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2007/02/28

都市と農村の行方

 共通感性と身体性の二重性は、その二つを育んだ舞台へと関心を
誘う。よく耳にした「都市と農村」というテーマだ。

 都市と農村は、両者の対立として語られてきた。
 農村が普遍的な段階から、第二次産業が勃興し、都市が出現する。
そして農村から都市へ人口が流入し、農村は疲弊し過疎化が進展す
る。一方、都市は、人口の急激な膨張と劣悪な労働条件や公害の反
作用を受け取った。両者は対立の構図を描いたが、ここでの文脈か
らいえば、それは、農村の第一次と都市の第二次の原理が対立の仮
象で現れたということだった。

 人工的自然の普遍化、都市の普遍化という事態を迎えて、対立の
構図は終わる。そこでは、都市がビルの屋上に緑地を配置したり、
商業施設の内部に自然空間を作るなど、都市による農村の内包、つ
まり人工的自然による天然自然の内包がテーマになっていった。同
じく農村では、都市の内包、つまり天然自然による人工的自然の内
包をテーマとするようになった。両者は、包み包まれる関係になっ
たのである。

 天然自然による人工的自然の内包を、ぼくの経験から補足してみ
る。
 ぼくの育った与論島の実家の近くには、小さくてきれいな入り江
があった。そこは白砂が輝き遠浅の珊瑚礁の海が広がる格別の場所
だった。ところが70年代、そこに観光用のホテルが建ってしまう。
ぼくは当初、このホテル激しく憎んだ。ぼくの目には、自然を破壊
するものと映ったからである。つまり、都市と農村の対立の縮図を
そこに見たのだ。

 しかも、ホテルは目の前に海があるにも関わらず、ホテルの手前
のスペースになんとプールを設置したのだ。ぼくはこれにも激しい
違和感を覚えずにはいられなかった。海にもっとも不要であり、海
と矛盾すると思えるものが、ホテルと海との狭間に置かれたのであ
る。なんとも奇妙な光景に思えた。

 ところが、奇妙なのはぼくのほうかもしれなかった。プールが設
置されてみると、旅人は海で泳がず、喜んでプールで遊んでいたの
である。海は観賞用となり、きれいな海を背景にプールで遊ぶとい
う楽しみ方を生んだのだ。ぼくはといえば、プールに足をつけるこ
ともせず、海で泳ぐのが海だと突っ張って、ホテルが視界に入らな
いように泳いだりしていた。

 さらにところが、である。いくらか歳月を経て帰省したとき、そ
こにはホテルとプールの相変わらずの光景があった。陽が沈む頃、
ホテルを見下ろせる丘の上から夕陽に照らされたホテルとプールと、
そして黄金に輝く海を一望する瞬間があったのだけれど、その時そ
の風景を、ぼくはきれいだと感じてしまった。それこそ、きれいと
感じてしまった、という不覚の実感があった。

 これが80年代のどこかで経験した感覚の折れ曲がりだった。
 浜も海も、ホテルひとつでどうかなってしまうような小さな存在
ではなかった。ホテルやプールを包み込むものとして浜辺や海は存
在している。ホテルやプールを抱くように天然自然があるのだ。人
工的自然があること自体は問題ではない。天然自然に矛盾せず、そ
れに溶け入るように人工的自然があるということ。それが考えるべ
きことなのだ。
 ここまでが、80年代に望見した都市と農村の構図だった。

(超自然哲学29 「5.都市感性・ウェブ感性と身体性」)


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2007/02/27

浮上する身体性

 都市感性やウェブ感性と名づけたものは、人工的自然としての都
市やインターネットの環境があれば、国家や人種を横断して育まれ
る感性であると考えた。

 それでは、第三次の進展は、そのまま共通する感性が次第に普遍
化し、人間を覆う事態であるだろうか。ぼくたちは、都市感性やウ
ェブ感性のなかに溶解して、あなたとぼくは区別がつかない存在に
なるだろうか。たとえば、言語は英語が世界共通語になり、他は要
らなくなるだろうか。

 そう問いを立てると、そうなるはずもなく、共通感性は人間の感
性を全て覆うことはないし、また覆うことになってはならないもの
としてあると思える。

 都市感性やウェブ感性の共通感性が出現したということは、同時
に、差異の根拠になる身体性が浮上することを意味する。
 身体性は、ぼくたちの生身の身体を根拠に、目や髪の色、肌の色
の固有性、思考の癖、固有の方言などとして表出される。標準語と
いう国家の方言の中にあってもアクセントや訛りとして表出される
ものだ。身体性は、それぞれの個人の固有性を根拠にし、その深層
に人類の普遍的な領域が広がっている。言い換えれば身体性とは、
第零次の基層を再現する力のことなのだ。

 第三次の世界は、都市感性、ウェブ感性としての共通感性と身体
の二重性が明確になる段階だ。共通感性は、その誕生とともに、
共通感性に納まらない身体性を意識化させた。それが、都市の普遍
化と同時に、方言が新鮮に見える根拠であり、南島の身体性が浮上
してきた根拠である。

Photo_44













(超自然哲学28 「5.都市感性・ウェブ感性と身体性」)


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2007/02/26

都市感性とウェブ感性

 ぼくたちの生活環境が人工的自然で普遍化され、都市が映像化さ
れると、都市感性ともいうべきものを実感できるようになった。こ
こで都市感性と呼びたいものは、都市という条件を共通項に、国家、
人種を越えて共有される感性のことだ。ファッションがそうであり、
都市に交響する音楽がそうだ。

 都市感性は、はじめあらゆる事物が等価として見える事態として
やってきた。100円ショップみたいに、ワゴンに積んだ上着や下
着の日用の衣類を、「シェンエンナー(千円均一)」と声あげなが
ら那覇の市場をめぐるおじさんの光景は、商品が均一であると同時
に、那覇の都市化が普遍化したことを気づかせる声だった。その均
質にならされた実感は、那覇市にモノレールが走った時、はっきり
意識にのぼっただろう。市街地をモノレールで走る時、街並みが等
しい価値として見えることが、実感として迫ってくるのだ。

 そこから言葉を見た時、標準語と方言が等しい価値で見えてくる。
それまでは、(標準語)>(方言)と価値の序列が決まっていたの
だから、等価に見える視線はとても新鮮だったに違いない。

 これが都市化の内実にある感性のありようなのだ。
 ぼくが経験したことでいえば、ポール・マッカートニーは、二十
一世紀の初頭に、アメリカ、日本、ヨーロッパなど、世界を横断す
るツアーを敢行するが、それができたのは、共通する感性が前提に
なっていたからだ。いまやそれはロシアでも可能だったのである。

 ついで、人工的自然の環境のもとで共通する感性のありかを告げ
たのは、他でもないインターネットだ。インターネットは、つなが
りとやりとりの世界だ。ここでは、世界は瞬時につながってしまう。
言語の壁はあるものの、国境を越え、すぐにつながることで得られ
る感性を、試みにウェブ感性と呼んでみよう。

 都市感性が、自身を映像化させることで、都市という共通項を媒
介して横断する内実を持っていたのに対して、ウェブ感性は、分身
を参加させることで、未知のコミュニケーションを生む内実を持っ
ている。
 どちらにしても、都市やインターネットという環境を共有するこ
とで、共通する感性を育てているのだ。

(超自然哲学27 「5.都市感性・ウェブ感性と身体性」)


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2007/02/25

都市の映像化と映像身体としてのファッション

 本当のところ、人工的自然のイメージ的身体化という第三次の世
界を最初に実感的に教えてくれたのは、インターネットではなく、
都市だった。吉本隆明が、『ハイ・イメージ論1』の「映像都市論」
で、映画「ブレード・ランナー」を題材に鮮やかに示したように、
都市は、過密と空間の重畳により、映像化し始めたのである。

 人間は、全人工的自然を人間の「像(イメージ)的身体」とし、
 全人間は、人工的自然の「像(イメージ)的自然」となる。

 人工的自然を、ぼくたちの生活環境としてみれば、それは都市の
ことだ。そして都市をイメージ的身体化するということ、それが映
像化である。
 だから、第三次の世界がもたらす感性は、都市を媒介にした映像
化とインターネットを媒介にした分身化として言うことができるだ
ろう。

 ところで、ぼくたちはそろそろ反作用の方にも目を向けよう。そ
もそもマルクス―吉本の自然哲学の命題が魅力的なのは、人間によ
る自然への作用(自然の人間化)だけでなく、自然からの反作用
(人間の自然化)を含んだ点にあったのだから。

 都市を映像化することの反作用は何か。
人間が人工的自然のイメージ的自然になることの象徴的な形は、人
間の映像化としてのファッションだ。都市の映像化に対応する人間
の反作用はファッションであり、それは都市環境にすこぶる適応した
行動なのである。

 流行の服やお気に入りのブランドに身を包む時、その服装が着る人
にとってのイメージ的身体(映像身体)になっている。そしてそれは、
その服装にとってのイメージ的自然として自分の身体を見なすことに
なるだろう。ファッション・モデルは身体像を維持しようと努力する
が、それはイメージ的自然としての身体像に生身の身体を同化させよ
うとしているのだ。

 イメージ的身体化は、服装としてのファッションだけに止まらない。
女性のメイクアップ、ネイルなどの化粧も、身体自身のイメージ的身
体化、映像化なのだ。ひところのガングロも美白も、同じく身体自身
のイメージ的身体化であり、都市環境に対応したイメージ的自然化で
ある。

 ここからみれば、当然、タトゥーもそうである。身体に色を塗り、
傷をつけるファッションは、未開の人類の入墨から現在のタトゥーま
で、反復するファッションなのである。
 第零次の命題を思い出そう。

 人間は、全自然を人間の「像(イメージ)的身体」とし、
 全人間は、自然の「像(イメージ)的自然」となる。

 現在のファッションと第零次のファッションの違いは、天然自然に
対して映像化するか、都市に対して映像化するかの違いとして言うこ
とができる。
 吉本は、「ファッション論」のなかで、次のように考察している。

 未開の諸部族が顔や手に入墨をしたり、下唇や耳をひきのばして畸
 型にしたりすることは、裸身そのものが霊魂にとっての衣裳だとみ
 なされたからだ。もちろん霊魂はたんに個別的な身体のなかにあっ
 て、個別的な生命をつかさどり、個別的な身体から抜け出てゆくと
 きに、身体が死ぬという概念に過ぎないから、やがてもっと普遍的
 な「精神」という概念があらわれて、これにとってかわられる。霊
 魂の方はしだいに消滅してしまう。そのときはじめて人間は霊魂の
 衣裳ではなく、衣裳としての衣裳の概念を獲得してゆくことになる。
 そして霊魂の衣裳としての裸身を考えることは、原型的な、あるい
 は始原の衣裳のファッションを考えることと同義なのだ。
    (「ファッション論」『ハイ・イメージ論1』1989年)

 これを第零次の命題になぞらえると、第零次で人間を対象にイメー
ジ的身体化すれば、その核に「霊魂」があらわれるということだ。そ
してイメージ的身体である霊魂の衣裳として裸身はあるから、天然自
然に対する映像化はすなわち裸身の映像化を意味していたのだ。ここ
が、第零次と現在のファッションの本質的な相違点である。

(超自然哲学26 「5.都市感性・ウェブ感性と身体性」)

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『奄美の島々の楽しみ方』

書かれた内容だけでなく、
書かれること自体に意義がある。

『奄美の島々の楽しみ方』は、そういう本です。

奄美の島々の楽しみ方

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「奄美に関する本がない。」

冒頭のこのひと言に、
著者たちの問題意識は集約されています。

そうその通り、とぼくは続けたくなります。
奄美は、鹿児島のおまけでも、
沖縄のおまけでもないのですから。

 ○ ○ ○

島はひとつひとつが宇宙であり世界です。
だから、安易なひとくくりは島人によって
拒まれるでしょう。

でも、文化と自然の共通性から触手を伸ばせば、
与論島は琉球弧というひとくくりを見出すことができます。

と、ぼくたちはつい一足飛びに
全体にいってしまうのですが、
本当は順番があります。

与論は奄美のひとつです。
奄美というくくりを持っています。

奄美としてのひとくくりですら、
まだぼくたちはぼくたちとして語る言葉を
なかなか持っていません。

それだけ、島は宇宙であり世界です。

 ○ ○ ○

それだからなおさら、この本は嬉しい。
奄美のなかの与論の先行表現になってくれます。

与論を紹介するのに、
「とおとぅがなし」がある。
これは嬉しい。
「ヨロンマラソン」も「シヌグ祭」も
与論ならではです。

けれど、与論を紹介するのに
「与論捧奉」をもってするのは、
これはもう卒業したい。

でもこれは書く側のテーマではなく、
書かれる側のテーマです。

この本の粋な志を引き受けて、
ぼくたちもまた奄美の一角を担う与論島を
表現したいものです。

 ○ ○ ○

奄美大島、与路島、請島、加計呂麻島、喜界島、
徳之島、沖永良部島、与論島。

奄美への愛情こもった筆致が嬉しい一冊です。

 ○ ○ ○

ブログも展開されていました。
奄美の島々の楽しみ方

嬉しいですね。


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2007/02/24

波照間=加計呂麻

 脱線になるかもしれないけれど、言葉を遡行することで、得られ
る仮説をひとつ提示したい。

 加計呂麻の地名は、波照間と同源である。

 波照間島は八重山諸島にあり、日本の最南端の島だ。加計呂麻島
は、奄美大島の南に奄美大島と対のように寄り添っている島だ。波
照間島と加計呂麻島は、五百キロ以上離れているけれど、二つとも
南島・琉球弧に属している。
 この二島の地名が、同源ではないかと考える根拠を挙げてみたい。

