして表出するよりほかなかったのではない
 かとおもえる。     (「起源論」『母型論』1995年)

 ここでの文脈に直接、関わりはないけれど、カ行音の成り立ちに
ヒントを与えてくれる。「e音やo音のような開かれた母音を持た
ぬ三母音の性格からやってくる口唇を閉じる傾向」(「起源論」)
というのも同じだ。つまり、ハテルマとカケロマを比較すると、由
来のボトローに近い方が、h音に止まり、北上した場所にある方が
k音になっているのが、北上する由来として見ても、南下するめり
はりとして見ても、自然に思えるのだ。

Ryukyuko02















Hateruma















Kakeroma














(超自然哲学25 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)


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