  第一に本土日本語の五つの母音と与那国方言の三つの母音の対
 応関係。
  本土日本語 aiueo
        アイウエオ
  与那国方言 aiuiu
  このふたつのあいだには一方の与那国方言の三母音が日本語か
 ら分化して母音縮退をきたしたという関係はないことにする。強
 いてふたつを関係づけたばあいは三母音の与那国方言のうえに、
 それとは系譜の異なった言語が覆いをかけられた結果、本土日本
 語の五母音がつくられていったとみなす。
        (「語母論」『母型論』吉本隆明、1995年)

 共感する考え方だ。たとえば、ぼくの故郷は南島与論島だが、
1970年代、ぼくたちは先生のことを「しぇんしぇい」と発音し
ていた。子どもだけでなく親もそうだった。これは、五母音で「先
生」という言葉を持ったいにしえの日本人が、本土から南島に入っ
た後に、「しぇんしぇい」と訛って発音するようになったというこ
とではないと思える。そうではなく、三母音の言語を持った世界に、
「先生」という言葉が入った時、三母音が強いので、「せ」の音が
まっすぐに発音されずに、三母音にある「i」の母音を使った同じ
サ行の「し」の音を頼りに、「せ」へ向かって発声すると「しぇ」
となるため、「しぇんしぇい」と発音された。そう理解するのが自
然だと思える。

 出会うなら「語母論」のような言葉と出会いたい。というのも、
南島・琉球弧に関しては、無意識に本土南下組として自分たちの
歴史をつむぎたがる語りの磁場があるのだ。もちろん、本土南下
組も与論島を構成する人の一部である。ただ、それ以外に南から
北上して漂着した人も間違いなくいる。そして南下北上どちらの
ルートにしても時期はさまざまであるに違いない。南島の歴史の
語り口は、今でもこうした時期とベクトルの広がりのない窮屈な
言説になりがちなのだ。

 そこには、日本人を自称するための切迫した情念の名残りが感じ
られる。それは近代南島の悲劇で、痛ましさを感じるけれど、現在、
そこに留まる必要はない。そろそろ、自分たちの言葉は、第零次に
遡行する手がかりをふんだんに持っていると、豊かさに解放する時
なのだ。

 わたしたちの言語の像からいえば三母音の与那国方言(やそれと
 類似した東北方言)はマラヨ・ポリネシア語族のひとつである古
 層の日本語であり、そのうえに北方大陸のアルタイ語の要素が降
 りつもって、古層の日本語の地肌がみえるほど薄くつもった部分
 が与那国方言(やそれと類似した東北方言)となり、古層が覆い
 隠されるほど厚くつもったのが本土日本語だったというほうが実
 体に近いことになる。
             (「語母論」『母型論』1995年)

 この日本語観は、科学として妥当だと思えるのにこれが励ましに
も聞こえるのが現状だ。励ましが不要になるまで、ぼくたちも言葉
の解明を進めていかなければならない。

 話しを戻そう。五母音としてある言語の古層を探る手がかりとし
て、三母音に戻す操作、つまり、(aiueo)を(aiuiu)
にする変換を、三母音変換と言ってみる。
 それに従い、カケロマ(加計呂麻)を三母音変換すると、カキル
マになる。また、ハテルマ(波照間)は、ハチルマになる。
 次に、南島では、「風」は「はでぃ」となる。与論島でも、代名
詞の「これ」は「ふり」になる。このように、k音はh音に訛って
いる。また、「清ら」は「ちゅら」と言い、与那国島では、「雪」
が「どぅち」になる。このように、k音とt音が交換されることが
ある。
 すると、こうなる。カキルマの、「カ」と「キ」について、「カ」
を「ハ」とし、「キ」を「チ」と置き換えてみると、カキルマは、
ハチルマになる。これは波照間の三母音変換と同じ音である。

 カケロマ
 →カキルマ(三母音変換)
 →ハチルマ(k音→h音、k音→t音)

 ハテルマ
 →ハチルマ(三母音変換)

 カケロマ=ハチルマ
 ハテルマ=ハチルマ
 ∴ カケロマ=ハテルマ

 楽しい発見だと思う。でも同時にこんなことをすると、素人の言
葉遊びに過ぎないのではないかという後ろめたさも過ぎる。けれど、
金関・宮良論争で、金関の仮説にあった、波照間がパトローと呼ば
れていた時代があり、それはインドネシア系の「沖の島」を意味す
るボトローを元にしていることを思い起こすと、加計呂麻島が、奄
美大島の「沖の島」であることが符号している。

 また、加計呂麻島出身者が、島外に出てはじめて、島の自称を知
ったという話を聞いたことがある。これは、加計呂麻島という自称
が、定住者にとって熟した言葉に成長していないことを意味するよ
うに思える。加計呂麻島出身の島尾ミホの『海辺の生と死』(19
87年、中公文庫)をみると、加計呂麻島から見て奄美大島のこと
を「向かい島」と書いているのに出会う。加計呂麻島は奄美大島か
らみれば沖の島だが、加計呂麻島からみれば、奄美大島または大島
という全体を包む言葉があって、その部分のような意識のなかにあ
ったのではないだろうか。

 さらに付け加えると、南島の最果ての波照間島がh音の地名で、
奄美諸島の加計呂麻島がk音の地名であるのも、不自然でなくてい
い。

  もともと琉球語や東北語のような旧日本語の因子が数多く残っ
 ている言葉では、カ行音のようなめりはりの利いた語音は、その
 前の語音によっては不可能にちかく、摩擦音で表出したり、濁音
 でつぶしてしまったりして表出するよりほかなかったのではない
 かとおもえる。     (「起源論」『母型論』1995年)

 ここでの文脈に直接、関わりはないけれど、カ行音の成り立ちに
ヒントを与えてくれる。「e音やo音のような開かれた母音を持た
ぬ三母音の性格からやってくる口唇を閉じる傾向」(「起源論」)
というのも同じだ。つまり、ハテルマとカケロマを比較すると、由
来のボトローに近い方が、h音に止まり、北上した場所にある方が
k音になっているのが、北上する由来として見ても、南下するめり
はりとして見ても、自然に思えるのだ。

Ryukyuko02















Hateruma















Kakeroma














(超自然哲学25 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)


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新日本紀行の与論

今日の11時は、島人も全国の出身者も
テレビの前に釘付けなのかなと思いながらNHKを観ました。

「新日本紀行」で、39年ぶりに与論が出るというのです。

 ★ ★ ★

菊千代さんが出てくれば、
ああこの人のおかげでぼくたちは、
島の言葉や民俗を忘れないでいられると
感謝の気持ちでいっぱいになり、

息子の菊秀史さんが、
学校で与論の言葉(方言)を教えるのを観れば、
30年前は、この同じ教室の中で
方言をしゃべれば指弾の対象になったのに、
いまや、子どもたちが、
発表と称して、方言を一所懸命、
話そうとしている、
その映像に隔世の感を覚えました。

砂糖きびを刈る姿は、
39年前と変わらぬ風景としてあり、
かやぶきの屋根や糸満漁法と呼ばれる漁や、
バナナやパパイヤの茂りっぷりは、
39年前には豊かにあって今は乏しい風景でした。

39年前の映像は、
茶花小学校で、何かの授業の時、
みせてもらった覚えがあります。

子どもたちが、砂浜に飛び出してきて
海に向かって走るシーンを覚えています。
たしか、あれは「新日本紀行」だったんじゃないかな?

今回、ぼくがいちばん嬉しかったのは、
島の少女ふたりが、
かりゆしバンドを観て三線を覚え、
いま、与論の言葉で歌をつくりたいと思っていると、
映像で語っていたことでした。

ああ与論島の価値を、
作らんとする若い意思が育っていると、
そのことがとても嬉しかった。

 人数じゃない。
 ひとりでも、その意思、想いこそが強いんだ。
 それが大事なんだ。

そう改めて、
若い芽が出ることに、
大人は励まされます。

そしてぼくはいつものように、
いてもたってもいられない気持ちになるのでした。

 ★ ★ ★

ほんの蛇足。

民法のテレビ映像がとかく虚飾に流れるとしたら、
今回のNHK映像は、
撮影の対象がではなく、撮り方が、
実像より地味で乏しい方に流れていました。

与論島の人も自然も佇まいも、
もっと美しいのに、と。

そして、映像はふつう、わあこんな世界があるのかと、
広がりを感じさせてくれるのに、
ぼくが撮るときみたいに、
カメラで視界が限られているというような
制約感がつきまとって、
それがちょっと残念でした。

でも、39年前、ぼくが幼少の頃の映像も挿入されて、
嬉しいひとときでした。

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2007/02/23

波照間島地名考

 起源への遡行と現在の進行の振幅で考えるというのは、どんな知
見をもたらすだろう。
 たとえば、谷川健一の『日本の地名』(岩波新書、1997年)
に、波照間島の語源をめぐる金関丈夫(かねせきたけお)と宮良当
壮(みやながまさもり)の論争が紹介されている。
 金関は、1954年、朝日新聞に「波照間」と題して考察を起こ
す。

  「ハテルマ」という島の名の起りについては、明治の中ごろ、
 首里市長の西常氏が言い出して以来「果ての宇留間」と言う説が
 ひろく行われてきた。宇留間とは琉球を言う、という紹巴の狭衣
 の注釈の誤りにわざわいされた誤説であるが、近ごろは八重山出
 身の宮良当壮博士が、ウルマはサンゴ礁のことで、ハテルマはこ
 の意味でやはり「果てのウルマ」だと説いて、それに従う人々も
 多いようだ。

 しかし、と置いて、金関は別の考えを置く。

  波照間はもとパトロー島と呼ばれていたことが、文書に残って
 いる。ところが、台湾の東海岸の住民のアミ族は、沖の島のこと
 をボトルとかボトローとか言っている。紅頭嶼をいまボテルトバ
 コ島といっているのは、このボトルと、日本名のタバコシマとが
 合併した名であることは、既に明かにされているが、波照間のパ
 トローもこのボトルに関係があるであろう、というのが私の考え
 である。

 この金関の考察に対し、「果ての珊瑚礁」という解釈を打ち出し
ていた宮良は、激しく反論する。ただ、谷川の紹介を頼りに追って
ゆくと、反論を激しているのは、仮説に対してというより、金関が、
八重山の人々の話が外国語のように聞え、なかでも台湾の高砂族な
どが話すインドネシア系のイントネーションにそっくりで、このイ
ントネーションを棄てかねた人が、「異系の日本語を採用した」な
どと言及した個所があったからだと思える。八重山の人にとって、
日本語が異系であるという書き方だ。

 この時の沖縄は日本復帰前で、アメリカの占領統治下にあった。
宮良にとっては、金関の考察は、沖縄は異民族であるという見なし
を与えかねない、そうなれば復帰も危ぶまれる。そんな繊細で過敏
な心理的状況が、激しい反発を呼んだのだ。

 いまから見ると、この論争は痛ましい。本来、少し筋の違う下敷
き同士が、不幸にも対立という構図で表面化したように見えるから
だ。多民族としての日本を言うのに、八重山を台湾と同じと見なす
必要もないし、沖縄人が日本人であることを言うのに、台湾、イン
ドネシア語との類縁を否定する必要もない。もともと八重山にいた
人と、台湾の人と交流があったとみなせば済むことだ。

 もちろんこれは第三次の段階にいて、言語学や遺伝子学の見地が
あるから、簡単に言えることにすぎない。
 ここから見るとどうなるだろう。ぼくも谷川が言うように、仮説
としてみたら、宮良より金関の仮説に説得力を感じる。
 ぼくの考えを言えば、「波照間」を「果ての琉球」や「果ての珊
瑚礁」と解するのは、ロマンティックではあるけれど、現在に視点
を置いて過去に遡行する倒錯ではないかと思える。

 それは、与那国島の「どなん」に「渡難」の字を当てた途端、
「渡り難い所」として与那国を解釈するのに似ている。与論島でも、
「ありがとうございます」を意味する「とうとぅがなし」に、「尊
々我無」と漢字を当てた途端、「私を無くして」と解釈しがちにな
るように。

 「波照間」を「果て」の「琉球」「珊瑚礁」として解するのは、
これに近い倒錯にならないだろうか。果ての琉球と言うためには、
「琉球」の範囲が概念化されている必要があるが、人が地名を名づ
けるのが圧倒的に先で、琉球の概念化はずっと後に来るものだ。ま
た、「果ての珊瑚礁」も、日本や琉球の範囲という背景を置かない
と、「果て」という必要はない。それは、国家的な枠組みが出来て
以降の場所に視点を置いて、過去を理解しようとしているようなも
のだ。言い換えれば、「果ての琉球」は明治、「果ての珊瑚礁」は
戦後間もない頃に生まれた考えだとすれば、この仮説自体が、自然
を非有機的身体とするという第二次的なものに思える。

 それよりは、「沖の島」という名称のほうが、地勢を地名とする
自然さがあると思える。起源にそのまま遡行すれば、波照間島を
「沖の島」と受け止めることができる。少なくとも現在までの理解
では。

 では、「果ての琉球」や「果ての珊瑚礁」という理解は、ただの
誤りとして葬るべきものだろうか。ぼくは、そうではなく、これは
それこそ、第二次以降の沖縄自身によって生み出された波照間島理
解だから、これを第三次以降の世界の波照間表現の多様性のなかに
位置づければいいと思う。「果ての琉球」も「果ての珊瑚礁」も、
とても素敵な解釈で、地域ブランドとしての波照間づくりには、ソ
フト資産として活かせると思うからだ。波照間のイメージ的身体と
みなすのだ。

(超自然哲学24 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)

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マーケターは市場の哲学者



マーケターとは市場の哲学者である。
マーケティングとは、市場を哲学することである。





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2007/02/22

進行と遡行

 現在は、第三次の段階にあり、過去は第零次まで遡行できるよう
になった。粗雑な概念化だけど、人間の歴史を、第零次から第三次
までの四つの段階
に整理したことになる。このことは、ぼくたちが
第三次に属して、第二次以前は過去として存在しないという意味で
はない。第二次以前の関係も、層としてぼくたち自身が持っている
と思えばいい。これは、産業構成で示すことができる。

Photo_41














 これで見ると、2004年時点の第一次産業は5%弱、第二次産
業は、約28%、第三次産業は約67%である。ここからおおよそ、
日本は第零次0%、第一次5%、第二次28%、第三次67%の段
階構成をしていると見なすことができる。

 しかし、これはすぐに第零次は存在しないことを意味しない。第
零次産業は、区分として第一次産業に内包されていたり、見てきた
ように、南島のなかで実感できたりするからだ。また、第三次産業
のなかにも小売業のように、第一次産業を内包して、イメージ的身
体化という行為がぴったりこない分野もある。
 ここでは、段階を層として内包していると見なしたい。

 そしてそれだけでなく、第三次もそれとして段階の進展を止めて
いるのではなく、先へ進んでいる。そしてその進みゆきは、同時に
過去にも遡行しやすくなることを意味してないだろうか。
 たとえば、宇宙の科学などは典型的にその例を示している。ぼく
たちは宇宙の果てのことが分かるほど、宇宙の起源のことを理解で
きるようになる。ちょうど天体望遠鏡が発達して、何百億光年先の
遠い星まで観測できるということが、気の遠くなるような過去を知
ることと同義であるように。

 段階の認識も同じではないだろうか。ぼくたちは、第三次までき
て、第零次のことが理解しやすくなったのではないだろうか。それ
は、認識の深化かもしれないし、第零次と第三次が、どちらも自然
をイメージ的身体化するという関わり方が共鳴しているからかもし
れない。

 ぼくは言葉についても、そのような感触を持っている。『おきな
わキーワードコラムブック』
でみたように、方言を忘れ、標準語を
習得することが生きる術だと考えられていた時、まるで方言という
自然を非有機的身体化するように、標準語に置き換えていた。方言
をしゃにむに標準語に替えるのは、「加工」というのがふさわしい
変身だったに違いない。けれど、時を隔てて、第三次という都市の
世界になり、方言が忘却されて身体から離れてみると、方言の見え
方が天然自然ではなく人工的自然にみえ、そこで言葉を遊ぶように、
見直すことができたのだ。方言を対象化することができるからこそ、
方言の起源に遡行しやすくなった。そんな実感がある。

 もう少し進めていえば、分からないことだらけになった現在の社
会を捉え、十全に生きようとすれば、たとえば、インターネットで
自分の分身を使ったコミュニケーションをすることと、南島へ旅す
るように第零次の世界に触れること。この、第三次と第零次の振幅
を生きることが求められているのではないだろうか。

(超自然哲学23 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)

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事実・真実・信頼



事実より真実

けれど、こと人間と人間の関係においては、
真実より信頼

そして信頼は、いつでも、
事実に試されている。




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2007/02/21

段階像

 第零次から第三次までの段階を試みに図示してみる。
 第零次から第三次の、それぞれの世界との関係式を背景に、人間
が自然に関わる対象化行為を、うんとつづめて整理すると、次のよ
うになると思える(段階図1)。

Photo_36












 第零次 採る  (例.植物を採る。動物を捕る)
 第一次 育てる (例.植物を育てる)
 第二次 作る  (例.鉄をつくる)
 第三次 編む  (例.htmlを編集する)

 この図が示しているのは、第零次から第一次、第一次から第二次、
第二次から第三次への移行が必然的な推移であるということだ。
 ただ、それはこの図で見る限り、第三次止まりで、その先、第零
次へ戻り円環するのではない。また、歴史は第零次が起点であり第
三次が終点であるという意味でもない。この先にまだ段階図は発展
させることができると思える。それは、第三次以降の歴史の展開と
人類史への洞察から作成されていくに違いない。
 それを試みに図示したものが段階図2だ。

Photo_37












 ここでは、第零次以前に第マイナス一次を、第三次以降に第四次
を想定している。第マイナス一次は、「自然のイメージ的身体化」
という第零次とは全く異なる段階表現になるというわけでは必ずし
もない。「自然のイメージ的身体化」が差異をその内部に区別して、
より繊細な表現を第零次と第マイナス一次に与えるかもしれない。

 第三次と第四次の関係も同様である。第四次は、第三次以降の表
現を持つかもしれないし、第三次の内部に差異が区別され両方に新
たな表現が与えられるのかもしれない。
 新しい旧と新の段階認識は、現段階での新旧の段階認識の接点か
ら細胞分裂のように層を形成すると思われる。

(超自然哲学22 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)

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2007/02/20

第三次と第零次の同在

 こうなるには、南島が都市化するステップと南島の深層が第零次
であることが意識化される必要があった。ぼくたちは、80年代に、
人工的自然としての都市の普遍化に対応する作品を、たとえば、新
城和博の『おきなわキーワードコラムブック』をはじめ、照屋林賢
の音楽、高嶺剛監督の映画『ウンタマギルー』に見てきた。

 新城の作品は、都市の普遍化によりそれまで身体と切り離すこと
のできなかった方言などの固有の言葉が、取り出し可能な像(イメー
ジ)的身体としてキーワード化されて、本の中に散りばめられてい
た。自分たちの身体性を取り出して遊んだのである。
 『おきなわキーワードコラムブック』の中に、平和通りを「しぇ
んえんなー(千円均一)」とワゴンに衣類を積み上げて歩く初老の
男性が紹介されている。

 センエンナーのおじさん(人)

 那覇市の中心街、平和通り。色々な店が立ち並ぶ。休みになると
 通りは、ショッピングを楽しむ人でかなりの混雑になる。その人
 波をかき分けるように、ワゴンを押したおじさんが通る。ワゴン
 には、トレーニングパンツやトレーナーが山の様に積んであり、
 おじさんが「シェンエンナー、シェンエンナー(千円だよー)」
 と大声で呼びかけている。さらに「優子、まち子、弘美、美智子、
 恵子、明美、香織、純子、愛子、由美子、加代子・・・」と、女
 の子の名前を連発するのである。偶然でも、自分の名前がおじさ
 んの口から出たら、恥ずかしい。おじさんは私の事を知っている
 のだろうかと思ったり。名前が呼ばれないようにとビクビクもの
 である。シェンエンナーおじさんは、一日中、ワゴンを押しなが
 ら、平和通りをぐるぐる、ぐるぐる回っている。買っているのは、
 大体がおばさんであるが、もし、自分の名前が呼ばれる事があれ
 ば、記念に買ってみてもいいな。(鳥)

 ぼくも80年代のどこかでこのいかにも憎めないおじさんに偶然、
遭遇したことがあった。その時、「シェンエンナー(=千円均一)」
の言葉が妙に腑に落ちるように響いてきたのを鮮明に覚えている。

 おじさんのワゴンには、日用の衣類が山と積まれている。そのひ
とつひとつは違うものなのだが、「シェンエンナー(=千円均一)」
で等価である。また連呼される人(女性の名前)もひとりひとりは
顔も出自も個性も違うのだけれど、「シェンエンナー」の前には同
じなのである。いかにも南島の人らしい訛りの声は、そんな風に言
っているように聞こえた。

 新城たちの『おきなわキーワードコラムブック』は、標準語と方
言とを「シェンエンナー(=千円均一)」、等価に扱った世界だっ
た。何より彼らには、標準語と方言とが同等に見えたのだった。そ
れは、観光イメージとしてのオキナワと方言世界の生きた沖縄と、
自分たちが生きているおきなわとが同等に見えたのと同じである。
だから、「方言、食べ物、風物、レトロ、自然、伝統、考察、カル
チャー」などの雑多な事象を取り込んで、コラムとして成立させる
ことができたのだ。コラムとは等価に現れる世界を表現するために
必要な様式だったのだ。

 この「おじさん」は「シェンエンナー」の世界を携えながら、迷
路的な街筋を「ぐるぐる、ぐるぐる」と、くまなく網目のような軌
跡を残しながら通過するのだが、それがまるで那覇に「シェンエン
ナー(=千円均一)」の世界が訪れたことを告げ知らせているよう
に聞こえたのだった。

 加藤典洋は、『日本風景論』(1990年、講談社)の中で、
1970年に国鉄が展開したディスカバー・ジャパンのキャンペー
ンについて、「都市の生活のなかで知らず知らず変わってしまった
『自分』を、地方に出かけることで確認する”差異”の戯れである」
と喝破した。そしてディスカバー・ジャパンは都市生活者が地方に
出かける図式のなかにあるが、この後、80年代には、都市生活者
にとって都市が新鮮に見える「東京の発見」がやってくると指摘し
ている。ぼくが80年代の那覇で感じたのも別のことではないと思
える。

 八百屋の平台に五十円のトマトと三百円のリンゴと八千円の松茸
 が並んでいる。それが、そこに何の実体としての改変も伴わない
 まま、一気に「百円均一」の世界になる。彼は、その世界から立
 ち去らないのだから、これは世界が無意味な、バカバカしい世界
 となることではない。トマトやリンゴや松茸がふいに只になるの
 ではない。それは百円均一になる。ぼくとしては、この品物の百
 円均一化、それによって現れる「百円均一」の景観を「風景」と
 呼びたい。                   (同前掲)

 この、「百円均一」として言われているものは、あの「シェンエ
ンナー(=千円均一)」の世界と同じだと思える。

 「風景」とは、ここで何より、単なる未知のものでなければ単な
 る既知のものでもない、未知と化した既知の「現れ」なのである。
                         (同前掲)

 そう、この「未知と化した既知」としての沖縄を収めたのが『お
きなわキーワードコラムブック』に他ならない。民族、民俗、戦争、
アメリカ、観光などの手垢にまみれた沖縄像が、気づいてみたらと
ても新鮮なものにみえた。そのとき、すべては「シェンエンナー
(=千円均一)」、等価に映ったのである。

 これが、南島も人工的自然として都市化されたことの現われだっ
た。「シェンンナー(千円均一)」のおじさんは、平和通りを均質
な空間にならして都市の実感を伝えたが、その後、那覇にモノレー
ルが走るに及んで、ぼくたちは、均質な空間になったことを都市景
観として体験するだろう。
 そして、それまで方言は、南島の人が他者(大和の人)になれな
い理由でもあれば、他者を排除する理由でもあれば、他者を受け容
れる障害の象徴でもあった。新城たちがオリジナルな言葉を、愛着
を持って遊んだとき、方言札に象徴される言葉の苦難の歴史は終わ
ったのだ。

 80年代は新城らの試みの他にも、琉球音階の身体性を保ちなが
ら、それを地方性ではなく都市の普遍的なポップ・ソングとして作
り上げた照屋林賢の作品が登場した。彼らりんけんバンドの音楽は、
那覇を離れ東京でも共鳴することができたのだ。これをその逆から、
つまり、都市の感性に立脚しながら琉球の身体性の音楽を捉えた坂
本龍一の試みもあった。それらはともにワールド・ミュージックと
呼ばれたが、ここでの文脈に添えば、ワールド・ミュージックを最
深度で捉えれば、それは都市の感性に流通可能になったアフリカ的
身体を指していた。

 さらに、高嶺剛監督の1989年の映画『ウンタマギルー』は、
「聖なるけだるさ」を沖縄の本質として描いたが、それは南島の身
体性の本質を捉えたものだった。植物や動物と交感できる関係性が
描かれることで、第零次こそが沖縄の本質なのだと映画が伝えてい
た。そしてそれは、ぼくたちの母型的な身体に強く訴えることによ
って、響いてきたのである。

 一方で、那覇を軸に南島が都市化され、一方で南島の本質が第零
次であることが手にされたこと。そしてこの第三次と第零次とが、
どちらも世界との関係の仕方として、世界を像(イメージ)的身体
とする点で同位相にあること。そのことで、旅人は住人となる契機
を得たのだ。
 南島で、第三次と第零次が出会ったのである。第三次と第零次の
同在。それが、二十一世紀初頭の南島の現在形であり、旅人が住人
となることを可能ならしめたものである。

(超自然哲学21 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)

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2007/02/19

移住の根拠

 ところで現在では、南島に惹かれるのは旅人だけでは無くなった。
というか、旅人の先に住人を選ぶ人々が出てきたのだ。
 旅人として南島を訪れることと南島の住人になることは本質的に
違う。「癒し」の時間を持つということと、「癒し」をギフトする
世界に身を置くことは全く異なることだからだ。

 なぜ、南島への移住がテーマになり可能になったのだろう。
 それが可能になるには、都市環境が普遍化することと、時間の遅
延と空間の溶解する南島の身体が浮上してくることが必要だったと
思える。
 南島の身体、原型的身体はどのように考えることができるだろう。
 ここで、もう一度、マルクス―吉本の自然哲学の命題を思い出そ
う。

 人間は、全自然を人間の「非有機的身体」とし、
 全人間は、自然の「有機的自然」となる。

 この関係規定をマルクスは人間の普遍性として提示しているけれ
ど、二十一世紀の場所にいるぼくたちからみると、これはマルクス
が目撃した産業革命を背景にしていると思える。いわば第二次産業
を観察して得た関係式だ。だから、南島の身体を考えるに当たり、
まず、マルクスの規定を産業革命以前の第一次産業に当てはめてみ
る。
 それは次のようになるのではないだろうか。

 人間は、全自然を人間の「有機的身体」とし、
 全人間は、自然の「有機的自然」となる。

 これは、稲のような有機物を育てることを想像すれば、イメージ
しやすい。植物を育てるのが典型的な行為で、それが第一次の段階
における人々の営為の主軸をなしていた。人が人を育てるように、
植物を育てたのだ。言い換えれば、第一次とは「育てる」という行
為を自然との関係のなかで意識化した段階である。
 マルクスの規定は第二次的であると理解すれば、農を基本とする
第一次的世界の関係式は自然の有機的身体化と言うことができる。

 それでは南島が持つ原型的世界、吉本がアフリカ的と呼んだ世界
はどう描くことができるだろう。第一次では、まだ原型的ではなく、
もっと遡行しなければならないはずだ。
 その世界を農以前の第零次と位置づければ、第零次的世界におけ
る人間と全自然との関係は、次のようになる。

 人間は、全自然を人間の「像(イメージ)的身体」とし、
 全人間は、自然の「像(イメージ)的自然」となる。

 「全自然を人間の像(イメージ)的身体とし、人間は、全自然の
像(イメージ)的自然となる」。これは、無機物や植物、動物と交
感できる、彼らの声を聞くことができる世界の関係式として言うこ
とができる。たとえば雨乞いは、天候という自然を像(イメージ)
的身体とみなして思い通りに動かそうとする行為とみなせるだろう。
 ところで、ここで第三次の関係式を思い出してみる。

 人間は、全人工的自然を人間の「像(イメージ)的身体」とし、
 全人間は、人工的自然の「像(イメージ)的自然」となる。

 こうしてみると、面白いことに第三次の人間と自然の関係と第零
次のそれとは、位相を同じくしているのに気づく。第三次と第零次
とでは、自然との関係のあり方が似ているのだ。
 第零次では、霊魂をイメージ的身体と見なしたように、ぼくたち
は、自分の分身をイメージ的身体としてインターネットに放ってい
る。また、第零次では、天然自然に調和するように身体をイメージ
化して身体装飾を施したように、第三次では、人工的自然に調和す
るように、ファッションに身をつつんでいる、と言えばいいだろう
か。第零次と第三次は共振しているのである。

 そしてこれが、南島に旅人として接するという以外に、住人とな
る選択肢を生む根拠になっていると思える。

(超自然哲学20 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)

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2007/02/18

癒しの本質

 「癒し」によって、ぼくたちは何を味わっているのだろう。
 時間の遅延と空間の溶解。そう書いたけれど、実はそれは「癒し」
の入り口に過ぎない。重畳し加速する時間の流れからの解放だけが
テーマではないと思えるのだ。複線で走る時間を単線につなぎ直し、
そのうえ単線になった時間を引き延ばすように味わうというだけで
は。時間の遅延と空間の溶解、そこから入って、癒しの核心に触れ
たいとぼくたちは願っているのだ。

 「癒し」の本質は何か。
 それは人類の原型的身体に触れることではないだろうか。
 原型的身体。ぼくがそう呼びたいものを、吉本隆明はアフリカ的
段階として捉えている。

  ヘーゲルはいわば絶対的な近代主義といえるところから、世界
 史を人類の文明の発展と進化の過程とみなした。そこからは野蛮、
 未開、原始のアフリカ的なものは、まだ迷蒙から醒めない状態と
 しかかんがえられるはずがない。たしかに自然史(自然も対象と
 する歴史)としては妥当な視方だという考えも成り立つ。だが人
 間の内在史(精神関係の歴史)からみれば、近代は外在的な文明
 の形の大きさに圧倒され、精神のすがたはぼろぼろになって、穴
 ぼこがいたるところにあけられた時期とみることもできる。外在
 的な文明に侵されて追いつめられ、わずかに文化(芸術や文学)
 の領域だけを保ってきた。そして文明史はこの内在的な文化(芸
 術や文学)の部分を分離して削りおとすために、理性を理念にま
 で拡げる過程だったとみなすこともできる。精神の内在的な世界
 は複雑さと変形を増したが、輪郭を失って文明の外観からは隠れ
 て見えなくなる過程だったともいっていい。現在が、ヘーゲルの
 同時代の精神よりも、認識力を進化させたとは到底いえないとし
 ても、内攻して深化してゆく認識を加えたとはいえよう。

  ヘーゲルの同時代は絶対の近代主義が成立した稀な時期といっ
 てよかった。時代が歴史を野蛮、未開、原始と段階をすすめるも
 のとみなしたのは、内在の精神史を分離し捨象しえたためはじめ
 て成り立った概念だった。現在のわたしたちならヘーゲルが旧世
 界として文明史的に無視した世界は、内在の精神史からは人類の
 原型にゆきつく特性を象徴していると、かんがえることができる。
 そこでは天然は自生物の音響によって語り、植物や動物も言葉を
 もっていて、人語に響いてくる。そういう認知は迷信や錯覚では
 ない仕方で、人間が天然や自然の本性のところまで下りてゆくこ
 とができる深層をしめしている。わたしたちは現在それを理解で
 きるようになった。これはアフリカ的(プレ・アジア的)な段階
 をうしろから支えている背景の認識にあたっている。
  わたしたちは現在、内在の精神世界としての人類の母型を、ど
 こまで深層へ掘り下げられるのかを問われている。それが世界史
 の未来を考察するのと同じ方法でありうるとき、はじめて歴史と
 いう概念が現在でも哲学として成り立ちうると言える。
      (『アフリカ的段階について』1998年、春秋社)

 長いけれど反芻したくて引用した。原型的身体のことを考える前
に、「外在的な文明の形の大きさに圧倒され、精神のすがたはぼろ
ぼろになって、穴ぼこがいたるところにあけられた時期とみること
もできる」という近代認識が痛切に迫ってくる。だから、南島に人
は行くのだ、とすぐに言いたくなってくる。

 さて、吉本が「アフリカ的段階」と呼んでいるものは、人類の始
まりの時間と空間の枠組みのことだ。それを内側から、「人類が無
機的な自然や植物や生物や動物を内在的に了解している精神の段階」
(同前掲)と捉えている。
 この世界。自然や植物や動物と自由に交感する世界。そんな知覚
の世界に触れること。それが「癒し」の本質だと思う。

 時間の遅延と空間の溶解の向こうに、ぼくたちは人類の原型的身
体に触れて、自分が何かを取り戻すような気分になる。それは、疲
れを取り除いて元気になり日常の再生産活動への復帰を促すものに
は違いないが、本当はそれ以上に、自分の身体が深化しているのを
感じるのではないだろうか。あるいはそれを感じた旅人が、再び訪
れたい動機を手にするのだ。
 だから、はじめの問いへの答えはこうなる。日本のある人々が南
島に惹かれるのは、日本の身体性を通じて人類の母型的な身体に触
れることができるからだ、と。

(超自然哲学19 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)

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2007/02/17

癒しの場としての南島

 ところで、ぼくたちはグーグルアースで旅行気分に浸るけれど、そ
れで旅行を代替しているわけではない。浸るだけのときはあっても、
実際に旅行する機会も持っている。旅行のシミュレーションをグーグ
ルアースでしておくというのが本来の使い方だ。
 そして、自由時間が増大するにつれ、旅の持つ意味も大きくなって
いる。そのことを、ぼくの好みから南島を例にとって考えてみたい。

 人はなぜ南島に惹かれるのだろう。
 ここでいう南島-南の島は、島尾敏雄が奄美諸島から与那国島まで
のゆるやかな連なりを捉えてそう呼んだ琉球弧のことだから、こう言
い換えてもいい。日本のある人々はどうして南島に惹かれるのだろう。
 たとえば沖縄を訪れる人の数は多い。二十一世紀に入った近年の特
徴は、夏の沖縄だけではなく、シーズンオフの来島だという。ある時
期に沖縄に訪れてしばし時を過ごし去っていく。そうした旅の行く先
に南島は選ばれるのだけれど、旅人はそこに何を感じるのだろう。
 それは「癒し」だ。南島の滞在日で日頃の疲れを取り、元気を回復
してまた再び日常へ帰っていく。その間に、旅人は「癒し」を受け取
っている。旅人は、南島に癒されに行くのである。

 「癒し」とは何だろう。
 「癒し」とは時間の遅延と空間の溶解のことだ。
 南島の風景のなかから採ってみれば、たとえばオオゴマダラの舞い。
 その大きな蝶の羽ばたきに、人は思わず目を見張ってしまう。オオ
ゴマダラはふつうの蝶のように、目にもとまらぬ早さで羽ばたき飛行
しているのではない。ふつうの蝶の羽ばたきをスローモーションで再
現したときの、あのゆったりとした羽ばたき。それを、オオゴマダラ
はスローモーションなしでやっているのだ。まるで捕まえてと言わん
ばかりの無防備で優雅な舞い。この世に敵などいないと思い込んでい
るかのように。

 オオゴマダラの舞いに出会うと、優雅で思わず見とれてしまうのだ
が、それだけでなく、その羽ばたきの瞬間に別の何かを感じてもいる。
そこで時間が減速するように感じるのだ。木の葉たちの動きや風の速
度、それに自分の動きもオオゴマダラに合わせるようにスローモーシ
ョンになったような気がしてくる。オオゴマダラが視界にいる間、何
もかもゆっくりした動きの世界になり、立ちすくむ。けれど、オオゴ
マダラが視界から消えると、まるで魔法が解けたみたいに、茂みの中
に立っている自分に気づく。するともうそこに流れているのは、いつ
ものあの日常の時間だ。
 そうして、減速した時間に身を委ねた後に、ぼくたちはふと癒され
ているのに気づくのだ。

 ほんとうは時間の遅延は、オオゴマダラに出会わなくても、南島に
訪れればゆっくりした時間の流れとしてその地に足を踏み入れた瞬間
から味わうことができる。ゆったりした人々の挙措や口調、無限許容
の笑顔、時を刻むのを止めてしまったような街角の静けさやさざなみ
の音に触れて、旅人は、ふうっとため息とも深呼吸ともつかない息を
吐く。

 溶解する空間もありふれた出来事だ。たとえば、太陽に触れるよう
な陽射しの中、ガジュマルやヤシの木陰に座り込んで砂糖きびの葉が
流行の歌謡のように、ざわわざわわと揺れるさまを眺めていると、む
せ返る空気のなか、自分も大地も空もすべて溶けあってしまうように
感じる。そんなけだるさを味わった後も、ぼくたちは癒されたのを感
じるだろう。

(超自然哲学18 「4.南の島に惹かれるのはなぜ」)

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2007/02/16

新・相互扶助

 自分の分身が参加することで、イメージ的身体世界であるインター
ネットはいままでになかった出会いを生んでいる。
 そしてその出会いの共同性は、新しい相互扶助を実現しているのだ。

それがどのようなものかは、消費者の相互扶助を企業の側からの視線
に映すと、よく分かるかもしれない。

 ネットワークの展開に伴って顧客が入手する情報が増大、多様化す
 る中で、注目に値するのが顧客間インタラクションである。単純に
 言うと、ネットワーク上で「お客さん同士」がコミュニケーション
 を行い、それが商品の売れ行きや顧客満足に影響を与える現象のこ
 とだ。伝統的にはパソコン通信のいわゆるフォーラムなどが顧客間
 インタラクションの場を提供してきた。ソフトウェアやプリンタな
 どを買ってうまく動かないとき、メーカーに問い合わせするより、
 フォーラムに載せてユーザー仲間に聞いたほうがはるかに早く、的
 確な答えが返ってくる場合が多い。まったく見知らぬ人が無報酬で
 自分の疑問に親切に応えてくれるのに、驚かされることが多い世界
 である。
   (『オープン・アーキテクチャ戦略』國領二郎、1999年)

 國領の考察にあるように、企業がコミュニティに着目するのは、消
費者が無償で教えあうことに、その根拠を求めることができる。本来
なら企業が負担すべきかもしれないコストを、消費者は無償で担って
くれる。それなら、顧客対応をはじめとして、クチコミや消費者調査
をコミュニティは担ってくれるのではないか。その期待を込めて、コ
ミュニティに熱い視線は注がれてきたのだ。

 だが、ここで追究したいのは、企業にとっての意味ではなく消費者
にとっての意味だ。消費者にとっては、インターネットが相互扶助の
場を提供してくれていることになるのだ。
 ある意味でこれは不思議なことかもしれない。
 ぼくたちは、かつての農村の厚い相互扶助の世界に支えられながら、
その出口のない息苦しさから逃げるように都市に流入したはずだった。
都市で、お互いが無関係でいられることがこの上ない慰安になってい
るはずだった。相互扶助しなくていい、無関係でいられる自由が、逆
に都市の優しさになってきたのである。

 しかし、都市が普遍化するに及んで、ぼくたちは、助け合いたい気
持ちの行き場を無くして、彷徨っていたのかもしれない。だから都市
生活者の目に、インターネットこそは相互扶助の気持ちを満たすべき
場に映ったのかもしれなかった。
 核家族化と生活様式の激変の結果、子育ての知恵の拠り所を失った
若い母は、妊娠期の過ごし方を、少し前に出産を済ませた先輩ママた
ちから教わる。また、口に出しにくい身体症状の悩み相談などもイン
ターネットのコミュニティなら、個人を特定せずにできるから、安心
して相談しあうだろう。だから、この新しい相互扶助は、かつての共
同体が担っていた役割を復活させたものでもあれば、今までにはあり
えなかった相互扶助を実現したものでもあるのだ。この意義と可能性
はとても大きいと思える。

 オークションも同じことが言える。たとえば、幼児の服は、子ども
が成長すればすぐに要らなくなってしまう。昔のように、子沢山の状
況なら、次の弟妹に譲ったり近所の子におすそ分けすればよかったの
だが、いまやどちらもままならない。すると、その服は無駄になって
しまうわけだが、オークションを使えば、それを必要としている人と
出会うことができる。しかも、そこにはいくばくかの金銭のやりとり
が発生するから、渡す方の喜びも大きい。ここでは、相互扶助に加え
て、モノが循環する経済を生み出している。
 この相互扶助の側面は、都市で個人として分断された人々が、オン
ラインのコミュニティに夢中になる背景になっている。このコミュニ
ティは、開放的な共同性という語義矛盾のような性格のなかに、未来
的な可能性を秘めている。

(超自然哲学17 「3.インターネットの新・相互扶助」)

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2007/02/15

メールマガジンとブログ

 発信する消費者は、どのように発信力を高めてきただろうか。それ
を追うのに、メールマガジンからブログへ、という流れで捉えてみる。
 もちろん、インターネット初期からこれまでに、自作のウェブサイ
ト(ホームページ)をつくる人はいた。いたけれど、それは新しいこ
とにチャンレジするのが好きな先鋭的な層に限られていた。やろうと
思えば取り組めてしかも継続できたことでいえば、メールマガジンだ。

 メールマガジンは、「こんにちは」の挨拶から始まる発信に先鞭を
つけたものだ。企業は、この消費者の行いに倣うように、消費者との
コミュニケーションのルールを見出していったのだ。
 メールマガジンは無料の電子出版と謳われて、消費者に歓迎された。
メールマガジンの発行者は、無料で出版できる装置を使って、数は限
定的でも読者を得る喜びを手にしたのである。これは、読書が衰退し
ているという風評を他所に、本を読む楽しみを読者三百人圏のなかで
回復する動きなのかもしれなかった。発行者は、読者数と、たまにや
ってくる読者の感想文に糧を得ながら、自分の表現を公表することを
覚えたのである。

 一方のブログは、メールマガジンからブログへと成長したのではな
かった。それはむしろ、従来の個人のウェブサイト(ホームページ)
の主流だったウェブ日記の延長線に位置している。つまり、自分の日
記をインターネット上に公開することが、ぼくたちのインターネット
表現の初期型だったのである。そして、分身を使って自分の日常を披
瀝する発信欲求は、開設と更新のハードルが従来より格段に低くなっ
たブログの登場を待って多くの人の欲求となり、ブログは爆発的な増
殖を開始したのである。

 またブログは、メールマガジンにはできない画像を表示することが
でき、インターネットの検索性にも優れているから、発信手段として
も評価され、メールマガジンからブログへ乗り換える人も出てきた。
ブログが登場した当初、新聞などでは、メールマガジンを書く技術が
あれば開設できる簡易ホームページと説明されていたけれど、その通
りで、ブログの記事を書く技術は、メールマガジンとほぼ同じだった
のだ。

 メールマガジンの発行者と読者とのつながりが、感想文を介するの
に対して、ブログの場合は、コメントとトラックバックという二つの
手段がある。
 ブログを見ていると、コメントは友人や知人が訪れて、「こんにち
は、読んだよ」という挨拶が基本になったコミュニケーションが主に
交わされている。これに対して、トラックバックは、記事だけのつな
がりも生んでいるようにみえる。つまり、記事を書いた人のことを何
も知らなくても、記事同士に関連があるとみなすと、そこに逆リンク
であるトラックバックを張るのだ。これは、孤立した者同士を結びつ
けたいというインターネット自体の欲求を代弁しているようも見える。

 コメントは、人コミュニケーションであり、トラックバックは記事
コミュニケーションなのだ。そして、新しさからいえば、トラックバ
ックが記事同士のコミュニケーションを生んでいることで、お互いの
パーソナリティに依らない、関心の共通性でつながるコミュニケーシ
ョンの広がりを生んでいる。

 消費者同士の関係でいえば、二つの、未知の既知化を生んでいる。
 ひとつは、既知の人だけれど、風の便りでしか知る術が無かった人
や、消息を知っていても日常までは知らない人と、突然、インターネ
ットを介してつながることだ。こうして旧知の人に出会うと、日記主
体のブログなら、知らなかった日常の一端を垣間見ることになる。既
知の人の、未知の部分が既知化されるのだ。
 もうひとつは、トラックバックの記事コミュニケーションがその触
手のひとつになっているように、関心の共通性で得られる新しい出会
いである。自分以外に同じことに関心を持っている人がこの世にいる
という出会いの驚きを生んでいる。この場合は、未知の人の既知化で
ある。
 これら二つは、ぼくたちがインターネットに分身を持ってそれを介
してコミュニケーションすることで生まれた新しい出会いである。

(超自然哲学16 「3.インターネットの新・相互扶助」)

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2007/02/14

「囲い込み」から「飛び込み」へ

 企業のマーケティングにとって、必要な行動は「囲い込み」ではなく
「飛び込み」だ。

 従来、企業は商品というコンテンツで、消費者を囲い込むことをマー
ケティングのテーマにしてきた。誰も消費者の立場になれば、企業に囲
い込まれることなど望んでいないのに、ビジネスの立場で企画書に向か
うと、つい、「囲い込み」と書いてしまうのである。

 発信の主役交代以降、囲い込みはいよいよ無効になる。必要なのは、
「飛び込み」である。飛び込むといっても、飛び込み営業のことではな
い。消費者の生活の文脈(コンテクスト)に飛び込むのだ。消費者の声
のただなかに飛び込んで、消費者を観察する。そこで、どんな欲求をど
んな場面で抱くのかを観察して、生産へとつなぐのだ。
 そんなマーケティング活動を可能にするのもインターネットである。
そこでは、消費者の声が可視化されるから、文脈(コンテクスト)が見
えてくるのである。

Photo_42











(超自然哲学15 「3.インターネットの新・相互扶助」)

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2007/02/13

クチコミマーケティングへ

 主役交代後、生産と消費をつなぐマーケティングは、クチコミがメイ
ンのテーマになる。クチコミマーケティングだ。
 クチコミマーケティングを搦め手からいえば、消費者を企業の操作対
象とみなすことを止めるマーケティングのことだ。発信主体の主役交代
は、マーケティングにもさまざまな動きを呼んでいる。消費者の無意識
に新たな操作根拠を求める場合もあれば、広告があって検索があるとい
う購買行動モデルで延命を図る広告代理店もある。けれど、これらは消
費者を操作対象とみなす点からいえば、クチコミマーケティングの本質
ではない。

 クチコミマーケティングの土俵に立つと、テーマは消費者による商品
理解の促進により、ポジティブな評価のクチコミの層を厚くすることを
めぐっている。ポジティブを作為すれば、いわゆるやらせになるし、ネ
ガティブに堕すれば、消費者の声の場であるコミュニティが荒れる。や
らせと荒らしという圏外に逸れずに、ポジティブの圏内でクチコミを醸
成したいというのが企業のマーケティング欲求なのだ。

 このとき企業のマーケティングにとって、放棄しなければならないの
は消費者を操作対象とみなさないことと同義で、消費者のクチコミのコ
ントロールである。それはそもそもできない。それができるとみなすこ
とが、やらせや荒らしを生んでしまう。できるのは、消費者同士の対話
の場を支援することと、企業担当者自身が消費者との対話に臨むことで
ある。

 そこでクチコミマーケティングは、企業に対しネガティブな発言の許
容を迫るだろう。消費者の商品評価に、不評価があるのは当然のことで
あると受け止めるのだ。ネガティブの発生を当然のこととして、ポジテ
ィブの質と量をどのように増やすのかがマーケティングの課題になる。
 もっと先鋭になると、競争企業の商品を消費者が望む場合は、それを
薦めよという議論もある。そこまでいって消費者の信頼を得ることが、
存在理由になる、と。
 企業と消費者の関係として異次元連結をみると、両者の関係式は大き
く動いているのだ。

(超自然哲学14 「3.インターネットの新・相互扶助」)

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2007/02/12

主役交代

 もっとも身近なイメージ的身体であるインターネットに、主体はそれ
ぞれの分身を置くことで参加している。そして企業と消費者という異な
る次元の者同士は、消費者が企業の発信を許諾すること、企業が担当者
個人として発信すること。この二つを条件に、双方向のコミュニケーシ
ョンを成立させた。

 さて、インターネット元年を1995年とおけば、10年後、200
5年はまた別の段階に移っていった。いま、最初の10年とそれ以降の
違いを概観してみよう。
 最初の10年、企業は、先の二つのルールをもとにインターネット内
で発信してきた。異次元連結に焦点を当てると、ここでのテーマは、消
費者の返信を呼ぶには、どのように発信すればよいのかということだっ
た。メールマガジンの返信であれ、企業ウェブサイトへの登録であれ、
商品の購入であれ、何らかの消費者の行動を生むには、どのような発信
であれば、返信や登録などの行動をしてくれるのかということ。それが
テーマだった。というのは、双方向のコミュニケーション道が開通した
とはいえ、発信の主体はあくまで企業であり、消費者のコミュニケーシ
ョン行動は、企業発信への返信に止まっていたのである。

 様相が変わってきたのは、ブロードバンドになり時間を気にせず、ス
ムーズにインターネットに接続できるようになたことと、ブログという
道具が登場したことだ。ブログにより、開設と更新が従来のウェブサイ
トに比べて格段に容易になったのだ。そこで、既存のウェブサイトに比
べて桁違いの勢いでブログの記事などの消費者コンテンツが生成される
ようになったのである。消費者コンテンツには当然、商品評価に言及す
るものも多いから、必然的に異次元連結コミュニケーションに関わって
きた。

 ここで、発信主体の主役交代劇が起こる。これまでの企業発信と比較
にならない勢いで消費者発信が増えてきたのだ。そこで関係式は更新さ
れる。いままで、インターネットにおける企業のマーケティング活動は
消費者の返信を呼ぶには発信をどうすればいいか、が課題だったのに、
これ以降は、消費者の発信にどのように返信すればいいのかが課題にな
ったのだ。
 いま、ウェブ2.0と呼ばれているものの本質は、企業と消費者の関
係からみると、この発信主体の主役交代のことを指している。

(超自然哲学13 「3.インターネットの新・相互扶助」)

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与論の言葉で話そう

菊秀史さんの『与論の言葉で話そう』が嬉しい。

「話そう」と書名にある通り、
この本には、与論の言葉を自分たちのものにし続けたい
という願いがあります。

 私が本書を出したのは、与論の若者や子ども達に、
 今すぐにも自分の島の言葉を覚えて話して貰いたい、
 そして更に次の世代に継承して欲しいと強く望むからです。

菊さんは、幸い四十代以上は与論の言葉を日常的に使えるから、
話せる世代が継承に力を注げば、
「近い将来きっと復興を果たすことができる」
と語っているのです。

ぼくは四十代のくせに、
与論の言葉を中途半端にしか話せないので、
この本はお手本になってくれます。

なにしろ、語彙の説明もさることながら、
例文がふんだんにあって、
日常的に口にすることができるようにガイドしてくれているのです。

 ガンチガディ
  <そうとまで
  1.どういたしまして
  トートゥガナシ / ガンチガディ。
  有り難うございました。どういたしまして。
  2.「何を言っているんだ」という非難の気持ちを含む言い方。
  太郎: 次郎、ナーウピャー チュラーサ ジーヤ カキ。
      〃 、もう少し   きれいに  字は  書きなさい。
  次郎: ガンチガディ、ドゥーヤ ユクヌ ワシクシュティ。
      何を言っているんだ、自分は なお 悪いくせに。

こんな具合いです。
ぼくは、「どういたしまして」の意味は知っているから、
自分でも使うけれど、「2」は知らなかった。
覚えて使いたいと張り切ります。

そういえば、トートゥの解説もとても嬉しいもの。

 尊(トートゥ)<尊い。感謝の意を表す言葉。
 有り難うございます\ました、の意味。
 普通、後に尊敬の意を表す接尾語「加那志」(「様」「お方」に相当)
 をつけて尊加那志(トートゥガナシ)
 (<有り難いお方。尊いお方。有り難う様)と言います。
 「加那志」は次のようにも用います。
  ウレーガナシ(あなた様) ウヤガナシ(親御)
  ティンガナシ(おてんとう様)
  クヮーガナシ(お子様。ご子息。ご息女)

これは貴重な解説です。

トートゥガナシに「尊々我無」の漢字を当てて、
もしその通りにしか理解しないようになったら、
トートゥガナシに申し訳ないでしょう。

この本は菊千代さんの『与論方言集』とともに、
ぼくの大切なテキストです。

 ♪ ♪ ♪

菊さんには、与論の方言をユンヌフトゥバ(与論の言葉)
として紹介していますが、

与論の方言を覚えよう、
とは言わずに、
与論の言葉を覚えよう、
としています。

この立ち位置には共感します。
ここには、いずれ共通語ももともとは方言という目線があって、
どの言葉にしても方言という下敷きの広がりを感じるからです。


ぼくには、与論の言葉の分析も嬉しい。

  1.オ母音はウ母音に
  2.エ母音はイ母音に
  3.カはハに
  4.ス(ズ)はシ(ジ)に
  5.ツはチに
  6.ハ・ヒ・フはパ・ピ・プに
  7.リはイに
  8.一語の言葉は長音になる
  9.「AU」は「E」に
 10.「AE」は「E:」に
 11.「AO」は「O:」に
 12.「AWA」は「O:」に

たとえば、1、2は、
五母音ではなく三母音が基本であることを示すもので、
代表的なものですが、
それに続く特徴には、
ぼくでは到底、分からないことも多く、
与論の言葉を考える手がかりを教えてもらえるのが
ありがたいところです。

 ♪ ♪ ♪

 本書が参考書として大いに活用されて、以前のような、
 島民の殆どがユンヌフトゥバと共通語を自在に使い分けできた
 言語状況になってほしいと願って止みません。

この願望の新しさは、与論の言葉と共通語の使い分けが
目指されている点です。

かつはこういうわけにいかなかった。
方言は使わず共通語を使おう。
それが、与論島を含め南島近代の標語でした。

与論の言葉が、共通語と同等に、
あるいはそれ以上の価値で浮上してきたのです。

使い分けを目指す。
ある意味でそれは与論島の特権かもしれません。
話せる人の存在が前提になっているのですから。

しかしこの特権は充分に生かして、
与論島を豊かにしたいとぼくも願います。


「ウシがパーパーをおんぶ」と
「アチャー」の笑い話も楽しい。

与論島に行けば、きっとこの本に出会えるでしょう。
ぜひ、手にとってみてください。


与論の言葉で話そう(1)
ユンヌフトゥバではなそう
挨拶・名詞
こそあど言葉
性格・感動詞・副詞』

菊秀史 著
与論民俗村発行

Photo_29


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2007/02/11

垂直転換による異次元連結

 ぼくたちは、自分自身のイメージ的身体、つまり分身を置くことで
インターネットに参加している。たとえばeメールは自分の分身とし
てメッセージをどこへでも送ってくれるし、ウェブサイトやブログは、
日記として自分の日常生活や思考の断片を読みたい人に伝えてくれる。
これらは自分の分身なのだ。

 インターネットの分身化によって新しく実現したのは、通信の異次
元連結だと思う。つまり、いままで出会うことのなかった、つながる
ことのなかった立場同士が、直接、つながったことだ。
 2001年に開始された小泉内閣メールマガジンはその一例だ。一
方的なメッセージとはいえ、このメールマガジンで、一国の首相とぼ
くたち一人ひとりがつながったのだった。

 この通信の異次元連結の意味をよく表したのは、企業と消費者のコ
ミュニケーションだった。企業と消費者のコミュニケーションは、そ
れまでは、TVCMが典型的で、商品、企業、ブランドの映像がTV
を介して一方的に伝えられるだけだった。そこでは企業が発信者であ
り、消費者は受信者だった。消費者が発信者になるケースは苦情が典
型的で、たとえば百貨店の売場なら、お客様相談室でしかるべき担当
者が対応するという構図で、その場面は限られていた。
 ところがインターネットは、一方的かつ限定的だった企業と消費者
を、eメールを介して、一対一につなげたのだ。

 ただ、つながればコミュニケーションは可能になるというものでは
ない。道が通じていても、お互いどんな言葉を投げかければ、話がで
きるのか、そこには話すための了解事項が必要だ。ブロードバンドに
なる前、ダイヤルアップ接続時代にインターネットにつなごうとする
と、途中、「プロトコル確立中」というメッセージが流れた。そして
しばらくあってパソコンはやっとインターネットにつながったのだ。
あのなんとも言えない間合いは、まだインターネットの異次元連結の
約束事が確立されていないために、まるで必要な諸手続きを画面の向
こうで行っている時間のようだった。そのように、プロトコル、通信
規約はコンピューター間だけではなく、企業と消費者のコミュニケー
ションにも必要なのだ。

 それをまず実行して見せてくれたのは、eメールマーケティングだ
った。
 まず、商品のプロモーションメッセージをeメールで受け取っても
よいと許諾した消費者に対して、コミュニケーションするということ。
これが、はじめのルールだ。これで、発信は一方的ではなくなる。つ
いで、これがとても重要なのだが、企業からの発信主体が、商品や企
業なのではなく、企業の商品担当者という個人になることだった。e
メールは一対一のコミュニケーション手段なのだから、考えてみれば
当たり前なのだけれど、企業のメッセージを個人化することで、コミ
ュニケーションは双方向的になったのである。

 図示してみる。インターネット以前、企業と消費者は、企業がメッ
セージを消費者に落とすように一方的な発信で、消費者は受信者の立
場にとどまらざるをえなかった。ところが、インターネット以降は消
費者の許諾と企業担当者の登場という相互変化で、双方向のコミュニ
ケーションへの通路が開けたのだった。企業担当者の登場のシンボリ
ックな言葉は、「こんにちは、○○です」という至極当たり前な挨拶
だった。この挨拶から始めるコミュニケーションで、企業と消費者に
対話の通路が開けたのだ。
 このとき、企業担当者は、ビジネス(生産)の立場に半分、消費者
(消費)の顔を加えてそれを実現し、消費者は、半分ビジネス(生産)
の立場を加えて実現したのだった。

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(超自然哲学12 「3.インターネットの新・相互扶助」)

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2007/02/10

イメージ的身体としてのインターネット

 像(イメージ)的身体として人間が価値化したものを最も体現して
いるのは、インターネットだ。
 インターネットには、ぼくたちの思考や創造の産物を誰もが共有で
きる映像として存在している。しかも、ただの三次元映像というので
はない。グーグルアースが典型的だが、マウスの操作ひとつで地球の
映像をくるくる地軸にも構わずくるくる回転させられるように、三次
元にもうひとつ軸を加えた四次元的な映像を体験しているのだ。

 そしてもうひとつ、インターネットは、高次な映像世界というだけ
でなく、それが現実の世界とつながっている。eメールを送れば、そ
れを受け取り返事をする相手の存在があり、ブログを書けば、それを
閲覧する人の存在がある。オンラインショッピングで、買い物できる
ことを疑う人は、いまや誰もいない。
 インターネットは、現実の向こうのもうひとつの現実なのだ。

 ところで、吉本隆明は、『ハイ・イメージ論』を「映像の終りか
ら」として、「高度情報化」の考察から開始している。吉本が高度
情報化の要素として挙げたのは次の三つだ。

 1、映像差異の消去
 2、空間(距離)の差異の消去
 3、1と2の否定としての時間の差異化

 1985年の吉本は、「映像差異の消去」を、たとえばVAN(付
加価値通信網)の異種コンピューター間のプロトコル変換、「空間
(距離)の差異の消去」ならINS・キャプテンシステムのデジタル
スケッチホン、「時間の差異化」は、同じくVAN(付加価値通信網)
のメールボックス・サービスなどを、「実現されつつあるもの」とし
て例に挙げている。

 2007年のぼくたちは、これらがすでにインターネットによって
実現されているのを知っている。
 たとえば、インターネット上に掲示したウェブページを、そこへの
アクセス権を持った二人が別のパソコン・インターフェイスから、お
互いにページの修正を同時にし合うというシーンで、「映像差異の消
去」は実現されている。また、このとき二人が隣のデスクで作業しよ
うが、北海道と沖縄でしようが関係なく、「空間(距離)の差異の消
去」も実現している。
 「時間の差異化」は、まさにeメールが典型的に実現しているもの
で、送信時間に関わりなく、受信者が読める時間に開封して読んでい
る。送る時間を気にしなくていいと、eメールの長所として挙げられ
ているものだ。

 吉本の「高度情報化」の考察は、実はインターネットを捉えたもの
だったと言い換えてもいい。その意味では、『ハイ・イメージ論』は、
インターネット出現の10年前にインターネットを起点に開始された
考察だったのだ。
 ぼくたちは、吉本の考察を受けて、インターネットに社会像の新し
い可能性を見出してみよう。

(超自然哲学11 「3.インターネットの新・相互扶助」)

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2007/02/09

Nにとどまる

 NP変換、ネガティブをポジティブに変換する。そう言った後に、
ぼくは急いで付け加えなければならない。

 N、ネガティブにとどまれ、と。
 自分で書いていても、自分の中の意欲のなさから憎悪まで、そん
に簡単に、ポジティブ変換できるものではないという思いが頭をも
たげてくる。ただ単に依怙地になっているだけのこともあるだろう。
けれど、ネガティブな情念が過ぎてゆかないのは、過ぎるための言
葉を見つけていないということだ。自分でも理由がよくつかめない
のに、ネガティブな感情や状態になるとしたら、そこにはじっくり
届かせなければならない言葉があるはずだ。

 NP変換しようとして解放されないなら、それは言葉が上ずって
いる印だ。そんな時そんなテーマのことは、無理にポジティブ変換
するものではない。ネガティブに止まっているべきなのだと思う。
そのときは、口にするのは止めよう。黙っていよう、沈黙しよう。
沈黙は、言葉の発酵期間だ。自ずと言葉になって出てくるときを待
てばいい。

 気後れするならひきこもればいい。憎悪がやってくるなら向き合
えばいい。慌てることはない。いまどきの人生、ある種のビジネス
書があおるほど簡単に決まってしまうものではないし、年長者を見
て思っていたほど、実際になってみると成熟もへちまもあったもの
じゃない。ゆっくりいくしかないのだ。

 ネガティブにとどまろう。自分の底板をはずさないために。

(超自然哲学10 「2.世界は私の像的身体」)

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与論ブルー。

与論ブルー。

ひょっとして与論島の魅力の核心にあるのは
これなのかもしれない。

与論ブルーは、琉球弧の海のなかで、
ここが一番きれいなんじゃないかと言ってくれている
めぐみさんの形容。

いい響きですね。与論ブルー。

「港周辺でもこの蒼さです」と、
迫力の写真と一緒に書いてくれているのは
スカッドフィルムさんです。

写真も飛行機で降りるときを思い出させて
切なくなるくらいの迫力です。

どちらも島の外の方が書いてくれた魅力。
ありがたいことですね。

ぼくも与論島には、
いつも他とは比較できない絶対を見てきたけれど、
その核心に、お二人が図らずも指摘してくれている、
この蒼、与論ブルーがあるのかもしれない。

そう思いました。

それにしても与論ブルーっていいですね。
この言葉、生きると思います。

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2007/02/08

実践NP変換

 NP変換は、欠如の批判を過剰の称揚に変換する。不足ではなく存
在、禁止ではなく可能に着目する。

 たとえば、駅の公衆トイレなどに「汚さないでください」という貼
り紙をよく見かける。これは典型的なネガティブ・アプローチだ。つ
い先日、東京の地下鉄、江戸川橋駅の公衆トイレで、「いつもきれに
使っていただいてありがとうございます」という貼り紙を見て、心が
和んだ。素直に受け止めれば、これはポジティブ・アプローチだ。

 否定語ではなく肯定語に言い換えるだけで印象はがらりと変わる。
同じことを伝えるのに、受け手の気分はまったく違ってくる。それは、
メッセージを受け取った人のその後の一日にわずかだけれど、影響を
与えるだろう。ポジティブなメッセージを受け取った人は、誰かにポ
ジティブなメッセージをギフトできるかもしれない。そんなポジティ
ブな連鎖を作りたい。

実践NP変換1-関係

 自分の正しさばかりにこだわると関係は悪くなりやすい。たとえば、
関係を持続する中で、ひっかかったことや不快に思ったことを、相手
に伝えたい場面を思い浮かべてみる。言えず仕舞にしまいこんだこと
であれば、それは苦情を訴える風にあらかじめなってしまうだろう。
それでも受け入れてくれるのを期待して思いきって伝えてみる。けれ
ど、それまで正しさの受容より主張をしてきたとしたら、言葉通り受
け取ってもらうのは難しい。それどころか、ひっかかりや不快の感じ
方自体を非難されてしまうことにもなりかねない。立つ瀬がなくなり、
伝えたせいでますますストレスを溜め込むことになってしまう。こう
なると一触即発、ちょっとしたひと言で口論の幕が切って落とされる。
そして声を荒げる。こんな不毛なことを繰り返してしまうわけだ。

 諍いは、お互いがおたがいのことを聞けなくなっている状態のこと
だ。我慢ならなくなると、話が終わらないうちに遮り、もっと大きな
声で断じてしまう。するともう、すぐ喧嘩になってしまう。

 こんなネガティブな状態をポジティブに変換するのは、相手の話を
聞くことと、相手を誉めることだと。自分のストレスは相手のストレ
スだと考えて、それを解消してあげる。情は人のためならず。それは
自分に巡ってくる。
 言うは易しの、関係のNP変換だ。

実践NP変換2-会議

 ブレインストーミングの原則、というものがある。アイデアを出し
磨きをかけるのによく使われる。中身は、「量を出す、批判しない、
連想する、奔放に出す」、の四つだ。「批判しない」が原則になるの
は、人は放っておけば批判をするものだという傾向を踏まえたもので
分りやすいが、逆に、「奔放に」出すことがわざわざ挙げられている
ように、自由にと言われても言いにくいことも確かだ。アイデア量産
を目的にしたブレインストーミングは、結局これらの四つの原則が守
られたら、半分、成功したようなものなのだ。

 もう少し言えば、これらの原則が守られるためには、事前の合意だ
けではなく、批判を呼び込みそうなアイデアをかばったり、奔放に出
すことを促したりする司会役のきめ細かな配慮が大切になる。事前の
合意が意味をなさないくらい人はすぐに批判したがるし、奔放になれ
るかどうかは、場の力で徐々に形成していくものでもあるからだ。
 アイデアの欠如を批判するのではなく、出たアイデアのよさを誉め
ること。これも言うは易し、のNP変換だ。

実践NP変換3-憲法

 憲法第九条も、NP変換したい。つまり昨今の状況だと、憲法第九
条は、軍隊ではないという欠如を批判する方に分があるような情勢だ
が、そうではなく、国家による不戦条項と軍隊非保持を過剰性として
見るなら、人類の希望と言っていい先見性ある言葉として稀有な存在
価値が浮かび上がってくる。
 思ったことがなかったが、改めて考えてみると、第九条の存在は、
国家としての日本を好きな点かもしれない。
 第九条を欠如として捉えて補うのではなく、第九条の存在あるいは
過剰性に着目して、積極的に他国での導入を働きかける。それが、第
九条のNP変換だ。

(超自然哲学9 「2.世界は私の像的身体」)

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2007/02/07

NP(ネガティブ-ポジティブ)変換

 言葉の編み直しをする。それは、ぼくたちが世界は変わると信じ、
また変えることができるという手応えを得るための方法ではないだろ
うか。

 商品でも人でも何でもいい。あるモノやコトについて、大勢で評価
をすると、大抵は圧倒的に、評価しない、に票が集まる。ポジティブ
とネガティブで秤にかければ、断然、ネガティブの秤が下がる。そう
いうものである。
 それはどうしてだろう? 悪いところは目につきやすい、人はそん
なもの。答え方はさまざまだ。

 それを人の性と言わないとしたら、ぼくはそれは人類が病との闘い
を歴史の主題としてきたからだと答えたい。たとえば、この世の単語
を集められるだけ集めて、それをネガティブ語とポジティブ語とに分
けてみれば、ネガティブ語が断然多いに違いない。

 たとえば直接のネガティブ語ではないけれど、ネガティブな状態と
して病名をサンプルに採ってみると、その数はごまんとあるし、むし
ろ細分化の一途を辿っている気すらする。それに対して、朗らかさや
心栄えのよさなどのポジティブな状態を表わす言葉は少ないのではな
いだろうか。統合失調症など症状を示す術語は多いけれど、どのよう
に楽しい人か、どのように気持ちのよい人かを示す言葉は、病状を言
う言葉に比べたら、直感的に言っても少ない気がする。

 性の悪さを明かすようなものだけれど、自分でも毒舌モードに入る
と流暢に言葉が繰り出されるのに、誉めるモードに入ると、あいつは
いい奴だと力んだフレーズを繰り返すばかりで、毒舌モードの流暢さ
はどこへやら、途端に表現が乏しくなる気がする。これは観察力のな
さでもあるけれど、そもそもネガティブ語とポジティブ語、ネガティ
ブとポジティブの状態を表す語彙数に差があるからなのだと思える。

 そしてそれは、人類が病との闘いを歴史の主題としてきたから、そ
の意味では当然であり、ネガティブ語の多いさは危機に対する察知の
力にもなっているのだと思う。
 大上段に構えて言い換えれば、ポジティブ語の開発は人類的課題な
のだ。

 そこで意識的に視点を変えて、ポジティブ語で世界を編み直す。そ
ういうことをしてみたい。
 ネガティブ表現としてある言葉をポジティブ表現に変換する。それ
をNP変換と呼ぼう。NP変換で世界を編み直すのである。
 ネガティブ表現は、評価するモノやコトの欠如を指摘し、その欠如
を批判するという形になる。これに対して、ポジティブ表現は、評価
するモノやコトの過剰を指摘し、それを誉めるだろう。無いことを批
判するのではなく、あることに着目しそれを伸ばす。それがNP変換
だ。

(超自然哲学8 「2.世界は私の像的身体」)

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2007/02/06

言葉で世界は変わる

 人間は、全人工的自然を人間の像(イメージ)的身体とし、
 全人間は、人工的自然の像(イメージ)的自然となる。

 この命題をベースに、「世界は私の像的身体」という言葉を置いて
みた。そして、言葉こそは像(イメージ)的身体であるとすると、そ
れは言葉で世界は変わることを意味しているのではないだろうか。
 世界の現れ方は、言葉をどのように編むかによって決まる。そうい
うことを表わしているのではないだろうか。ビートルズの「愛こそは
すべて」ならぬ、「言葉こそはすべて」なんじゃないだろうか。

 人間の営為が、自然の「非有機的身体」化ではなく、「像(イメー
ジ)的身体」化であるということは、加工(モノづくり)から、編集
(コト編み)にテーマが移行しているということだ。すると、何を言
うかではなく、どのように言うか、それが大事だということだ。

 ものは言いよう、とぼくたちはときに言う。
 それを言うとき、本来はネガティブなことなんだけれど、その場の
雰囲気を悪くしないために無理にポジティブな言い回しにしていると
いうニュアンスが含まれている。つまり、どちらかというとネガティ
ブな表現として使っている。けれど、そうではなく、もう、ものは言
いようでしかない。ものは言いようから始めるしかない。言いようを
こそ考えなければならない。そうではないだろうか。

 現在、関係破壊、格差拡大、再武装論など、ぼくたちのまわりには、
ネガティブな事象が溢れかえっている。こうした問題に向き合う時、
すべては言葉の問題だとして、言葉を編みなおす必要があると思える。
ものは言いようの力を発揮するのだ。何のために? 言葉を変えるこ
とで行動を変えるために。

 ぼくはこのことを、半分は、豚もおだてりゃ木に登るではないけれ
ど、肯定的な評価を受けたことで、世界や関係ががらりと変わってみ
えたという経験と、でももう半分は、実感が伴わない、というか、世
界は変わらないという諦念に負けそうになるけれど、原理的にそうな
らそうなるのではないかという演繹の両方から、これを考えている。
 言葉で世界は変わる。この命題は内実を満たされるのを待っている、
と。

(超自然哲学7 「2.世界は私の像的身体」)

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2007/02/05

言葉と戯れる

 世界は私の像的身体。これは、世界がイメージのように現れて、ま
た、イメージ的身体にすることが世界との関わり方だということだ。
 この命題で、ぼくが思い起こすのは、言葉も像(イメージ)的身体
なのではないかということだ。

 言葉をイメージ的身体化した例として、ぼくは『おきなわキーワー
ドコラムブック』を思い出す。『おきなわキーワードコラムブック』
は沖縄で発行された本で、『事典版』(1989年)と『日記版』
(1990年)とがある。『事典版』であれば、「方言、食べ物、風
物、レトロ、自然、伝統、考察、カルチャー」などと項目があるのだ
が、これはいわゆる観光の本ではない。もちろん旅人が読んでも面白
いのだが、この本は沖縄で売れる。つまり、沖縄の人に売れたのだっ
た。

  「沖縄」のことを考えると、すぐにいくつかのイメージが頭の中
 に浮かんでくる。例えば、「青い海」とか「さんご礁」とか「赤瓦」
 とか「トロピカル」とか「沖縄戦」とか「アメリカ」とか・・・。
  いくらでも挙げることができる。
  「沖縄」という所は、多くのパターン化したイメージで、簡単に
 括られやすい。それはそれでまったく結構なのだが、「またか」っ
 て感じがするのは、僕だけじゃないだろう。こうしたマスコミに載
 りやすい言葉を見るたびに、「なんかちょっと違う」と地元の人は
 思っているのではないか。
  「沖縄」をイメージするものは、もっとおもしろくて、するどい
 言葉がたくさんあるというのに。どうでもいいことだど、どうにか
 ならないものか(後略)。
          (『事典版おきなわキーワードコラムブック』
              1989年まぶい組編著、沖縄出版)

 主宰者の新城和博が本の冒頭、こう語るように、このコラムブック
は、観光地としてばかりイメージが浮遊している沖縄を、地元の人の
ために取り戻そうとしているのだ。それがこの本が沖縄で売れた理由
の一端になっている。
 けれどこのことは、必要条件ではあっても売れる十分条件にはなら
ない。観光イメージに回収されない「沖縄」を本にしたとしても、そ
れが地元の人に支持される理由にはならないからだ。むしろ、地元の
人にとって自明のことであれば、ことさら本を買うことは無かっただ
ろう。

 実はこの本は、沖縄の人にとってこそ新鮮だったのだと思う。
 どれをサンプルにしてもいいのだが、たとえば「ぱごう」という方
言についてのコラムがある。

 ぱごう(方)(※「方」-方言のこと、引用者注)

 決して象の鳴き声ではない。これもちゃんとした言葉、宮古の方言
 のひとつなのです。怖いという意味なのですが、何故かかわいらし
 い響き。夏の夜などローソクを囲んで怪談話をするとまるで象の群
 れの中にいる気分・・・なわけないか。(下地)
                          (同前掲)

 言葉で、遊んでいる。方言をそれとして意味中心に解説しているの
ではなく、標準語が身体化された言語感覚に照らして語感の楽しさに
着目し、そして取り出して、その楽しさの方を説明しているわけだ。
言葉を取り出してお手玉のように遊んでいるのだ。

 『おきなわキーワードコラムブック』は、「まぶい組」の編集なの
だが、この言葉の由来についてもコラム「まぶい」がある。

  子供の時はよくまぶやーを落とした。木に登って落ちたり、鉄棒
 から落ちたり、ブランコから落ちたり(落ちてばっかり)、車にぶ
 つかりそうになったりした時、「ハー、タマシヌギタ(魂抜けた)」
 と言っては、「まぶいぐみ」をしたものだ。オバー達にいわせると、
 まぶやーは誰でも持っているとされ、アッタニ、シカンダ(急に驚
 いた)時、まぶやーは離れるのだという。特に子供はまぶやーが離
 れやすいから、怖いモノや危ないモノには近づけないようにした。
 まぶやーが抜けると、病気になったり、死んでしまうと言われた。
 そのため、原因不明の発熱や元気が無くなって無気力になると、
 「まぶいが落ちている」と言われ、抜けてしまったまぶやーを体の
 中にもどす、つまりまぶいを込めなおす儀礼『まぶいぐみ』を行っ
 た。                       (同前掲)

 「まぶい」とは魂のことで、浮遊した魂を人体に戻すことを「まぶ
いぐみ」と呼んでいる。それはもともと沖縄にある習俗なのだけれど、
それが語るに値するように見えるには、彼ら地元の人にとっても「ま
ぶい」という言葉や「まぶいぐみ」という行いが新鮮にみえるプロセ
スが必要だった。この本づくりに参画しているのは、1960年代生
まれがメインなのだが、この世代は、方言禁止の運動が効を奏した結
果、方言を喋れない世代として育っている。その世代は、方言を忘れ
られたものとして放っておくかといえば、方言を捨てようとしてきた
時代とは裏腹に、方言が新鮮に見えたのだ。

 その新鮮さは、方言をイメージ的身体として見たことに由来すると
思う。方言が、沖縄の天然自然の一部としてではなく、人工的自然の
一部として見えた。すると、それは編集可能なイメージとして現れた
のだ。その新鮮な驚きを封じこめたのが、このコラムブックだった。
そして、天然自然身体としては抜けてしまった方言を、人工的自然と
してインプットし直す気概を込めて、編集チームは「まぶい組」と名
乗ることになったのである。

 だからこそ、この本は、観光客にではなく、地元の人にとってこそ
意味を持ったのだ。葬ろうとしてきたものが実際、消滅の憂き目にあ
っている。ところで、その間に、世界が人工的な自然として、つまり
都市化されてみると、方言は、イメージ的な身体として、彼らの目に
とても新鮮なものに映ったのだ。そこで、彼らは言葉と遊んだのであ
る。

(超自然哲学6 「2.世界は私の像的身体」)

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2007/02/04

世界は私の像的身体

 自分の世界との関わりを根本的に理解したい。そういう思いから、
再び、マルクス-吉本の自然哲学を見てみる。自然を自分の「非有
機的身体」とするという捉え方は、言葉遣いさえ慣れれば、身体の
延長のように受け止めることができて実感的になる。けれど、局面
が違うと、この実感からはみ出る要素があるようにも感じられるの
だ。それは、かなづちを打つときと、ブログを書くときの違いと言
えばいいだろうか。どちらも身体の延長として関わっているのに違
いはないけれど、かたやかなづちは、その物理的な手ごたえから、
いかにも「非有機的身体」と言って違和感はないけれど、ブログの
場合、なんというか、「非有機的身体」というよりは、イメージ上
の身体、観念的な身体というのが適切な気がするのだ。

 そこで、こなれない言葉遣いだけれど、「像(イメージ)的身体」
と言葉を置いてみよう。人間は、環境を人間の像(イメージ)的身
体とする、と。
 像(イメージ)的身体をもっと実感的に言えば、分身になるだろ
う。ブログは、思考とパーソナリティの像(イメージ)的身体であ
り、分身だ。グーグルアースは、地球の像(イメージ)的身体であ
り、分身なのだ。

 マルクスの「非有機的身体」と、ここでの「像(イメージ)的身体」
との違いは、背景にある産業構造の違いだとみなせる。
 マルクスが、自然哲学を構想した目の前には、産業革命による第
二次産業の隆盛があった。そこでは、鉄から蒸気機関車をつくるよ
うに、自然との関わり方は、加工という表現がぴったりくる。それ
は、いかにも非有機的身体だ。ところがぼくたちの環境はといえば、
第三次産業が主たる産業になっている。ここでは、たとえばパソコ
ンからeメールの送信を設定する場合、それは非有機的身体という
より、観念的、イメージ的身体というのがふさわしい。

 こう考えると、命題はもう少し具体的に言えるような気がする。
それはマルクスのいう「自然」は、天然自然であるのに対して、ぼ
くたちの言う自然は人工的自然になっているということだ。自然を
素材に加工して人工物を作り出すのがマルクスが目撃した世界との
関わり方だとしたら、ぼくたちは、人工的自然を対象に、その編集
によってイメージを作り出しているようなものだ。そこで、第二次
産業を背景にした命題と第三次産業を背景にした命題は次のように
書くことができる。

 第二次

 人間は、全天然自然を人間の「非有機的身体」とし、
 全人間は、天然自然の「有機的自然」となる。

 第三次

 人間は、全人工的自然を人間の「像(イメージ)的身体」とし、
 全人間は、人工的自然の「像(イメージ)的自然」となる。

 あらかじめ世界が人工的自然として現れる場所での自然哲学を、
ここでは超自然哲学と呼ぼう。
 この超自然哲学の命題のなかでは、世界を自分の像(イメージ)
的身体とするのが、普遍的な関わりかたなのだ。
 世界は私の像的身体、なのである。

(超自然哲学5 「1.グーグルアースは世界視線」)

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2007/02/03

マルクスの自然哲学から

 こんな言い回しを考えてみるのは、マルクスの次のような言葉を
受け止めたいからだ。

 人間の普遍性は、実践的にはまさに、自然が(1)直接的な生活
 手段である限りにおいて、また自然が(2)人間の生命活動の素
 材と対象と道具であるその範囲において、全自然を彼の非有機的
 肉体にするという普遍性のなかに現われる。自然、すなわち、そ
 れ自体が人間の肉体でない限りでの自然は、人間の非有機的身体
 である。人間が自然によって生きるということは、すなわち、自
 然は、人間が死なないためには、それらと不断の[交流]過程の
 なかにとどまらねばならないところの、人間の身体であるという
 ことなのである。人間の肉体的および精神的生活が自然と連関し
 ているということは、自然が自然自身と連関しているということ
 以外のなにごとも意味しはしない。というのは、人間は自然の一
 部だからである。
              (マルクス『経済学・哲学草稿』)

 ぼくたちと世界や環境との関わりを、「人間は全自然を彼の非有
機的肉体とする」とマルクスは言う。
 たとえば、かなづちで釘を叩く場面を考えてみてみよう。かなづ
ちを握って叩くとき、かなづちはぼくたちの「非有機的身体」にな
っている。自分の身体の延長のように使っているということだ。
 ついでこのマルクスの言葉を吉本隆明は、全自然と全人間の相互
関係として整理している。

 全自然を、じぶんの<非有機的肉体>(自然の人間化)となしう
 るという人間だけがもつようになった特性は、逆に、全人間を、
 自然の<有機的自然>たらしめるという反作用なしには不可能で
 あり、この全自然と全人間との相互のからみ合いを、マルクスは
 <自然>哲学のカテゴリーで、<疎外>または<自己疎外>とか
 んがえたのである。
         (吉本隆明『カール・マルクス』 1966年)

 「人間は全自然を彼の非有機的肉体とする」というマルクスの命
題に対して、マルクスの意を汲み、吉本はそれが成り立つための条
件をもうひとつ書く。それが、「全人間を、自然の<有機的自然>
たらしめる」ということだ。
 両立させてみよう。(「肉体」は「身体」と言い換える)

 人間は、全自然を人間の「非有機的身体」とし、
 全人間は、自然の「有機的自然」となる。

 このマルクス-吉本の定式はとても魅力的だ。ぼくは長い間、こ
の定式の詩的かつ論理的な表現に魅せられてきた。かなづちの話を
思い出してみよう。かなづちを使う時、それはぼくたちの「非有機
的な身体」になっている。これは、ぼくたちが、かなずちの「有機
的自然」になることで可能になっている。かなづちの「有機的自然」
というとちんぷんかんぷんになりそうだけど、かなづちからぼくた
ちを見れば、かなづちが有効に機能するための、かなづちの要素に
なっていることを言っている。ぼくたちはかなづちを強く握って、
まるで腕をかなづちにしたように硬く固定して動かしているのだ。
自分を道具にしてかなづちとの関係に入っているのである。

 作用があれば反作用がある。吉本のマルクスを継ぐ言葉が重要な
のは、ぼくたちは作用のことはすぐに気づくけれど、反作用のこと
にはなかなか思い至らない、つい忘れがちになるからだ。かなづち
を打てば、かなづちを打つことによる反作用もある。工場をつくれ
ば工場をつくった反作用もある。ぼくたちはこの反作用もしっかり
視野に入れることができるなら、身体への影響や公害のことをもっ
と察知できるに違いない。
 マルクス-吉本の自然哲学の命題は、人間と環境や世界との関わ
り方を、普遍的な形でしかも作用、反作用を含んだ関係のなかに捉
えていることが魅力なのだ。命題が普遍的だということは、ぼくた
ちの世界や環境との関わりを知る上で、今も役に立つはずである。

(超自然哲学4 「1.グーグルアースは世界視線」)

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2007/02/02

グーグルアースは地球の分身

 言ってみればグーグルアースは地球の分身だ。

 地球とうりふたつの分身像ができたようなものだ。もちろん今の
ところ、分身はある瞬間の地球の姿を、かなりおおざっぱに切り取
ったものに過ぎない。そうだけれど、分身はイメージになった分だ
け、くるくる回転させたり、遠近を宇宙の遠点から地上百メートル
上空まで接近したり、どこに視点を置くのも自在だ。
 しかも、分身だからといってもあなどれるわけではない。グーグ
ルアースを使う時、それが本物の地球ではなく、地球をシミュレー
ションしているに過ぎないことは誰もが了解している。けれど、だ
からといって子どもの遊具と軽んじられるものではなく、誰もが旅
行気分を味わうことができる。それはひとえに画像のリアリティと、
この道をまっすぐに行けばいつかはロンドンにも南極にも地球の裏
側にも辿りつくということが信じられるように、いままで体感でき
なかった事実が、迫真性をもって迫ってくるからだ。グーグルアー
スのシミュレーションは、現実をなぞるものだけれど、現実には実
行できないハイパーな体験をもたらしてくれる。この超現実のリア
リティにぼくたちは夢中になってしまう。イメージに転化しただけ
扱うぼくたちの自由度が増した分身なのだ。

 地球を分身化することでグーグルアースは作られた。
 ところでぼくたちは、グーグルアースに衝撃を受けたから、それ
をサンプルに、感動の中身と由来を探ってきたのだけれど、考えて
みれば、分身化という行為は、ことグーグルアースだけではなく、
ぼくたちの世界や環境への関わる時のキーワードになっていないだ
ろうか。

 たとえば携帯電話からeメールを送るとき、まるで自分の分身を
飛ばすような感覚で、言葉を打って送っている。机でパソコンを打
つのではなく、公衆電話から電話するのでもなく、まさに歩きなが
らでもできるから、なおさら分身感覚を持つのだと思う。
 また、ブログは自分のパーソナリティや考えが表明されて、まる
で自分の分身をネット上に解き放っているようなものだ。それは分
身だから、そこに中傷が書かれていたら、本体の心も痛む。分身だ
から、自分が寝ている間でも、読み手にメッセージを伝えてくれる。
ブログも自分の分身なのだ。またゲームなどは、まさに自分の分身
を映像のなかに参加させて冒険の世界に入っていく。
 グーグルアースは地球の分身であり、携帯メールやブログ、ゲー
ムは自分のパーソナリティや思考の分身なのだ。
 ぼくたちは、分身化するように世界や環境に関わっているのだ。

 グーグルアースは、地球を分身化したもの。
 これが、ことグーグルアースだけに限らないぼくたちの環境や世
界への関わり方だとして、この関係を次のように言ってみたい。

 人間は、環境を人間の像(イメージ)的身体とする。

 像(イメージ)的身体のひとつの現われが、分身だ。

(超自然哲学3 「1.グーグルアースは世界視線」)

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地域ブランドフォーラム、全国大会

地域ブランドフォーラム、全国大会に参加してきました。
虎ノ門の会場は、全国から集まった
地域ブランドづくりに志を熱くする面々300名で一杯でした。

2つの基調講演とパネルディスカッションは、
どれも面白くためになりました。

 ♪ ♪ ♪

まず、ツーリズム・マーケティング研究所、井門さんの話。

・今後の地域ブランドづくりのキーファクターは、
 クチコミネットワークの数の多さ。

これが、一番重要なメッセージだったと
言ってもいいのではないでしょうか?

ある宿の宿泊予約が、
代理店比率がみるみる落ちて、
ネット直販が交差するように伸びている表には
説得力を感じました。

「育成の鍵」

・「信頼」は時間をかけて醸成される。
・ブランドを「年度単位」で考えるな。
・「家業」こそ、地域ブランドの担い手。
・地域に「ねたみ」はつきもの。
 ※さもありなん。(^^;)
・行政は「ファシリテーター」に徹せよ。

 ♪ ♪ ♪

兵庫県鞄工業組合の高島さんと、
流通科学大学教授の井上さんの話。

まさに去年、始まったばかりの、
地域団体商標取得のケーススタディで、
地域ブランド、製品ブランド、そもそもブランドは?
という整理から始まったという経緯がリアルでした。

 ♪ ♪ ♪

最後は、パネルディスカッション。
日本総合研究所の金子さんをコーディネーターに、
良品工房の白田さん、エイガアルの伊藤さん、
中小企業診断士・商業プランナーの片岡さんのお三方。

わかる女性がわからない男性を前に辛口でばっさり、
という構図がちょっと哀しかった。(^^;)

「売るのが難しいんじゃない。買うのが難しいんだ。
だから買いやすくすれば売れる」という
白田さんの言葉は説得力ありました。

これは、現在のメーカー・マーケティングが
店頭マーケティングを重視するのと全く同じ問題意識で、
同時性を感じます。


地域ブランドづくりも商品づくりも
同じなんだなと感じた次第。

それから外してならないのは、
地域ブランドの場合は、
「誰が」担うのかが、
大きな課題になるということです。


与論島はどうなりたいのか。
このテーマをしっかり考えたくなる半日でした。

Area_brand

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2007/02/01

グーグルアースは世界視線

 グーグルアースの出現は、ぼくたちが世界視線を手にしたことを
意味すると思う。
 世界視線というのは、グーグルアースのように宇宙から地表を垂
直に見る視線のことだ。

 ほんとは、わたしたちのいう世界視線は、無限遠点の宇宙空間か
 ら地表に垂直におりる視線をさしている。しかもこの視線は、雲
 や気層の汚れでさえぎられない。また遠方だからといって、細部
 がぼんやりすることもない。そんな想像上のイデアルな視線を意
 味している。遠近法にも自然の条件にも左右されない、いわば像
 (イメージ)としての視線なのだ。(中略)現実にわたしたちが
 手にできる近似的な世界視線は、航空写真によるものと、人工衛
 星ランドサットによるものとにかぎられる。
             (吉本隆明『ハイ・イメージ論1』)

 吉本隆明がこう書いたのは、1986年。今から21年も前のこ
とになる。このとき、世界視線から地球を見ようとすれば、「航空
写真によるものと、人工衛星ランドサットによるもの」とに限られ
ていた。グーグルアースは、航空写真やランドサット映像としてだ
けではなく、地球上どこも途切れない世界として、そしてどこをど
んな上空から見るのも自在にしてくれている。もちろんリアルタイ
ムではないしイデアルな視線でもないけれど、いまぼくたちが持て
世界視線としては最高のものだというのは疑問の余地がない。

 吉本は、ランドサット映像の地図を眺めていると、地質学的な過
去に、平野が水面下にあって山脈だけが地上に顔を出してといった
ような空想をしたくなるが、それは等高線の書いてる地図を見るだ
けでは生まれない空想だとして、こう書いている。

 ここには宇宙空間からの世界視線がもつおおきな未知の特性があ
 るようにみえる。それをひと口で要約してみれば、人間ははじめ
 て、じぶんの存在とその営みをまったく無化してしまいながら、
 しかも自己存在の空間を視る視線を獲得したといえることだ。こ
 れは感性の歴史にとってはじめてのことで、大きな意味を持って
 いる。(同前掲)

 ランドサット映像を前に、吉本の直観はこう書く。そしてこれを
20年以上前に読んだぼくは、この意味をよく理解できないまま置
いてきた。けれど、ぼくもグーグルアースを前にすると、たとえば、
好みのエリアでいえば、奄美諸島から八重山諸島までの琉球弧を眺
めれば、与那国島の西を過ぎって北上し、七等灘を東に折れる黒潮
の流れを見るような気がしたり、南から陸続きになっていた過去を
空想したり、そこを歩く人類を幻視したりする。住居を上空から見
ても、生活の悲喜こもごもを思い出すよりは、そこから仕事場まで
の流れを追ったり、故郷までひとっ飛びしてみたりと、自分たちの
いる空間を楽しんで見ている。生活感情を離れて自在に空間移動で
きる点が、グーグルアースを使う時に、旅行気分に浸れる理由だ。
グーグルアースを前にして、ぼくたちは吉本の言葉に実感的に追い
ついているのである。

 ジョン・レノンは、「国境なんてないと想像してごらん」と歌っ
たけれど、グーグルアースを見ていると、国境を飛び越えるように
どの地域とどの地域もつながっていることを映像として理解できる。
これはグーグルアース効果で、世界視線をぼくたちが手にしたこと
の大きな意義だと思う。

(超自然哲学2 「1.グーグルアースは世界視線」)

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